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信濃移住地が80周年=第1アリアンサ=田中知事迎え記念祭=「県人の覚悟と使命感に感銘」

11月17日(水)

 長野県出身者が多く移住したサンパウロ州ミランドポリス市アリアンサで、最も建設の早かった第一アリアンサ地区が今年八十周年を迎えた。その記念祭が十五日、第一アリアンサ文化体育協会であり、十二日に来伯した田中康夫長野県知事が、同県知事として初めて同地を訪問。集まった約三百五十人を前に、「国から命じられたのではなくそれぞれの覚悟と意志で、ここに移り住んだ人々の高い使命感に感銘を受けている」と述べ、民間人が中心となって開発された本格的な移住地第一号の節目を祝った。

 一九二四(大正十三)年十一月二十日、長野県出身でレジストロ植民地から転住した北原地価造と、ほか大工、測量士らが開拓に着手したのがその嚆矢。公益民間団体だった信濃海外協会が建設し、開墾に当っては、北原に加え、キリスト教主義を掲げる日本力行会の二代会長、永田稠(しげし)、政府の棄民政策に疑問を抱いていた輪湖俊午郎二人の信州人が発展に尽力した。中産階級、大卒者の青年移住者が目立ち、文化活動が目立ったのも特徴。
 記念祭は、開拓先没者慰霊ミサで開幕。地元牧師の下桑谷浩さん(71)が進行した。永田が好んで歌ったとされる賛美歌「聖なる聖なる聖なるかな」を合唱。牧師は「信仰によって開かれた移住地」の創生期を、聖書や輪湖らの言葉から振り返った。
 続いた式典では第一アリアンサ日本語学校の生徒が、長野県歌「信濃の国」を披露した。長野県人の父を持つ田中嗣郎文化体育協会長(2世、65)は、「長野県庁、企業家ら多くの理解者の後援によって、永田氏が上院議員から二千二百アルケールの土地を購入し村を作ったのが第一アリアンサと呼ばれるようになった」と、その第一歩を回顧。一九四〇年代の最盛期には日系三百世帯を数えたが、「いまは一世が減り、百家族ほどになった。二、三、四世で仲良く団結して村を守り、次の開拓百周年を目指したい」と決意を新たにした。
 「今回の旅は長野県と、日本を見詰め直す旅だと思っている」とは田中知事。アリアンサ移住史について触れると、「(長野県移住者の)ミッションに当時の県が協力したとはいい難く、後ろ向きの支援であったことは反省しなければならない」と述べ、「移住者は国策でなく個人の覚悟と意志で移住し、長野県移住者は他県出身者も分け隔てなく受け入れた」と敬意を表した。その上で、「現在の歴史認識や、教科書記述は必ずしも正しくない。検証が必要」との認識を示した。
 また、山に囲まれた立地条件から保守的で自己の優位性を誇りがちな県民性であると認めながらも、「ブラジルには、世界を考えて貢献した長野県人がいた」と、国際的な視野をもって新天地に雄飛した県人の足跡を称えた。
 この日、ミランドポリス市議会は田中知事に対し名誉市民証を進呈。ジョルジ・デ・ファリア市長が手渡した。県内に二万を数えるという在日ブラジル人の子弟教育の環境整備に貢献があったとして、昨年ブラジル政府から南十字勲章を授与されている知事は、「希望を持つ者を選別せず受け入れてきた土地からの名誉市民証は、それより栄えあるもの」と喜んだ。
 長野県人会アリアンサ支部長で高齢者を代表した新津英三さん(89)は「私と同じく十年目に移住した仲間は二、三人が生存するのみで、大半が本日の光栄に浴せなかったのは無念。日本人コロニアは三十年経つと滅びるという風説があったが、ここはなんとか生き残った。『アリアンサは大学を作って初めて完成する』と永田氏はいっていた。高学歴の子弟が村に戻ってきて農業をやるケースも目に付く。大学も決して夢でないと思っている」と、熱い思いを訴えた。
 記念祭は日本語学校の生徒による竹太鼓演奏、知事に同行した長野県のソプラノ歌手、桑原伊づみさんが唱歌「ふるさと」を独唱、最後はケーキカットで終了。一部始終を見守ったアリアンサ最初の日系二世、蓮沼裕さん(76)は、「NHKでも観たことのある有名な知事がわざわざ来てくれたのはありがたいこと。忙しい身なので来ないのではと案じていた。八十年の歴史を持つ日本人村を視察してもらって光栄です」と話していた。

長野県人会、45年祝う=知事祝辞に会場沸く=サンパウロ市

 十四日午前にはサンパウロ市内の北海道協会交流センターでブラジル長野県人会の創立四十五周年記念式典が、田中康夫知事、古田芙士県議会議長ら九人の慶祝団と高野リカルド・アルゼンチン長野県人会会長が出席する中、行われた。
 当日はレジストロ支部など各支部から多数の県人が集まった。セルジオ・デ・メーロ・ピメントン州知事代理、羽藤ジョージ・サンパウロ市議会代表、石田仁宏総領事、上原幸啓文協会長、和井武一援協会長、中沢宏一県連会長、各県人会代表ら来賓が信州県人の歩みを称え、県人会の「四十五歳」を祝福した。
 石井賢治県人会長は県知事一行の来伯に感謝した上で、「信州人の心をもって、さらなる発展に努力したい」とあいさつ。
 田中知事は祝辞を「ボンジア」とポルトガル語で切り出し、広く全国から参集した会員から「信州を思う熱い思い」を受け取ったとし、「日本にはブラジルに移住した人々と同数の日系人がおり、我が県にも二万人働いている。四人に一人が学齢期に就学していない現状を憂慮し、ポ語の幼稚園を設け、後に正規な就学が出来るよう配慮している」と述べた。また、同県のデカセギも「信州人」と位置付け、会場から拍手が浴びた。
 式典では功労者として松崎慶紀さんら四人と八十歳以上の高齢者百五十九人が表彰され、百三歳の原登志さん、本山喜久雄さんらは、知事から直接記念の品を受け取った。
 式典後は記念午餐会、続いて記念アトラクションがあり、田中知事は最後まで会場と一緒に和気あいあい、締めくくりのサンバ・ショーではダンサーと踊り出す一幕もあった。

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