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ルポ=ジョアン・デ・デウスの館に集まる人々=心療治療の知られざる現実=記者の前でハサミ刺して治療

カーザの入り口

カーザの入り口

邦字紙初! カーザ内を取材=治され、癒された人たちの声

カーザ内の庭で休憩する患者達

カーザ内の庭で休憩する患者達

 「麻酔も使わずに患者の体にメスを入れて、手術するんだ。でも誰も痛がったりしないんだよ。皆白い服を着ててね。あそこは本当に不思議なことが起こる場所だ」――カーザ・ドン・イナシオ・デ・ロヨラの存在を知ったのは2015年、ミナス州のサンロレンソ市だった。そこで出会った不法滞在のノルウェー人青年は、2年間ボランティアとしてカーザで働いていたという。そこは「ジョアン・デ・デウス」と呼ばれるブラジル人心霊治療士が施術をする館として有名なところだ。「君も行ってみるといい。あんな場所、ほかにないよ」と活き活きとした瞳で語りかけられた3年後、とうとうカーザに行くことが決まった。(國分雪月記者)

実は日本人になじみのある館名

 ジョアンの本名はジョアン・テイシェイラ・デ・ファリア。カーザ公式サイト(http://joaodedeus.com.br/plus/)によると、1942年、ゴイアス州のカショエイラ・ダ・フマッサ村のカトリック家庭に生まれた。同州イタパシ市の小学校に通うものの、家計を助けるために働くことを余儀なくされる。
 9歳のジョアンが母親とノヴァ・ポンテ市に訪れた際、災害を予知し難を逃れたことが霊媒能力の始まりだった。
 翌日、不思議な光などの導きによりセントロ・エスピリタを訪問する。そこでソロモン王を霊媒し、人々を助け始めたそうだ。現在ではソロモン王を含めた約45のエンチダーデ(聖霊)が、ジョアンを霊媒として降りてきて人々の『治療』を行なっている。ジョアンは国内外の多くの取材に対し、「治療するのは私ではない。神と聖霊が治療するのだ」と語っている。
 1976年、ジョアンは聖霊の1人、聖ドン・イナシオ・デ・ロヨラの導きによりゴイアス州アバヂアニアに『カーザ・ドン・イナシオ・デ・ロヨラ』を設立した。以来、聖霊と共に治療を無償で行なっている。
 施設名になっている人物は、日本語で「イグナチオ・デ・ロヨラ」(1941―1556)。そう、日本にキリスト教を初めて伝えたイエズス会の創立者、初代総長だ。彼はカトリックの聖人でもある。

ヨーロッパ白人や中国人、日本人駐在員も

ジョアンの友人であり、仕事を50年手伝っているジョアキンさん。カーザ入口付近でお菓子販売などしている

ジョアンの友人であり、仕事を50年手伝っているジョアキンさん。カーザ入口付近でお菓子販売などしている

 5月30日、カーザ公認のガイドとして働く村上スザンナさんのツアーに参加し、ゴイアス州アバヂアニア市へ。ブラジリアから約1時間半程度、終結を迎えつつあったトラックスト参加車が道脇にたくさん停められ、横では運転手らが休憩していた。
 同市はブラジリアから75キロ、人口1万7千人の小さな市だ。町の中央を通る国道60号線から北に伸びるクアトロ街、途中から名前がフロンタウ大通りと変わる道路の北側にカーザがある。その周囲は、まるで門前町のように宿泊施設や土産品、飲食店などがたち並ぶ。
 道路の南側が、カーザとは関係のない一般市民の居住区となる。
 ポウザーダに到着した一行は昼食後、全員白い服を身にまといカーザに向かった。
 フロンタウ大通りで特に目立つのは天然石の販売店だ。村上さんによると、「ジョアンが持つ農場、またカーザを中心とした土地の下には水晶があり、土地自体が浄化されている」という。
 カーザに近づくほど、白装束の人が増えてくる。健康そうな人、車椅子や義足の人、腕にギプスをはめた人、ひどい肌荒れの人や高齢者など様々だ。ヨーロッパからの白人や、韓国人、中国人も多い。日本人駐在員も4人ほど訪問していた。
 青と白で統一されたカーザ内には本屋、軽食店、水や薬の販売所などがある。ほか、見晴らしの良い展望台の前にベンチが並ぶ庭、死者に祈るための小屋である「カーザ・ダ・リタ」、また各所にカーザのシンボルでもある三角形の木枠がある。三辺にそれぞれ「フェ(信仰)」、「アモール(愛)」、「カリダーデ(慈愛)」という意味がある。木枠にはカーザに来られない人の写真や願い事を書いた紙が挟まれている。

まず水晶ベッドの洗礼

 村上さんに連れられ本屋に行くと、まずバーニョ・デ・クリスタルに行くチケットを渡された。クリスタルベッドとも呼ばれるそれは、ベッドに寝てクリスタルを通し7色の光にあたるというものだ。村上さんの説明では「光にあたることで人間のエネルギーの出入り口であるチャクラが整う」ということだった。1回25レアル、20分。
 バーニョ・デ・クリスタル専用の棟でチケットと部屋番号を交換し、順番を待つ。同棟にある6つの部屋に各1台バーニョ・デ・クリスタルが設置されている。「静かに」と書かれた張り紙があちこちに貼られていた。同棟の前には庭が広がり、太陽に照らされた木や蝶が輝いている。心が洗われるような景色を眺めていると「2番が空いたわよ」と呼ばれた。
 メッキがはがれたドアを開けると、蝶番がものすごい音を立てた。真っ暗な部屋の中央に白いベッドが設置されている。その横にはクリスタルの照明機が立てられ、先端に並べられた7つのクリスタルが各色でベッドを照らしていた。
 恐る恐るドアを閉め、ベッドに横たわると、スタッフの女性がギイイと音を立てながら部屋に入り、ライトの照射位置を直した。「目を閉じて」と指示し、2つ折の紙を目の上に被せた。部屋に流れるヒーリングミュージックを聴きながらぼんやりしていると、またスタッフが入ってきた。終了したようだった。
 ツアー参加者の他2人が「すっきりした」、「疲れがとれた」などと感想を言い合う中、記者の頭はぼんやりし体が浮くような感覚がした。普段よりも早く起きたせいかもしれない。「どうだった」と笑顔で聞いてくる村上さんに「すごかったです」としか言えなかった。
 ジョアンが患者を診るアテンヂメント(この記事では診察と訳す)が行なわれるのは水~金曜の午前8時からと午後2時からの2回。診察のためのチケットは本屋で各回の30分後まで配られている。昨年6月1日付けのポ語雑誌「ヴェージャ」の記事によれば、毎週5千人がカーザを訪れるそうだ。
 診察チケットは本屋で配布されており、人生で初めて来た人は「1回目」、それ以降の参加者は2回目のチケットをもらう。ジョアンの手術を受け、再度検診に来た人は「レヴィゾン(再診)」のチケットを受け取る。
 チケットをもらったら、ベンチが並ぶ講堂で順番を待つ。講堂中央の通路は奥の部屋に繋がっており、「初診の人」「2回目の人」などと呼ばれ、列を作り入室していく。通路の左横の小さいステージでは、スタッフや診察客が代わる代わる、自分に起こった奇跡の治療や、なぜカーザに来たかということ講演している。

ジョアン本人に質問「あなたのことを知りたい」

 講堂前にはベンチが並び、白装束の人々が静かに待っている。講堂内、前では携帯電話の電源を切り、喋らずに待つことが求められる。腕、足を組むのは禁止。
 講堂から入ってすぐの部屋はチケットがなくても入場可能だ。ここからは瞑想する人ばかりが座る。壁にはカトリックの宗教画が飾られ、天窓から光が差し込み明るい雰囲気だ。
 ベンチに座る人は瞑想に耽っている。堅そうな木製のベンチの上で背筋を伸ばしている人もいれば、前のベンチの背もたれに頭をあずける人、口を全開にして天を仰いでいる人など様々だ。
 続く部屋の奥にジョアンがいる。ジョアンの前には豪華な椅子が5席ずつ、左右の壁際に設置されていた。その椅子は通称UTC(緊急治療センター)と呼ばれ、指示された人しか座れない。
 椅子に座り「診察」するジョアンの周りには宗教画や聖人像、幼児サイズの大きな天然石が飾られている。ジョアンの診察時間は各人10~20秒程度。サインした紙を渡し薬局で薬を買うように指示したり、ジョアン近くに並ぶベンチに座り瞑想に加わるよう話すときもある。または怪我や病気が良くなること、願いが叶うことを約束するなど、対応は様々だ。
 記者の番が回ってきた。記者に付き添ってくれた村上さんがジョアンに取材の説明をする。「なにについて聞きたいんだ?」と聞かれ、思わず「あなたのことです」と答えてしまった。
 ジョアンが取材を承諾する機会は少ない。既に取材で答えたことを聞こうとすれば、「以前答えた」「この本に載っている」と断られてしまう。

「心霊手術を見なさい」

 村上さんが「日本移民の日に関連した新聞に掲載するつもりです」とフォローを入れると、一瞬考えたジョアンは、横の棚にあったジョアンと聖イナシオについての説明が書かれた2枚のチラシを記者に手渡した。「まずあなたはシルルジーア(手術)を見なければならない。横のコレンテに行って」と語った。
 コレンテとは「Corrente de Oração」の略称。瞑想に加わることで聖霊の治療(カーザではオペラソン、トラタメントという)の援助をする。
 ジョアン近くのベンチに座り、診察する様子を横から見ていると、「目を閉じて」とスタッフに注意された。しばらくすると女性が横に座った。鼻をすする音が聞こえたので横目で見ると、目を閉じ、涙を流しながら微笑んでいた。
 瞑想をはじめると頭痛が起こってはひくことを繰り返した。痛みが来ると、明るい部屋にいるはずなのに目の前が暗くなる。頭痛を我慢して2時間、席を立ちたいという衝動と戦っていると、スタッフの呼びかけで聖イナシオの祈りが唱和された。
 「目を開けてください。今日は参加していただき、ありがとうございます。帰る際は水を飲んでください」と促され、小さなコップに入った水を渡され、それを飲んでから部屋を出た。
 水は祝福された特別な物で、カーザ内で販売されている。外に出た記者の頭痛は柔らいだものの、続いていた。ツアー一行とポウザーダに帰り、この日は終了した。

夢の中で手術受け、起きたら腹に28針縫合痕

カーザに向う人々

カーザに向う人々

 翌日、朝食後に「今日は講堂で待って、手術するところを見たら良いと思う」と村上さんに教えられた。
 動画投稿サイトYoutubeに挙げられているジョアンの手術動画は講堂のステージで行なわれている。立ったままの患者の体にメスやハサミを入れている衝撃的なシーンだ。ジョアンが傷口に指先を入れても、患者は痛みで騒ぐこともなく目を瞑ったまま静かに施術を受けている。
 ジョアンが観衆の前で手術することは稀で、月に一度あるかないか。当日講堂で必ず施術するという保証は全くなかった。だが、村上さんに「でもジョアンが昨日ああやって言ったんだから、なにかあるはず…私は一日コレンテにいることを指示されたけど、講堂で待ってみると良いよ」と言われ講堂に張り付くことにした。
 ステージでは司会役の女性や指名された人がなぜカーザに通うか、オラソン(祈り)について、自身に起こった奇跡…などを語っていた。
 2時間ほど座り続けて飽き飽きしてきた頃、司会役が突然「ここに奇跡が起こった女性がいます」と褐色の肌の女性を壇上に上げた。
 女性は涙ぐみ、声を震わせながら5月29日の夜から30日の朝までのできごとを喋った。女性はモニカ・レアンドラ・デ・オリヴェイラさん(42)といい、肝臓の癌のためにアバヂアニアを訪れ、到着日の夜に不思議な夢を見たそうだ。寝台に乗った男の子の口の中を手術をする2人の男性を背後から見ていたという。
 手術する1人が振り返り、「次は貴女だから、準備しておいてください」と語ったそうだ。
 そこで目覚めたモニカさんはTシャツの右わき腹辺りが破れていることに気づいた。驚いたモニカさんが一緒に泊まっていた友人の前でTシャツを脱ぐと、友人が右わき腹に手術跡があることを指摘した。28針で縫合されており、出血した様子はなかった。
 傷跡を見た瞬間、モニカさんは夢の続きを思い出したそうだ。夢の中で「準備をしておきます」と返事をしたモニカさんは、医者に紙を手渡された。そこには男の子の名前が書かれており、「この脳死した男の子の両親が、あなたに男の子の肝臓を提供してくれた」と説明を受けた。
 手術を受けた人はポウザーダで24時間、安静にしていなければならない。それを終えたモニカさんはカーザで体験を語りに来たそうだ。

モニカさんに起きた『奇跡』=ジョアンの講堂での手術

手術跡の縫合を見せるモニカさん

手術跡の縫合を見せるモニカさん

耳の奥にピンセット入れて引き抜くと大量の血

 講演後、庭で休憩していたモニカさんに話を聞いた。
 ジムのトレーナーとして働くモニカさんは脳動脈瘤の治療のため、2014年にも同市を訪れたそうだ。
 仕事中に激しい頭痛に襲われ、病院に運ばれたモニカさんは手術を勧められたが、同時期に友人からカーザ訪問に誘われたという。霊による治療など信じていなかったモニカさんだが、「試してみよう」とジョアンを訪ねた。
 モニカさんを見たジョアンはすぐに手術に取り掛かり、15cmもの長さのピンセットをモニカさんの右耳に深く入れた。次にジョアンは耳の下に桶をあてがい、ピンセットを引き抜いた。同時に大量の血がモニカさんの耳から流れ出たそうだ。
 「痛みはなかった。でも私も手術を受けながら驚いたというか、感極まって泣いていたわ」と振り返った。その後、病院で受けた検査では動脈瘤は確認されなかった。
 今回手術を受けた肝臓癌が見つかったのは16年11月。放射線治療など様々な治療法を試したが、どれも効果がなかったそうだ。昨年には腫瘍部分を切除したが再発。今年3月に医者から「放射線治療をしても、増えるだけだ。もう治療方法がない」と告げられた。
 ここまで話し、一息ついたモニカさんは「私は『Tá bom.』と返事したのよ」と笑った。「それならカーザに行こう、とまた来たの。そしたらまた奇跡が起きたわ」と淡々と語った。「ここは医者が治療できない病気を治すところ。訪問者は皆、体でも心でも、治療のために来ているのよ」。
 午後、再度講堂のステージ横の椅子に座った。モニカさんの手術跡が昨日ジョアンに「見ろ」と言われたことだったのかもと不安を覚えつつも、とりあえず今日一日は講堂で待ってみることにした。
 当日はカトリック教の「聖体の日」で祝日だったためか人が多く、昨日よりも熱気があるように感じられた。
 司会の女性はまた午前と同様の講演を続けている。すると、ジョアンの部屋に直通するステージ左横のドアから他のスタッフが出てきて司会役に耳打ちした。
 司会役はすぐさま、「エンチダーデ(ジョアンに降りている精霊)が今日はとてもエネルギーが強く、特別な日だと語っています。初診の人、医者の人はコレンテに入ってジョアンのオペラソンを手伝ってください」と会場に呼びかけた。ものの4、5秒程度で長蛇の列ができた。
 司会役が静粛を求め、携帯電話の電源を切ること、写真撮影禁止の注意を促した。「機械の電波は治療の妨げになります。写真をインスタグラムなどヘッヂ・ソシアウ(SNS)に上げるのも止めてください」と早口で語った。

目の前で、ジョアンがいよいよ心霊手術

 「今日は特別な日です」と司会役が繰り返す。「皆で聖イナシオの祈りを唱えましょう」。
 会場全員で斉唱を終えて少しすると、横のドアからまたスタッフが出てきて耳打ちした。話を終えた司会役は「静粛に」と会場に呼びかけた。
 ビデオカメラや手術道具を載せたトレー、水が入ったボウルを持った4人のスタッフが横のドアから出てきた。司会役はステージ脇に降りて見守っている。やや遅れて黄色のTシャツにショートパンツの女性、白い服を着た白人の男性が登壇し壁際に並んだ。続いてジョアンが出てくると、会場の注目が集まった。
 水で手を洗ったジョアンは女性を壁向きに立たせ、尾てい骨からやや上を押して、患部の位置を確認した。その部分が痛くて腰が曲がらない症状に苦しんでいるという。
 女性が「はい」と答え、ジョアンは深呼吸するように指示した。
 手術道具を持つスタッフとなにやら談笑しながらハサミを取ったジョアンは、女性の患部にハサミを突き刺し、一瞬間を置いた後ハサミを引き抜いた。
 次にハサミをトレーに戻し、違うハサミを取った。ジョアンの体の影になって、患部でなにをやっているかが直接には見えなかったが、女性の患部でハサミを2~3回動かしたように見えた。
 女性の傷口が縫合されていた。ここまでで1分もかかっていない。女性がすすり泣く音が聞こえる。手術を終えたジョアンは女性の体をこちらに向け、なにかを指示した。女性は一瞬拒否しようとしたように見えたが、「誰がやるのか、それはあなただ」とジョアンに力強く語りかけられ、屈伸をはじめた。
 女性の指先が膝あたりに届いたとき、動きが止まった。さらにジョアンが女性を鼓舞すると、じわじわと指先を下ろしていき、つま先に触れた。
 上体を戻した女性は感極まったようにすすり泣いていた。講堂の後方で鈍い音が聞こえ、しばらくすると倒れた人が室内に運び込まれた。
 次に若い男性患者の口の中を覗き込んだジョアンは、トレーを持っていた男性スタッフを呼んだ。男性患者の口の中を見せ、患部がどこにあるか教えようとしているようだった。「カーザの息子なんだから、わかるはずだよ」と優しく話しかけていた。
 男性スタッフは「わからない」というように首を振った。ジョアンは再度患者の口の中をいじり会話した後、手を洗い講堂の人々に参加への感謝を述べた。
 手術を受けた女性と若い男性の患者は室内に入っていき、車椅子の手術希望者、ジョアンに指名された人も入室していった。
 司会役は再度聖イナシオの祈りを斉唱させ、また講演をはじめた。

医者が原因不明とお手上げの病気抱えてカーザへ

クレナールさん

クレナールさん

 リオ・グランデ・ド・スル州カシアス・ド・スル市から来たクレナール・ベアトリス・グリロ・ベルガマスキさん(65)は同日、オペラソンのためにコレンテに入っていた。庭のベンチで休んでいたところに取材を頼んだところ、快く承諾してくれた。
 2年前に謎の腹痛に襲われ、医者を訪ねたが原因不明という結果が出た。治療法も見つからなかった。その後も定期的に腹痛が続き、とうとうカーザを訪問したそうだ。「スタッフは私達に患部に手を置くように指示した。それか心臓におけば、エンチダーデが自分が知らない病気を治してくれると言っていたから、そうしたのよ」と胸に手をあててみせた。
 クレナールさんは今後7日間手術を受けることになるそうだ。寝るときは白い服を身に付け、頭の近くに水を置くこと、起床後はその水を飲むことを指示されたという。
 初めてカーザを訪問したクレナールさんは「私達のガイドは急に来られなくなって不安だったわ。でも本屋で色々教えてもらって治療を受けることができた」と安堵した。「再診もあるし、また訪問したいわね」と山々の風景を眺めた。

ダニエルさん

ダニエルさん

 カーザには治療や頼みごとをしに来る人のほか、場所を楽しみに来る人も多い。
 庭の木陰のベンチで休んでいたダニエル・トリゴさん(85)は「家族旅行みたいなものだよ」と笑った。
 ダニエルさんの家族はカーザが大好きだそうだ。家族が話すカーザへの旅行体験を胡散臭く聞いていたダニエルさんだったが、高齢のために悪化した難聴と歩行障害の改善のためカーザを訪れた。
 2回目の訪問となったが、まだ劇的な変化はない。それでも「また来るよ」とすでに再訪問を決めていた。
 「カーザはゆったりしてて平和な雰囲気。場所自体を気に入ったんだ」とその理由を話し、「まだ変化は感じられないけど、私は『奇跡』を待っているんだよ」と述べた。
 サンパウロ市から3回目の訪問をした日系女性のエウカさん(仮名、38、三世)は講堂前のベンチで膝に乗せた掌を上に向け、リラックスした状態で瞑想に耽っていた。
 訪問の理由を尋ねると「瞑想しに来ただけよ」と一言。「良いエネルギーが満ちている。この場所を一言で表すとしたら『光』ね」と静かに語った。
 金融市場で働くエウカさんは、サンタクルス駅近くにあるというスピリチュアルセンターにも通っているという。「カーザほど良いエネルギーがある場所はほかにない。半年で3回目なの」とのことだ。2ヵ月に一度、平日に3日も休みをとってサンパウロ市からはるばる来させるほど惹きつけるものがあるようだ。

日系歯医者が心霊治療のメカニズムを解説

正岡さん

正岡さん

 現役の歯科医師である正岡実さん(82、2世)はサンパウロ市アウト・デ・ピニェイロス区でクリニックを経営している。サンパウロ州立大学・大学院の歯学部卒という高学歴の医者ということもあり、「科学が僕のベースになっているからね。カーザに初めて来た時は全く信じていなかった」と笑う。でも、今回の訪問で7回目となる。
 1回目は妻の脳動脈瘤の治療に付き添った。2回目は1人でツアーに参加したそうだ。「1回目でも信じられず、また訪問した。その時から信じているよ」と語り始めた。
 2回目の訪問ではオペラソンのため、医者がコレンテに招集された。正岡さんは遠くを見るような目をして「夢を見ているようだった」とコレンテを振り返る。
 コレンテに入った正岡さんが目を閉じてしばらくすると、目の前に婦人が現れた。それをじっと見ていると正岡さんの横を通り過ぎていった。さらに現れた男性も同様に消えていった。2人とも顔の辺りが光り輝き、表情を確認することはできなかったそうだ。
 次の瞬間、正岡さんは赤い屋根の大きな寺の前にいた。正岡さんは「夢かと思って腕をつねったらちゃんと痛かったから、夢じゃないと思う」と補足した。
 たくさんの人が寺の中に入っていき、正岡さんもそれに続いた。しばらくすると皆外に出て行った。正岡さんは次の瞬間、どこにでもあるような昼間の明るい通りに立っていたそうだ。
 「誰もいないし、眼を開けよう」と考えた正岡さんは自分が部屋のベンチに座っていることを確認した。
 4回目の訪問で本を購入した後、ジョアンの診察に並んだ正岡さんは、ジョアン近くのベンチに座ることを指示された。ジョアンは「本を持ってきて」とスタッフに指示し、指示されたスタッフは真っ直ぐに正岡さんのもとに来た。
 「袋は透明じゃなかったし、あれだけ多くの人がいる中で私が何を持っているかなんてわからなかったはずだ。ジョアンは『誰が持ってる、どこにある本』ということは言っていなかった」と驚きをふり返った。
 一緒にいた村上さんが正岡さんが持っていた本をスタッフに渡し、スタッフがジョアンに渡した。ジョアン本人と、その時降りていたエンチダーデ「アウグスト・デ・アルメイダ」の名前を本にサインして正岡さんに返したそうだ。
 アウグスト・デ・アルメイダはフルネームをアウグスト・デ・アルメイダ・モンジャルヂーノ(1871―1941)というポルトガルの医者だ。サインはしっかりと名前の一文字一文字が記載されている。「普段のジョアンのサインはサッと書いただけなんだよ」と嬉しそうに語った。
 カーザ、ジョアン・デ・デウス、またエンチダーデについての本をポ、英語で読み漁ったという正岡さんは、カーザについて「平行世界(ムンド・パラレロ)の治療を受ける場所」と説明した。
 地下のクリスタルで他所よりもエネルギーが強く、別の高次元の平行世界との繋がりが強くなっている。だから平行世界に存在するエンチダーデが人と繋がり、その世界の治療をしやすくなるそうだ。
 正岡さんができるだけわかりやすく、噛み砕いて教えてくれたことだ。「科学が僕の頭の基になっているから、僕も理解するのに苦労した。でも本に書いてあることはとにかくそういうことなんだ」とのことだ。
 理解するしないではなく、頭に入っても咀嚼することができない。言葉が出てこない記者に、正岡さんが「それに、今の若い人は特に、科学技術が発達した現代で生きてきたから理解し難いように思う。君のような20代は特にね。今の50代以上から理解する人が増えてくるね」と語り、記者は「なるほど、それじゃ仕方ないですね」と早々に諦めた。正岡さんの説明にもジョアンの手術を見た時と同等の印象を受けていたのだ。
 「とにかくそういうことなんだ」という印象だ。

記者も襲われた謎の頭痛

カーザ・ダ・ソパのスープ

カーザ・ダ・ソパのスープ

 週の最終診察日である金曜はカーザ敷地内の、無償でスープを提供する「カーザ・デ・ソパ」にツアー一行と行った。窓口の人の良さそうなおじさんから野菜スープを受け取る。短いパスタなどが入った薄味のものだ。
 その後、誰でも入場可能なコレンテの部屋に入った。ジョアンの診察を受けたければ本屋で再診(2回目)のチケットを貰えば良いのだが、初日にジョアンに会い、「何曜日に来て」などと指示を受けなかったためだ。瞑想に入ると頭痛が始まった。
 部屋にはスタッフが1人付いていた。強いスペイン語訛りのポ、英語で注意事項を語り、時々眉間に皺を寄せ上を仰ぎ、気持ち良さそうに聖イナシオの祈りを読み上げる。コレンテでは目を開けてはいけないし、腕、足を組んではいけないが、スタッフの声が気になり思わず目を開けて確認してしまった。
 またもや頭痛が始まり、2時間程度経った頃、外の講堂でジョアンが手術をしている声が聞こえた。後頭部下が強く痛みはじめ、堪らず手を挙げた。室外に出る時や水が欲しい時は手を挙げてスタッフに伝えるのだ。記者は小さなコップに入った水を受け取り、外に出た。
 庭を歩き、村上さんがコレンテから出てくるまで時間をつぶした。それから約1時間後に出てきた村上さんに頭痛を説明すると、「それはエンチダーデが治療を行なっていたんだよ。我慢しなきゃならなかったんだ」とのことだった。
 ツアー一行は仕事を終え、帰宅途中のジョアンと写真撮影や贈り物などをし、全員笑顔で「また来たいね」などと語り合っていた。
 アバヂアニアに来てから、ガイドをはじめ多くの人が記者に「心を開いて、感じることよ」と語った。「心を閉じて信じない人にはエンチダーデもなにもできない。扉が閉まっているようなものだから」とのことだ。


カーザを訪ねる意味とは

 彼の治療のシステムはカーザ設立から約40年目の現在まで、科学的な説明もなければ、「ジョアンが患者に薬物を使っていた!」というニュースもない。敷地内に監視カメラもなく、ジョアンがいる部屋だけ大きな鍵つきの重厚なドア、ということもない。
 効くのかどうかは、正直言って分からない。だが、医者に「治療法がない」と言われて途方に暮れている人、仕事や恋愛、人間関係、精神的病で悩んでいる人で、他に解決策が見当たらない人はここを訪ねてみる価値があるかもしれない。ここまで来られないような重病人は、自分の写真や願いを書いた紙を代行者に渡すことも可能だ。
 ここには緩やかな芝生の丘のベンチで山々の風景を眺める、穏やかな空間がある。毎日の悩み事を忘れて瞑想するだけでも、来る意味は十分あるのかもしれない。

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