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リオのカーニバル=P・ペドラ百周年祝う=福川総領事も浴衣姿で=日系400人がサンバ!

ニッケイ新聞 2008年2月7日付け

 「太陽の生まれる国、ニッポンが私たちを照らす」―。サンパウロのカーニバルで日本移民をテーマにした「ヴィラ・マリア」に続き、リオでも三日、「ポルト・ダ・ペドラ」(ウベラン・デ・オリベイラ会長)が百周年をサンバのリズムで祝った。八台の山車は様々な〃ニッポン〃をテーマに飾られ、約三千五百人が絢爛豪華な衣装でパレード。日本を賞賛するエンヘード(テーマ曲)が会場に響いた。最初の移民船をモチーフにした山車「笠戸丸」には、福川正浩在リオ総領事が浴衣姿で会場に手を振り、周りをパラナからの参加者もあった約四百人の日本人や日系人の隊列が囲み、ブラジルの一構成員である日系社会を表現した。
 本場リオのカーニバルでスペシャル・グループが日本をテーマにするのは、今回が初。昨年は十三チーム中、十位だったポルト・ダ・ペドラは日本移民百周年を機に巻き返しを狙った。
 ブラジルでも大人気のアニメ、黄金の大仏、招き猫、宇宙服でテクノロジーを表現するなど、様々なアイデアを満載した八台の山車と共に、芸者や武士、農業に貢献した日本人を顕彰し、野菜をイメージした衣装に身を包んだ参加者ら三千五百人がパレード。
 笠戸丸の山車に乗ったリオ日伯文化体育協会の鹿田明義会長は、「すごい迫力だった」と興奮した様子で話し、「ブラジル国内外にも百年ということを知ってもらうことが出来たのでは」と喜んだ。
 パラナ州からは、クリチバ、ロンドリーナ、マリンガ三都市から、バス三台で百五十人が参加。
 呼びかけを行なった西森ルイス州議は、明美夫人と参加した。
 「私たちも楽しんだし、やってもらって光栄という気持ち」と話し、世界四十カ国以上に衛星中継されたことに「ブラジル日系社会の存在もアピールできた」と六月の百周年本番に向け、気持ちを引き締めていた。

ブラキチ3人もリオを満喫

 東京近隣の大学サークルで作るサンバチーム「ウニオン・ドス・アマドーレス」のメンバーも「ポルト・ダ・ペドラ」のパレードに参加、ニッケイ新聞の取材にそれぞれの感想を語った。
 リオ州立大学に留学中の岡千晴さん(21、岡山県、東京外大)は、小太鼓カイシャで打楽器隊に参加した。サンバ歴は三年。
 「打楽器隊という男の世界だったし、あまり上手くもないので…」。最初は練習の参加にも多少遠慮気味だったが、そこは日本人の勤勉さと熱意で乗り切った。
 「今年になってから、ほとんどサンバの練習に行くだけの生活。皆勤賞ですよ」と笑いながら、本番までを振り返る。
 「ウニオン―」の打楽器隊のリーダーで、サンパウロ大学に留学中の仲啓志さん(22、埼玉県、東京外大)は、昨年憧れだったサンビスタに出会い、出場を決めた。
 練習のため、サンパウロ・リオ間を往復する日々を数カ月送り、打楽器隊の花形であるタンボリンでパレードに参加した。
 二人は、地元テレビ局の取材などで、日本をアピール、チームの〃広報担当〃も受け持った。
 浅草サンバカーニバルの出場経験もある岡さんは、「グルーブ感がやはり凄い」と本場の迫力を感動冷めやらぬ口調で話し、仲さんと笑顔を見せた。
 二人の先輩を観客席から見守った青柳智里さん(18、千葉県、早稲田大)は、今年から仲さんを引き継ぐこともあり、一月末から二週間の予定で初めての海外となるブラジルを訪れた。
 カーニバルに浮かれる街の雰囲気も楽しみながら、「ポルトガル語も勉強したい。今回感じたブラジルのエッセンスを仲間たちに伝えられたら」と東京での活動に意気込みを見せていた。

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