ホーム | 文芸 | 短歌 | ニッケイ歌壇(505)=上妻博彦 選

ニッケイ歌壇(505)=上妻博彦 選

      東京都        伊集院洋介

リオ五輪日の丸の旗するすると群青の海に昇りて行くよ
一切の功徳を合わせ妙の字にならせ給えと祈る年の瀬
妙という字は細やかで美しき物の心に優しく解れる
  「評」日本在住の方よりの作品。ニッケイ新聞の文芸欄を御覧になっておられる様子。以前にもお手紙を頂いた。しっかりした骨格をなした作品だと御見受けする。

      バウルー       小坂 正光

全国の女子高マラソン熾烈なるトップを競い広島世羅勝つ
初優勝の全国女子高マラソンの広島世羅の向井は泣き伏す
乙女とて若き青春を謳歌して女子高マラソンに一途の力走
厳かに気高き民よ皇居にて歌会始めの選歌詠まるる
キラ星の如く皇族座し給い雅(みやび)の国の歌会始め

 「評」『熾烈なるトップ競い』の三首、『向井は泣き伏す』『一途の力走』こうした映像の中から切り取った言葉が、競技に参加している様な臨場感を読む者に伝えるのに成功している。歌会始めの二首も、襟を正した日本人ならではの心の目で捉えている。特に『雅の国』は佳い。

      サンパウロ      坂上美代栄

札束を吐き出すパイプ写されし汚職まみれのペトロブラスよ
大物に小者絡まりあばかれしあちらこちらに火の粉が散れる
汚職の根掘ればどこまで行くのやらニュース聞くのもほとほと厭きる

『ペトロブラス』は半官半民のブラジルの石油会社。明るみに出た汚職問題が政治家にも絡み、2014年3月から連邦警察が行っている汚職一掃作戦(ラヴァ・ジャット)は現在も続いている。 (写真はペトロブラス社の石油貯蔵庫 (Rovena Rosa/Agencia Brasil))

『ペトロブラス』は半官半民のブラジルの石油会社。明るみに出た汚職問題が政治家にも絡み、2014年3月から連邦警察が行っている汚職一掃作戦(ラヴァ・ジャット)は現在も続いている。
(写真はペトロブラス社の石油貯蔵庫 (Rovena Rosa/Agencia Brasil))

闘病時祈りてくれし孫二人その子世話するほど癒さるる
孫と住み好都合やら不都合もどんどん付きしお腹の脂肪

  「評」ある『日系の大佐』が、これからは、ぴしぴし次々と汚職を引きずり出して行くと言ってくれたのは、もう二年にもなる。軍政ではなくとも、こうした所に軍が動くのは、まともだと思う。曾孫の世話をする健康を祝したい。

      サント・アンドレー  宮城あきら

戦乱の果てぬシリアを逃れきし難民幾万国境の街
トルコ沖に難民の子の溺死体ボートは沈み星暗き夜
難民ら石くれの道を幾十里開門待ちわぶ欧州の壁
バルカンを越えてギリシャへ欧州へ彷徨う人ら新しき年も
戦乱の悲しみの底ひたぶるに生きとし生ける命いとしむ

  「評」この人の『生きとし生ける命』をいとしむ心は真底からのものである。どの作品にも、その思いが実感として滲み出ている。だから『新しき年も』と言っているのだ。

  サンジョゼドスピンニャイス  梶田 きよ

移民とう意識も遠く何となく楽しく迎う今日お正月
お年玉に少女クラブを頂きしこと想い出すバストス時代
吉屋信子、山中峯太郎の作品を読みしはなんと八十年前
NHKの歌誌を見ていて出会いたる小塩卓哉の写真はまぶし

 「評」吉屋信子をなんと八十年前に読んだ人、移民の意識もおぼろとなりつつあると、そして今一つ迎えるこのお正月が何となく楽しいのである。今回は四首の作品に、氏の写真も添えていた。紅いの櫻の大樹の下での物、物静かで品の有る方である。

      カンベ        湯山  洋

コーヒーを種から育てシーカラまでこの道程には人生がある
※『シーカラ』とは、ポルトガル語で把手のついた茶碗のこと。ここではコーヒーカップを意味する。
春の雨コーヒーの苗植え付けてしっかり育てと夢を託する
真白きコーヒー若木の花衣ベールを被った花嫁姿
カロッサにコーヒー袋と息子積み唄って帰る夕暮の道
※『カロッサ』とはポルトガル語で荷車のこと
粒選りの豆でいれたるこのコーヒー味の良さより感慨無量

  「評」移住者としての道程がコーヒーの生育になぞらえている。特に三首目、作者自身の目に焼き付いた記憶なのかも知れない。五首目、『粒選り』『味の良さ』これだけの意味ではない、日頃の氏の作品に見える、人生の肯定と納得の歌だと思う。

      サンパウロ      相部 聖花

元旦は上天気にて初仕事洗濯をする訪う人なければ
三笠宮百歳におなり百合子妃と共に和歌など詠まれるときく
三笠宮戦後は文化活動に励み盡くさる幾星霜を
朝六時まだ薄暗く秋立つをほのかに感じ起き出づるなり
街路樹のクワレズマの花はや咲きてはなびら散らし路をいろどる

  「評」何んと言っても、こうした静謐なたたずまいが自ずと湧きいでてこそ、短歌の世界に浸ることが出来ると私は思う。

      サンパウロ      武地 志津

傷癒えぬままの遠藤、照の富士奮わぬさまを見つつ痛まし
力強い相撲が魅力の照の富士怪我の悪化か精気見られず
小兵なる嘉風関が土俵際足とり技に豪栄道破る
古傷を抱えつ又も照の富士鎖骨骨折やむ無き休場
初場所を大奮闘の琴奨菊に望み繋ぎて後半に入る

  「評」いよいよ初場所も終盤、今回も稀勢里にはガックリ、変って琴奨菊が対決となるが、豊島も虎視眈々。

      サンパウロ      武田 知子

食べ歩きトンネル多きリオの街ホテルは飽きて日本食へと
コパカバーナよりイパネマと浜伝いそぞろ歩けば人種様々
ライーニャと渾名の孫は三食を日頃外食客も外食
どの部屋も天井よりの微風にも暑さに弱き娘は帰聖乞う
旅を帰りミニ門松の迎へ呉れジャスミン風呂に四肢を伸ばしぬ

  「評」この人の作品に接する時、小生の深読みかとも思いつつも、『真実と事実』を深層に抑えながら、その狭間で作品をなしている様に思うのである。あるいは、贅を窮めても消えない事実を抱いているのかも知れないと。

      グワルーリョス    長井エミ子

新年の打ち上げ花火開きたる中をゆうゆう旅客機の浮く
山鳥の姿形の見えねどもさえづりすがしおおあしたかな
顔のしわ何本増えたと問うてみる家のカガミと初春の日に
子を思い行く末思い暮れた年今年は汝と白雲見たい
雨雲の重きかいなにいだかるる貯水池あるも元旦(ひとひ)水無し

  「評」口語短歌と言いたい所だが、この人の作品は文語体に読み替えても可能な内容を含んでいる。そこここにあまりにも点数短歌が流行っている。

      サンパウロ      武地 志津

この年の賀状の中に数枚の世界遺産に登録の富士
立体のはがきは北陸新幹線洒落た車体の迫るがごとし
開通を祝すかに舞う満開の桜の花びらひらりはらりと
ブラジルの現状憂える東京の友が電話に気遣いくるる
政界の絶える事なきスキャンダルお決まりのごと紙面を汚(けが)す

  「評」芋蔓の様にでて来るスキャンダルにうんざりしている、こんな時こそ若者達のマニフェストが起こらなければならないと思うのに、国外からも新聞社あたりにプレッシャーがかからないと、五輪も危ぶまれる。