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「移民の父」水野龍を顕彰=サンパウロ市議会が名誉市民章贈る=亜国、クリチーバから子孫迎え

ニッケイ新聞 2010年6月23日付け

 第一回移民船「笠戸丸」がサントス港に着岸してから102周年となる6月18日、笠戸丸移民を送り出しブラジル日系社会の歴史を開いた「移民の父」、水野龍(1859―1951)に再び光が当たった。サンパウロ市議会は「移民の日」の18日、水野の功績を称えて名誉市民章授与式を開催。式典にあたり亜国ブエノス・アイレスから娘の水野・野村・妙香さん(82)一家、パラナ州クリチーバから三男の水野龍三郎さん(79)一家が来聖し、亡き父親に代わって証書を受けた。

 水野龍への名誉市民章授与は羽藤ジョージ市議起案の法令によるもの。18日午後7時半から市議会貴賓室で行われた授与式は、ブラジル日系協会、汎米ブラジル日系人協会が後援。水野の子孫はじめ議会関係者、大部一秋在聖総領事夫妻、日系団体関係者など約150人が出席した。水野が信者だった本門仏立宗の僧侶や、水野についての著書があるテレーザ・ハツエさん、出身県の高知県人会関係者、中井貞夫サントス市議、移民開始当時のブラジル大統領アフォンソ・ペーナの曾孫も訪れた。
 最初に、移民百周年の2008年6月18日に水野の生涯を取り上げたNHK番組「その時歴史が動いた」が上映された。
 「移民は共存共栄の事業なり」と題した同番組は、移民会社の搾取が横行した時代に皇国殖民会社を立ち上げ待遇改善に努力した水野の横顔、笠戸丸移民の実質的な失敗後ブラジル移民が本格化していった歴史、77歳でパラナ州ポンタ・グロッサにアルボラーダ(曙)植民地を創設し困窮した移民を助けたこと、毎朝の読経で笠戸丸移民の名を読み上げ冥福を祈っていたという晩年の姿などをたどったものだ。
 続く式典で、自身も笠戸丸移民の子孫で同式典開催に尽力した池田マリオさん(元連邦警察署長)は、現在も様々な評価がある水野に再び光が当たったことを喜び、「移民の平和と繁栄を願った平和主義者だった。その結果、現在の150万日系人の平穏な暮らしがある」とその功績を称えた。
 羽藤市議から証書を受け取った龍三郎さんは、「家族一同驚き、そして満足している。父はすべてを忘れても、植民地建設の夢は忘れなかった。(受章を)父も喜んでいると思う」と述べた。

水野の勲章、羽織袴=息子、娘が史料館に寄贈

 現在ブエノス・アイレス在住の妙香さんは夫の野村義夫さん(84、二世)、長女のルーシー・サダエ・ノムラ・ヨシノさんと来聖。15日、ブラジル日本移民史料館を訪れた。
 妙香さんは56年、コチア産業組合で働いていた野村さんのブエノス・アイレス支店勤務に伴い亜国へ引越し。現在も同地で暮らす。この日は、水野が使っていた家紋入りの羽織袴、自筆の扇子や、昨年の宮崎県人会60周年式典で受けた表彰状などの品を寄贈した。「うちにあっても、値打ちのあるものではないから」と野村さんは話す。
 水野は1941年、植民地の資金調達のため訪日したが戦争が始まり、再びブラジルへ戻ったのは91歳になった戦後の50年のことだった。残された夫人の万亀(まき)さん(96年に97歳で死去)、妙香さんら家族はクリチーバに戻り、農業に従事し、苦しい生活が続いたという。
 「ブラジルにいた頃は、大使が代わる度にリオから4、5人が車であいさつに来ていました。その時は話し方も全然違っていましたね」と振り返る。「男の兄弟には厳しかったけど、私は女の子で、勉強もしていたから優しかったですよ」
 酒は飲まず、煙草は一本を半分にして吸っていたという父親。カスカベルの黒焼きや濃縮乾燥させたグァラナを粉にして毎日飲んでいたそうだ。ブラジル移民開始とともに、「カフェー・パウリスタ」を通して日本にコーヒーを紹介した水野は51年、92歳で死去した。
 父親が「移民の父」と呼ばれていることについて妙香さんに感想を聞くと、「難しいですね」。野村さんは「日系社会より、ブラジル社会で功績が認められている」、ルーシーさんも「先見性があったと思います」と引き継いだ。野村さんによれば、サンパウロ400年祭の際に市建設に功績のあった人物230人余りを掲載した記念雑誌で、日本人として唯一選ばれたのが水野だったという。
 式典当日は、龍三郎さん一家とともに文協で行われた先亡者追悼法要に出席後、池田マリオさんとともに史料館を見学した。はじめて訪れたという妙香さんは、8階に設置された父親の胸像を見て「似てないですね」と話していた。
 式典翌日の19日には、龍三郎さんが保管していた移民25周年で水野が受けた勲章と勲記が、龍三郎さんにかわり野村夫妻から史料館に寄贈された。

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