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有名日系経営者と日本語で許しを乞う乞食の格差

挨拶するTOTO・USAの津田亮太中南米販売部長

 「セグランサ(治安)の問題があるから、名前と写真は出さないでくれ」――8月28日夜、サンパウロ市のジャパン・ハウス内のレストラン藍染で行われた、TOTOの便座およびウォシュレット製品の発売開始式で、それを専売するFAST SHOP創業者である日系人に初めて会い、話をしていてそう釘を刺された。
 FAST SHOP(https://www.fastshop.com.br/web/)は全伯9州に101店舗を展開する大手家電販売チェーン店だ。スマホやコンピューターなどの情報家電から、液晶テレビ、洗濯機、冷蔵庫、調理家電など幅広い商品を扱う。だが「安かろう悪かろうでも売る」という普通の大手家電の商法ではなく、中産階級以上にターゲットを絞った定評のある商品だけを選別して売っている。
 実はコラム子も愛用しており、一昨年はパナソニックの冷蔵庫、昨年は同社製の洗濯機を同店で購入した。他の大手家電と違って、店員がうるさく声をかけて来ず、適度な距離感をもって接してくれ、こちらの質問に的確に対応してくれる確率が高い店だ。前もってネットで商品を調べていくと、店員よりこちらの方が詳しくなる他の大手家電チェーンとは一味違う。
 噂で「社主は日系人らしい」と聞いていたが、本人に初めて会った。物腰が穏やかで紳士然とした人物であり、普通にリベルダーデの歩道を歩いていたら特別な人物とはまったく気付かないだろう。
 ネット検索してみたら「Familia Kakumoto」が経営している事実はすでに公表済みなので、本人から聞いたことの中で、「角本」という漢字は明らかにしたい。「今までブラジルのメディアにも一回も出たことない」とのこと。検索しても確かに見つからなかった。

実は日系的なFAST SHOP

 経済雑誌「ISTOÉ DINHEIRO」サイト06年3月22日付記事を見ていたら、珍しくFAST本社の内情が書かれていた。同誌記者がサンパウロ市サンタナ区にある本社を取材に訪れた際の心象が、冒頭に書かれている。
 「サンパウロのFAST SHOP本店に着いたら、ちょっとしたことに目が奪われた。釣り目(olhos puxados)の人(=日系人)ばかりがたくさん働いていることだ。あまりにたくさんだから、『非日系人の従業員コッタ(枠)を設定すべきではないか?』というピアーダを、あえて遊び心で考えてみたくらいだ。日系人比率の高さに、このチェーン店が意図する商売スタイルが凝縮されている。FAST SHOPの日常は、謙虚さ、目標設定、我慢強さ、テクノロジーへの情熱、非寛容なデリケートさなど実に日本的な特徴をまとっている」とある。
 同社は社主名や年間売上額を公表しない伝統がある。株式会社ではなく、角本家の個人的な会社だから可能だ。1986年に創業し、二人の息子が手伝っている。元々はYAMAHA代理店から始まっているので同社が販売するボートのシリーズ「F.A.S.T.」に名前をちなんでいるようだ。
 同記事には《社主社長を含めた幹部たちが、たった一人の顧客の苦情を4、5時間もかけて討論する。いったん契約した販売員は店頭に立つ前、1カ月の研修期間の間に、自分が売ることになる商品のボタンの機能を全て頭に叩き込まれる。最も要求が厳しい富裕層を相手にするのだから、お客さんより商品に詳しくないといけない》などとFASTの特徴が説明されている。

有名サッカー選手、ブラジル人歌手も愛用するTOTO

TOTO最上位機種「ネオレスト(NEOREST)」の説明に聞き入る顧客の皆さん

 件のFAST社主に「TOTOの商品を販売し始めることについて、どう思うか?」と質問したところ、「素晴らしいことだ」と手放しで喜んでいる様子。わざわざ社主自ら、販売開始式に出席するのだから、それだけ力が入っている。
 28日から販売開始となったのは2種類。TOTO最上位機種で、タンクがないタイプの「ネオレスト(NEOREST)」(約2万5千レアル)と、そのほぼ半値の価格帯と見られるタンク一体型の高効率トイレ「CARLYLE Ⅱ」。言うまでもなく、同社の発明品ウォシュレット(温水洗浄便座)のすごさ、快適さは、訪日外国人がみな驚嘆するところ。
 TOTO・USAの津田亮太中南米販売部長は、「共に節水性、清掃性、汚れにくさ、使い心地、すべてにTOTOの最先端技術が活かされています」と強調する。当日は映像で、1917年に東洋陶器株式会社として創業して102年の歴史を誇り、ウォシュレットは世界で通算4千万台売り上げているなどの説明が行われた。
 通常のTOTOの便器(ウォシュレットなし)や水回り品は、サンパウロ市イタケーラ区のコリンチャンス・スタジアムにもすでに設置されている。またウォシュレット付きの便器は、国際的に有名なブラジル人サッカー選手、日本でも知られたMPB歌手なども購入しており、一部の五つ星ホテルには設置済みだという。
 津田販売部長は「日本に旅行に行って弊社のトイレを体験された方が、お求めになられるのではと想定しています」とのこと。
 FASTのマーケティング部長のファビオ・ブルシーノさんは「我々の商品は、会社の方向性に合っているかどうか、専門の商品キュレーターが選ぶ。TOTOの商品は、その方針にまさに合致するもの。全店およびサイトでも販売を開始する」と宣言した。
 当日は設計事務所の建築家、FASTの特別上客ら70人が招待され、商品の説明に聞き入っていた。

有名な日系人創業商店

 思えば、カーニバルのスポンサーになるなど有名なビールブランド「プロイヴィーダ(Proibida)」を製造販売する会社ベビーダス・プレミアム社長に、ニッケイ新聞記者が3年ほど前に取材した際も、「名前と写真を出さないで」と注文を付けられた。ただしその後、昨年9月にグローボのニュースで「モリゾノ・ネルソン氏」の名前が公表されてしまったので、今は公然の秘密だ。

ブラジリアのパークショッピング内にあるFAST SHOP(Luan David, from Wikimedia Commons)

 他に日系人が創始した大型商店といえば、ラテンアメリカ最大の照明販売店「ヤマムラ(Lustres Yamamura)」がある。サンパウロ市コンソラソン街には面積3千平米の巨大な本店があるが、1972年に開業した時はわずか20平米のどこにでもあるような照明店だった。現在では本店以外に3店舗がショッピグセンターになどに入っている。
 その他、寝具・トイレ回り品・食器など50店舗以上のチェーン店「カミカド(Camicado)」も、元々は日系人カミカド家が創業したが、数年前に寝具・衣料チェーン店「レンネル」(Renner)が買収した。

暗闇から「許してください、旦那様!」

 ショックだったのはTOTO取材からの帰り道だった。夜9時頃、ヴェルゲイロ街の歩道を歩いていると、病院の入り口近くの暗がりから「許してください、旦那様!」という大きな声が聞こえてきた。「なんでこんなところで、時代劇みたいな日本語が聞こえてくるんだ?」と思ってフト見ると、道端の乞食だった。しかも40歳前後の黒人系の日系人…。
 推測するに、その日系人が〝旦那様〟の寝場所をとってしまったとか、食べ物をとってしまったとかという感じだ。通りすがりで見る分には〝旦那様〟は60歳ぐらいのヒゲ面のブラジル人に見えた。なぜ日本語で謝っているのか、まったく謎だ。
 実に不思議な光景だった。その黒人系日系人はどこか見覚えがあった。記憶の糸を手繰ると、たしか10年ほど前にガルボン・ブエノ街によく出没していた元デカセギではないかと思い至った。一度話しをしたことがあり、2008年の世界金融不況のあおりを食らって日本で失業して、ブラジルに帰って来たと言っていた。たしか埼玉県草加市で働いていたとかいい、同地の名産品「草加せんべい」の話で盛り上がった記憶がある。
 ジャパン・ハウスという華やかな場所で、有名家電チェーン店経営者の日系人に合った帰り道の道端で、日本語で許しを乞う日系の乞食を見た。この対比に、世界最大の日系社会が持つ、とんでもない格差の悲しい現実をまざまざと見せられた気がした。(深)

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