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広島・長崎=JHで初の平和週間=被爆体験伝え、観光地も紹介=パ大通りで郷土芸能を初披露

ジャパン・ハウスで主催者と来賓ら

 終戦74年、一人一人が平和について考えて――広島文化センター(吉広ロベルト貞夫会長)と長崎県人会(川添博会長)は「平和週間」と題し、原爆に関する展示や講演などを10、11両日、サンパウロ市のジャパン・ハウス(以下JH)で行った。両日を通して約千人が来場。2日目には郷土の観光地紹介も行い、週末の歩行者天国で賑わうパウリスタ大通りで、初めて郷土芸能のショーも華やかに披露した。

 ブラジル被爆者平和協会の森田隆会長(95、広島県)、盆子原国彦副会長(78、同)、渡辺淳子理事(76、同)が原爆への恐怖、平和への思いを、時折涙ぐみながらも語りかけ、聴衆は息をのみ聞き入った。
 渡辺さんは2歳で被爆。記憶はないが、後に両親から「当時は田舎に疎開していたが黒い雨を浴びた」と聞かされた。渡伯後に同会の活動に参加し、同会が保存する、南米諸国へ渡った被爆者の鮮明な記録を目にし、衝撃を受けたそう。
 当初は「自分自身には記憶がないから話すべきでない」と考えていた。だが被爆者が高齢化し、語り部が減っていく現状を見過ごせず「直接原爆のことは話せなくても、被爆者の話を聞いて自分が感じたことを伝えよう」と積極的に発信を行うようになった。「原爆の放射能は被爆者の健康を害するだけでなく、子孫も差別の対象になることもある。原爆の恐ろしさを他人事と受け止めず、自分の問題として考えて」と呼びかけた。
 森ダグラスさん(42、三世)は広島県立大学に6年間留学。終戦後、広島が復興を図った過程、現在の広島県の観光地や名物などの魅力も紹介。「人々には辛い出来事から立ち直る強さがあることを広島が示した」と締めくくった。
 キアラ・コマストリさん(31、イタリア)は、英国のオックスフォード大学大学院で日本の文学について研究。流暢な日本語で広島の戦後復興と、農村部の女性が生み出した文学作品についての講演を行った。
 元サントス市議会議長でサントス日本人会会長を務める中井貞夫さん、長崎市での研修経験があるロドリゴ・リマ・マシャドさんが来聖。サントス市で8月9日を核廃絶の日に制定したことや、長崎市からサントス市へ路面電車が贈られたことなどを紹介した。
 11日の昼にはパウリスタ大通りで両県人会に加え岐阜県人会、歌手・中平マリコさん、ブラジル健康体操協会が、龍踊りや皿踊りなど郷土芸能や歌謡ショーを行い、盛り上がりを見せた。
 来場した鹿山清子さん(76、長崎県)は「最近のニュース番組を見ていると世界は大丈夫なのかと思う」と不安を漏らし、「多くの命が失われたあの出来事はもう起きてはいけない。ブラジル人にも今日の催しをきっかけに原爆を知ってもらい、平和を考える機会にしてほしい」と切に願った。


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 広島・長崎平和週間では、母県から送られた原爆資料がパネル展示され、平和の折り鶴を作るワークショップも開かれた。パネル展示では非日系の来場者も多く見られた。ロジェリオ・フェッキオ・ジュニオールさん(62)、マリアさん(62)は夫婦で足を運んだ。マリアさんは広島市にも訪れたことがあり「多くの方が亡くなったことを思うと辛い」と苦い表情を浮かべた。
    ◎
 広島・長崎平和週間では、英国オックスフォード大学大学院で日本文学を研究するキアラ・コマストリさんも講演。彼女はイタリアのボローニャ出身。日伯とは無縁の環境で育ったが、高校生の時に日本の音楽に魅力を感じ、独学で日本語の勉強を始めた。好きな歌手には宇多田ヒカルやRADWIMPSを挙げ、欧州の言語とは全く異なる発音、文字に関心を持ったとか。イタリア国内で最も日本研究が進んでいるヴェネツィア大学に進学。修士課程では大阪大学に留学して4年間生活し、広島大学にも1年間留学。最初は太宰治や川端康成を研究していたが、世界で知られていない農民文学を目にして関心を深めた。大学でブラジル人の友人と知り合い、当地を訪れた際に日系社会にも関心をもった。実に不思議な縁で平和週間に参加している。

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