ホーム | 日系社会ニュース | 寄稿=大統領選挙=トップに躍り出た庶民候補=マリナ・シルバとはどんな人?=(上)=駒形 秀雄
マリナ候補(Foto: Alexandre Severo/ PSB (25/06/2914))
マリナ候補(Foto: Alexandre Severo/ PSB (25/06/2914))

寄稿=大統領選挙=トップに躍り出た庶民候補=マリナ・シルバとはどんな人?=(上)=駒形 秀雄

 カンポス候補が劇的な飛行機事故で去った後、急きょマリナ・シルバがPSB(社会党)の大統領候補に選ばれました。その辺の街中や、満員バスの中で見かけるような風采のマリナが「大統領候補? マジですか? 彼女で票が集るのですか?」―そう思った人が多かったでしょう。ですが、交代直後の世論調査でマリナの登場は大うけ。それまで10%を超えられなかったカンポスの数字を軽く超えて20%以上の支持率を得ました。更に、名前が全般に知れ渡った8月末の調査では何と、34%と支持率を上げて、現職大統領ジウマの34%に並んだのです。その上、決選投票になった場合、マリナに投票する人が50%、ジウマに投票する人が40%と言う結果が出て、それまでぼんやりとしていた「マリナ大統領」の画像がはっきりと見えて来たのです。

 ところが「で、その〃大統領〃マリナってどんな人?」となると、多くの人はあまりよく説明出来ないのです。
 アマゾンの西の果て、ジャングルの中で生まれ育ったマリナは、経済の中心サンパウロなどに現れることが少なく、まして日系の人にはあまり接する機会も無かったのだから、無理もない話しです。
 虚々実々、実弾も飛び交う選挙戦事情紹介の前に、今回はまずマリナ候補の生い立ちや、その考え方などを皆様に紹介することに致しましょう。

密林で過ごした少女時代

 マリナは1958年2月8日、アクレ州リオ・ブランコの郊外で生まれました。アクレ州と言ってもどこにあるか分からない人が多いでしょうが、アマゾン河の上流でペルーと国境を接する奥地です。生まれた所は産院などに行けないので産婆の心得のある祖母に取り上げて貰いました。
 兄弟は全部で11人の子沢山、父は密林の中にあるゴムの樹から樹液を採集する仕事(Seringueiro)でしたので、マリナも10歳頃から家の借金返済のため、父と共に働きました。

アマゾンで病弱に育った幼年時代

 15歳の時に、ろくに医者の手にもかかれなかった母を失い、マリナ自身も肝炎(Hepatite)に侵されていますが、掛かった医者(?)がマラリアと誤診して手当てを誤り、何度も生死の境をさまよいました。
 この頃二人の姉妹を次々と無くし、また、マリナも肝炎、マラリア、熱帯性疾病などにかかり、本当に苦しい少女時代を過ごしたのです。今でもひ弱そうな印象を与える容姿は、この苦難の時代の汗と涙の名残なのかも知れません。
 1974年、神父に救われてリオ・ブランコの修道院に入り、その後、最初に行き会った働き口は家庭の女中奉公の仕事でした。こんな訳でマリナは正式な学校へは行っていませんでしたが、16歳の時、成人に読み書きを教える講座(Mobral)に入り、ここで文字の基礎から習い始めたのです。
 1980年、最初の結婚をし、2人の子供を得ましたが、5年後に離別。翌年同じ運動に参加していた農業技術者と結婚し、更に2児をもうけました。この夫ファビオはサントス生まれの立派な人で、現在まで共に生活しております。マリナは学業の方はその後も熱心に続け、働きながら1984年、26歳でアクレ連邦大学(歴史学)を卒業。その後、首都ブラジリアの大学で教育心理学などの学部も卒業しております。

恵まれない人のための政治活動始める

 マリナはこの様に医療でも学業でも恵まれない階層の人の悲哀を、身をもって経験しています。何とかこのような人達の精神、生活を向上させようと、若いときから社会活動に参加して来ました。1988年、周囲に推されて市会議員になり、1990年には州議会議員となりました。
 地方議会ではマリナのような〃社会派〃は少数派でしたが、議員の手当てを増やす〃お手盛り決定〃を指弾し、不当に受けたお金を議会に返納させるようなこともやっています。
 1994年には36歳、最年少で上院議員に選ばれ、2002年に再選されています。(つづく)

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