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自伝小説=月のかけら=筑紫 橘郎=(7)

 侍従長役、やおらお立ちに成り、三名の侍従を従えて、先程ご登場の方角に退散なさいます。笹山部長は、侍従長殿退出後、海魚に(扮した)役者に囲まれて船員乗客から祝福をお受けに成られる。船長代理は航海許可証書を捧げながら、うやうやしく目上に戴き、船員および出演者と喜びあい、舞台から下がって行く。目出度し、目出度しで幕となった。
 そのように、ひょんな事から赤道祭の侍従長を見事務めあげた千年太郎で有った。
 その後、大西洋を南下一路。ブラジルの玄関口真水と海水の交わる大河アマゾナス河口の広さに驚きながら河上へ「逆昇り」でベレン港へ。ここは既にブラジル国である。
 ここではアマゾン移民数百人と抱き合い、肩を叩きあい別れを惜しんだ。また逢えるのか、ここで今生の別れと成るか。特に、千年君には小学校から新制中学校までの同級生、久保田照代さん(彼女は家族移民)と「また再会いできる日を楽しみに」とお別れを惜しんだ。
 それからブラジル沿岸を南下。次にブラジル第二の寄港地レシフェ港に寄港した。ここでも積み荷卸しと北東伯移民組の今後の幸運を願い、皆さんと涙のお別れシーンを演じた。さらに市内観光、古い町らしくカトリック寺院の堂々絢爛たる建造物に圧倒されて一昼夜を明した。
 そして、いよいよブラジル国首都リオ・デ・ジャネイロ港に向かった。
 世界三大美港の一つで、ブラジル共和国の首都リオ・デ・ジャネイロ港の素晴らしい眺めに、こんなきれいな国に奴隷がなぜに住み、バナナにコーヒー、サトウキビ畑がどこにあるのだろうか。戦後日本の「井の中の蛙」の我々は、ブラジルの奴隷時代を知らないから、そんなことが不思議に思えた。そんな風に思えるような美しい大都会ではないか。その素晴らしい港町で、港の入り口にそびえたつ岩山(ポン・デ・アス―カル)にケ―ブルカ―で昇り、眼下の港町を見下ろすと、我らの移民船「ぶらじる丸」や、当時は小さかった飛行場が鮮やかに見えた。
 次は急斜面を電車で途中まで行き、それから徒歩でどのくらい昇ったろうか。海が一望できる岩の上に二十メートルもあろうかというコルコバードの丘のキリスト像が、両手を広げた立ち姿は威風堂々であった。きっと、世界の平和を祝福するのであろう。その足もとでのんびり写真に収まり、一日市内観光を楽しみ、夕刻ぶらじる丸に戻り、移民船最終一夜を惜しんだ。日本を出てから四十四日目の思い出深い、印象に残った寄港地となった。
 船上から何時までも夜空を未練がましく眺めていると、南十字星の近くから流れ星がすーと光りの尾を一筋引いて消えた。真夜中の零時であった。寝室に入り眠りに着いた。ひと眠りしたかと思ったら大きく気笛が、特に大きく聞えた。窓に夜明けが見えた。皆がざわざわと起きだしてゆく。「そうだ、ここはサントス港ではないか」。急いで出て見た。大きな港の様である。ゆっくりゆっくりと港に近づいている様だ。沢山の大中小の船がお目覚めか、動きはじめている様だ。そうだここは世界に名高い噂のサントス港、大きいのは当たり前だ。
 乗組員さんに尋ねたら、「まだ岸壁に横づけするまで、四十五分くらいかりますよ。手荷物の整理でもして置いてください」とのこと。皆な忙しくなってきた。係員が連絡に来た。「今はまだ六時です。今日は朝食が三十分早くなりました。手荷物の用意が出来た人は七時半から朝食を取ってください。そして朝食の済んだ人から、甲板に手荷物を持って八時半に全員集まって二列に並んで下さい」とのことだ。

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