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「ある日曜日」(Um Dia de Domingo)=エマヌエル賛徒(Emanuel Santo)=(18)

(2)アナ・バロスの母親だという女について
 本名はクララ・フォンターナ。52歳。名前から明らかなように、この女はアナ・バロスの母親ではない。
 ウチの会社が使っている興信所の人間に、女が出入りしているマンションに行ってもらい、そこの守衛に少しばかりのチップを渡したら、全部しゃべってくれた。ご存じのとおり、ブラジルのちょっといいマンションでは、居住者と使用人は、出入り口や使うエレベーターが違う。その守衛は、毎朝、出勤する女中たちから身分証明書を預かり、彼女らが帰る時に、勤め先の家庭から何も盗んでいないか検査してから返している。クララ・フォンターナは、毎日そんな風にチェックされている通い女中の一人だ。
 彼女は、そのマンションの10階で働いている。そこは元々、5年ほど前に交通事故で死亡したサントスという夫婦が所有していたが、今は、その夫婦の養女であるカロリーナ・サントスとその子供だけが住んでいる。
 もうお分かりのとおり、リカルドの妻アナ・バロスがもっていた出生証明書に記載されたカロリーナ・サントスとその子供は、クララ・フォンターナが女中として働いているマンションの住人だ。
(3)アナ・バロスについて
 写真に写ったアナ・バロスは、カロリーナ・サントスにそっくりだ。一卵性双生児というやつだ。姉妹の苗字が違うのは、カロリーナの方がサントス家の養子になったからだ。
 アナ・バロスについては、カロリーナの姉という以外の情報がつかめない。リカルド田中との「お見合い」が決まってから、どこかからサンパウロに出てきたのかもしれない。
(4)カロリーナ・サントスについて
 サントス夫妻の養子だったカロリーナは、1999年にサンパウロ大学を卒業したあと、市内にある日系の旅行会社グローボ・トラベルで一年ほど働いている。
 その会社に勤めている俺の知り合い(名前は○○××)からの情報によると、カロリーナは、勤務成績が優秀と認められ、将来の幹部候補として、2001年1月から10カ月ほど日本で研修を受けるチャンスを得た。知ってのとおり、最近ブラジルの日系企業では、管理職レベルの日系人まで出稼ぎに行ってしまうため、その穴埋めとして優秀な外人の養成を急いでいる。
 ところが、日本に行ったカロリーナは、会社の期待に反して、研修を修了する前に会社に退職を申し出た。その辺のいきさつは東京にあるその会社の支店で聞いてもらいたい。住所と電話は、○○××。
 会社を辞めたあとのカロリーナの日本での足取りは、こちらではつかめない。
 彼女は、翌2002年の3月頃にはブラジルに帰国し、以前と同じくサンパウロのマンションに一人で住んでいた。
 サントス夫妻が死亡した時、まだマンションのローンが残っていたらしいが、彼女は日本で稼いだらしい金で残額すべてを完済している(ブラジルでは日本と違い、住宅の所有者が死亡すればローンをチャラにしてくれるような結構な保険は普及していない)。
 また、これは興信所からの情報だが、カロリーナは、同年の9月2日にサンパウロ市内の病院で長男を出産している。名前は、出生証明書のとおりペドロ。少し難産だったので、南米の産婦人科医の常識ですぐに帝王切開の措置をしたらしい。出産日から逆算すると、彼女が妊娠したのは、まだ日本にいた頃と思われる。

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