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2回目の百周年感謝状贈呈式=ブラジル社会の功労者らに=日本人移住の成功を確認=百周年の最終イベント

ニッケイ新聞 2009年10月14日付け

 百周年の最終イベントとして、政治家や官僚などのブラジル社会側の協力者および主催者への感謝状贈呈式が9日夜、文協大講堂で行われ、約180人が受け取った。首都からも連邦政府の百周年執行委員会のフランシスコ・マウロ・デ・オランダ執行委員長が出席したほか、伯日議連の飯星ワルテル会長、ウイリアム・ウー副会長、連邦高等労働裁判所の小野フェルナンド英三判事、ジョゼ・ルイス・ポルテーラサンパウロ州交通局長官、クラウジア・マタラーゾサンパウロ州百周年委員会代表らが出席し、一般社会ともども全伯規模で百周年が祝われたことを再確認する催しとなった。

 6月に行われた第1回目の感謝状贈呈式では、サンパウロ市サンボードロモの百周年式典の裏方や芸能などに協力した約1万8千人に送られた。実行委員の一人、重田エウゾさんによれば、今回は413人に招待状を出し、うち約180人が出席した。
 最初に、文協コーラス部とともに日伯両国歌を斉唱し、上原幸啓理事長はダルマに二つ目の黒目を書き入れ、祈願成就を祝った後、「百周年で日本移民は十分にオメナージェンされた。日本人移住は価値があった」と語り、「全ての協力者に感謝をささげたい」とのべた。
 山下譲二文協会長代行は、「百周年で何冊の記念本が出版され、写真が残されたか。これらは史料館に特別の棚を作って保存し、末永く後世に残すべき」と挨拶した。
 司会から「ルーラ大統領、メルカダンテ上議、ジウマ・ロウゼフ官房長官、パウロ・スカッフィサンパウロ州工業連盟会長からもメッセージが寄せられた」との説明もあった。
 サンパウロ市議会を代表して羽藤ジョージ市議は「まったくの異文化の中で畑を耕すことから始めて、この国に富をもたらした日本移民の成功は否定できるモノではない。全ての市議の名において、百周年の成功を宣言したい」とのべた。
 ポルテーラ長官は、4月にメトロ新車両導入式に続いて、「日本人の特長である計画性を、サンパウロ州政府が共有していることを誇りに思う」などと日本語のみで挨拶して、一同の度胆をぬいた。
 大部一秋在聖総領事は2014年のサッカーW杯、2016年のリオ五輪、そして2022年のブラジル独立200周年と重要イベントが目白押しであることを強調し、「百周年で強化された日伯の関係は、今後国際社会の中でますます重要なものになり、それに伴って日系社会の存在も重要になる」とのべた。
 オランダ連邦百周年執行委員長は「伯外務省に30年間務めているが、百周年は最も印象深い出来事だった。サッカー、サンバ、ペトロブラスなど世界に誇れるものは多々あるが、日系社会の存在は間違いなく、我が国の許容量を示す重要な価値を示すものだ。岩塩層下油田、大豆と同じくらい我が国の建設に貢献している。皇太子殿下が来られたとき、なんの打ち合わせもなしに一般国民が各地で大歓迎したのはそのあかしだ。この友情に感謝する」などと感激した面持ちでのべた。
 続いて飯星伯日議連会長は「次の百周年を築いていきましょう。日伯の絆を深めることができれば、世界の絆も深まる」と呼びかけた。
 昨年のカーニバルで百周年をテーマに見事なパレードを繰り広げたサンバチーム「ヴィラ・マリア」のセルジオ・フェレイラ会長ら約180人の名前が順々に呼ばれ、壇上で感謝状が渡された。
 受け取った人を代表してブラジル本田の広報ロベルト・モレノさんが「サンパウロ市式典の朝、雨のサンボードロモを思いだす。あれは収穫の雨だった」と締め括り、感謝状への礼をのべた。一同は大サロンに移って立食しながらともに祝った。

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