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アユタヤ日本人町の二の舞を演じるな=サンパウロ新聞廃刊について思うこと

サンパウロ新聞通常号の最後の紙面

サンパウロ新聞通常号の最後の紙面

 昨年末をもってサンパウロ新聞(以下、サ紙)が廃刊した。あちこちから「それについて書かないのか」とせっつかれる。他人ごとではないだけに非常に気が重いテーマだ。まず思い浮かぶのは「お疲れさま。お互いよくここまで持った」という感慨だ。110周年まで日刊2紙が生き残ったこと自体、移民史上の奇跡ではないかと思う。
 邦字紙が廃刊するのは一世が減ったからだ。毎日「パパイが死んだから新聞購読をキャンセルしてくれ」とポ語の電話がかかって来る。身の回りを見たらすぐにわかる。「アミーゴがまた死んだよ」と悲しそうにする人に毎日のように会う。昨年のイベント時には顔を出していた人が、今年は姿が見えなくなっているのは日常茶飯事だ。

▼1970年に「10年でコロニア消滅」論

 だいたい、コラム子がパウリスタ新聞で働き始めた1992年でも「邦字紙はあと2、3年で潰れる」とよく言われた。
 10年ほど前、過去の邦字紙をひっくり返していて1970年3月3日付のパウリスタ新聞で《十年後のコロニア/消滅するが人は位置確保》という記事を見つけ、度肝を抜かれた。
 当時文協で開催されていた「ブラジル研究ゼミ」の報告会で、日本の学者・山田睦男さんが「コロニアはあと10年(1980年頃)に消滅するが、日系子孫はブラジル社会に根をはって居場所を確保している」との研究成果を発表したという記事だった。
 その時点からほぼ半世紀後の現時点からすれば、まったく見当はずれの噴飯ものの研究だ。
 そもそも「コロニア全盛期は移民70周年(78年)」という事実からしてもオカシイ。一番の全盛期にコロニアが消滅すると予測している訳で、まったく逆だ。
 東大卒で、アジア経済研究所地域研究部調査研究員として海外派遣された新進気鋭の学者ですら、当時はそんな見方しかできなかった。彼はその後、筑波大学、南山大学、国立民族学博物館教授にまでなった。いわば日本におけるラテンアメリカ研究の権威だ。
 今改めてその記事を読み返して思ったのは、「コロニアは消える」と予想したのではなく、彼は「消えてほしい」と願ったのではないかという点だ。いわゆる同化論者の匂いがするからだ。「日系人はさっさとブラジルに同化すべきだ」と思っていたのではないか。
 「日本人としての矜持」を心の支えに生きてきた移民庶民の気持ちが理解できないエリート学者かもしれない。

▼移民百周年前後に合併の試行錯誤

経済報知「エンマ鏡」

経済報知「エンマ鏡」

 経営が苦しくなる中、98年3月にパウリスタ新聞と日伯毎日が合併し、本紙になった。以来20年間も本紙とサ紙の2紙体制が続いた。その間、「移民百周年(08年)が過ぎたらどっちかが潰れる」とよく言われた。
 週刊「経済報知」を刊行していた田村吾郎さんが先日、08年12月15日号を持って来て「ここに面白いことが書いてあるゾ」と指さした。同紙「エンマ鏡」には、本紙がサ紙に合併の申し入れをし、サ紙社主の水本エレナ氏がそれを蹴った経緯が書かれていた。
 エレナ氏は《もし合併ということになったら、私はお父さんのお墓にも参れなくなります》と表面上の反対理由が記されている。
 「経済報知」09年10月5日号の「エンマ鏡」には本当の理由が書かれていた。《ニッケイ新聞側からの合併持ちかけに対し、サンパウロ新聞サイドから「合併なんてありえない。放っておいてもニッケイ新聞は自滅するだろうから、そうなれば購読者は当方へ流れるし、広告面でも有利になる」とする声が流れていたのを耳にしたな》とある。
 また日刊紙が一紙だけになることの問題点として《現在の夜郎自大(編註=自分の力量を知らずにいばっている者)的な自称記者の中には、ろくに裏取りもしないまま、偏見に基づいて一方的な批判記事、攻撃記事を書く輩もいるだけに、ライバル紙もないまま記事がまかり通るようになるのは怖い》(同08年12月15日号)と指摘されている。まったく、その通りだ。
 09年9月19日付で本紙は《読者が在る限り、少しでも長く存続し、新聞を発行し続けたい》という思いから、トランスフォーリャ社による地方部配達を週5回から3回に減らすとの社告を出した。購読者の減少、広告出稿量の大幅減、発送料金の増加のトリプル・パンチにより、どんどん経営環境は悪化していた。
 とくに負担が大きかったのが配送料だ。購読料の半分はこの配達代に消えていく現実があり、それを少しでも削減して経費を減らし、その分生き残ろうとの工夫だった。
 「経済報知」09年10月5日号の「エンマ鏡」には、それに関する本紙とサ紙のやり取りが赤裸々に記録されている。
 本紙社告に対して、サ紙は9月23日付「灯台」コラムで《「毎日配達するという新聞の使命を放棄した」ということは、「戦線離脱した」ことになる》と批判した。「戦線離脱」とは、「もはや邦字紙として同格ではない」=「格下」という意味だろう。
 それに対し本紙は翌24日付け樹海コラムで「戦線離脱したことになる――などといい加減なことを書いているが、まったく残念だ。一見同情するフリをして、相手の危機に乗じて現実以上に貶めようとする同紙〝一流〟の書き口だ」と反撃した。
 その流れが「エンマ鏡」には面白おかしく書かれている。このようなやり取りはかつて日常的だった。
 経済報知自体が、田村さんの体調不良により、数年後に廃刊になった。日刊紙を俯瞰してズバズバと物申すその役割には大きなものがあった。今回読み返してみてそれを痛感する。

▼邦字紙の内容をポ語にして三世、四世に

 今後の邦字紙の役割は、ポ語コミュニティ新聞を育てることしかない。サイトやSNSと緊密に連動しながら、影響力を広げるしかない。だから、「紙」としての新聞ではなく、もっと「デジタル」な存在になっていく。
 ともかく邦字紙があるうちに、日系ルーツ意識の掘り起こしと継承、日本への関心喚起、日本的な精神文化を残すために役に立つポ語新聞を独り立ちさせることだ。
 というのも、20年近く前、日伯学園連載の取材をしていたとき、ユダヤ移民版人文研のような研究機関に取材に行った。そこで聞いたのは、彼らは東欧に住んでいた頃に使っていたイディッシュ語を、ブラジルに移住したらすぐに捨ててしまった事実だ。その研究員は「イディッシュ語に込められていたユダヤの精神文化はポ語に乗せ換えて、しっかりと今も継承している」と語っていたのを聞き、その発想が日系社会にも必要だと痛感した。
 まず敷居を低くして「ポ語で日本文化を学ぶ」段階を作り、ここを大いに充実させる必要がある。その上で「さらに興味をもったら日本語を勉強」という二段構えにするのが実践的だろう。
 我々は今まで「日本文化は日本語でしか伝わらない」と考えてきた。だが、世界の先進的な移民先達はそう考えていない。現地の言語に〝魂〟を乗せ換える作業こそが大事だ。
 ブラジル生長の家が当地で日系宗教最多となる200万信者をえた理由は、早くからポ語布教の方針を打ち出し、聖典『甘露の法雨』の翻訳に取り組み、30年、40年かけてその翻文を練り上げてきたことにある。『生命の実相』もしかり。
 世界救世教の当地代表者も生粋のブラジル人だが、実に流暢な日本語を使う。日本文化を深く理解した人物だ。そのように日本文化を深く理解した人材であれば、日系人である必要はないぐらいだ。
 我々も日本的な考えや精神を、ポ語に乗せ換える努力をする必要がある。むろん、これは日本語の価値を軽んじるものではない。もっともっと我々が邦字紙上で論じているような内容をポ語にして、三世、四世、五世らが簡単に手に取れるようにするべき、ということだ。
 これに関して、新聞社が独断と偏見に陥らないように、読者からの意見を待っている。「このような内容をポ語にして子孫に伝えてほしい」、「日本のこんな歴史的な事実をもっとポ語にして欲しい」などの要望をドシドシ寄せてほしい。
 日刊邦字紙が一紙だけになる現実の中で、「この辺が偏向している」、「この記事はオカシイ」、「もっとこんな記事が読みたい」という意見も寄せてほしい。「ブラジル社会面の記事がもっと読みたい」でもいいし、「日系社会の地方の記事、例えばアマゾン地方、南大河州、リオの記事が読みたい」でもいい。
 いま、本紙がなくなればポ語姉妹紙「Nippak」も同時になくなってしまう。数年内にNippak紙が独立して存続できる体制にする必要がある。でないと、日系社会のコンセンサスを形成するメディアがなくなる。そうなれば、日系アイデンティティは薄まるばかりになるだろう。

▼200年経っても日系社会を残すために

山田長政(Public domain, via Wikimedia Commons)

山田長政(Public domain, via Wikimedia Commons)

 ブラジル日系社会は、350年前のアユタヤ日本人町のリーダー・山田長政の歴史的事実に学ばなければならない。最盛期には1500人もの邦人が住んでいたタイの日本人町は跡形もなくなった。誰が子孫なのか分からない。あまりに悲しい現実だ。
 ブラジルにおいても「子や孫に日本に興味を持たせるのはムリ」と諦めるのは簡単だ。実際、日本の外において日本文化や日系ルーツ意識を残す取り組みは、日本史上かつて成功したことがない。
 だから本紙の吉田尚則前編集長から「移民は壮大な民族学的実験だ」と繰り返し聞かされてきた。これを成功させることは、一世の悲願ではないか。二世、三世はふとした瞬間に「我々はどこからきて、どこへ行くのか」という問いかけをしている。そう思いついた時に、それに答える情報が手に取れるところにあるべきだ。
 昨年11月に発表されたサンパウロ人文科学研究所の「多文化社会ブラジルにおける日系コミュニティの実態調査」報告を聞き、光明を見出した思いだった。「あなたは日本人の血を持っていることに誇りを感じますか?」との質問に「はい」と答えた割合は、一世で97%、二世で96%、三世で98%、四世で98%もおり、平均で97%。「世代を問わず、ほぼ全員が誇りを持っていることが分かった」という内容が含まれていたからだ。
 「壮大な民族学的実験」は現在までのところ、実は悪くない成績を上げているのかもしれない。世界最大の日系社会においてこの結果ということは、日本にとっても「在り難い」ことではないか。
 問題は、これをいかに継続させるかだ。文化協会を中心に日系メディアやいろいろなコロニア団体が手を組んで、多角的かつ骨太の対策が練られるべきではないか。

人文研調査「多文化社会ブラジルにおける日系コミュニティの実態調査」発表する細川多美子さん

人文研調査「多文化社会ブラジルにおける日系コミュニティの実態調査」発表する細川多美子さん

 ブラジル日本移民150周年どころか、200周年を祝えるようになってほしい。そのためには、しっかりとしたコミュニティを残さなくてはいけない。各地で日本祭りなどのイベントが開催され、後継者育成が図られている。その取り組みを我々は広報面から支援し、共存繁栄していく流れを強めることが大事だ。
 いま邦字紙に何ができるのか。日本語で語られていることをポ語に乗り移らせることだ。そのために3年前から、ニッケイ新聞の翻訳記事をNippak紙により多く掲載すること、日本の文化や歴史を日ポ両語で紹介するシリーズ本『日本文化』を次々に刊行することを始めた。
 あと2週間ほどで、『日本文化』第9巻が発売される。眞子さまご来伯写真集の記念号だ。邦字紙があるうちに、皇室に対する敬意をどんどんポ語にして、子孫に伝えなくてはいけない。これは邦字紙の使命だ。 (深)

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