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わが体験的感冒予防法=サンパウロ州アルミニオ市在住 塩見岳人(しおみがくんど)

のどに手を当てる女性(参考写真)

 「二十年以上風邪をひかないんですよ」と言うと、人の反応はさまざまである。信じる人、信じない人に分かれるのだが、信じるにしても素直には信じない。あるいは、――自慢しているナ、もしかしたら嘘かも知れない――と思われて話がシラけてしまう。
 「ほう」と言ってニヤニヤして私の顔を眺めている人もいる。「何か秘訣でも?」などと聞いてくれる人はごく稀である。風邪なんかひいて当たり前、誰だって一年に一度や二度はひくのに、なんであんたはひかないんだ――と詰るような表情を見せる人もいる。まるで私が「人並みでない奴」とでも思っているかのようである。

 かつて、私も風邪の〝お得意さん〟であった。たいていは、玉子酒を飲んで、熱い風呂につかって大量の汗を流すことでナダメていた。
 日本にいたときは「とんぷく」などという風邪薬を飲んだりしていたものだが、飲み薬などというものはその場しのぎの気休めで、緩和させる程度の効力しか望めず、また案外高価なものだから自然と敬遠し、民間療法(レモンと蜜をまぜて飲むなどというのは代表的。玉子酒と風呂の取り合わせは酒好きの日本人の発明?)に頼って、ヴィールスの衰退を待つのが普通の風邪との〝闘い〟である。
 肺炎など併発させないことに細心の注意を払い、一週間くらいの不快な状態を我慢すれば、風邪の方から「お前さんなんかもう飽きた」と言わんばかりに退散してくれる。
 風邪は万病のもとなどと言いながらも、案外気軽に風邪と付き合っているのも〝そんな程度の病気〟だからであろう。
 だが、誰にしても風邪による不快感は嫌だし、ときには死に至ることもあるのだから、罹らない方法があれば何とかそれに頼りたいと思うのが人情である。

風邪と無縁になった方法

 私が、あるとき、ある方法を考えついて、それを実行し始めてから、私に風邪は無縁となった。
 あるとき、つまり二十年ちょっと前、ふと、犬や猫が自分の唾液で傷を治してしまうことに気がついた。唾液には殺菌作用があるらしくて、人間でも、ちょっとした指傷など嘗めておれば大事に至らないことは誰もが経験していることである。
 が、唾液は汚いものの代名詞みたいに思われ、人間は自らの唾液をあまり大切に考えていない。結核病たけなわの時代に、唾液からも伝染するからと言われ、以来、唾液(特に他人の)を忌み嫌う習慣がついて、私たち日本人は、人体から出される消化酵素を多量に含む大切な唾液をおろそかにするようになった。
 自らの意志でいくらでも分泌を促すことができるので、口内に溜まった唾液は惜しげもなく「ペッ」と吐き出してしまうことが多い。まさに〝資源〟の無駄使い。
 惜しい話であるが、実を言うと私自身もその口で、特に朝起きたときに口内に溜まっている唾液は、粘ついているせいもあって、用をたす前にまず便器に吐いてしまうのが常だった。
 ところが、私が唾液に注目、それを風邪のヴィールス退治に応用してみようと考えてから、唾液を大切なものとして扱うようになったのだから、まさに「昨日の敵は今日の友」である。

〝非科学的〟なアイディアだが…

 では、どのようにして唾液を風邪の退治に使うのか。ここが本文のハイライトなのだが、こういった〝非科学的〟なアイディアを一笑に伏して信じない人は、ここで読むのをお止めになって頂いた方が私にとっては無難というものである。
 なぜと言って、私が真面目に書けばその人はきっと私の知能程度を疑って、塩見岳人(しおみがくんど)は頭のおかしな奴だと思うようになるからである。私はこの文を、ごくごく真面目に書こうと思っているのであるから、これは筆者からのたってのお願いということである。
 さて……。
 昔から、よだれを流す赤ん坊は丈夫に育つと言われている。赤ら顔の金時さんのような丈夫な児にかぎって、よだれで口の中をいっぱいにしている。よだれに遮られてヴィールスが侵入できないから乳幼児は風邪をひかない――というのが私の見方である。だからと言って、いい大人が一日中口内を唾液でいっぱいにしているわけにはいかない。ここは〝方法論〟である。
 風邪のひき始めは誰にでもすぐ分かる。寒気がしたり、くしゃみをしたり、鼻水が出始めたり、熱っぽくなったりする。そんなとき直ぐに口内に溜め込んだ唾液を喉に〝注入〟するのである。
 嚥下してはだめ。ヴィールスは喉仏の裏側あたり(専門知識がないからこんな表現になってしまうことをお許し願いたい)に付着して増殖し始めるのだから、そこへ唾液を送り込んで(飲み込んで、ではない。
 ここがもっとも大切なところ)、できるだけ長時間留め置き、唾液の持っている殺菌力によってヴィールスを殺して(あるいはリンパして)もらうのである。これを何回も繰り返す。
 こう書くといかにも楽々とできそうだが、それがなかなかうまく行かない。そもそも食道の中途でものを一時留め置くというような構造にはなっていないのだから、直ぐに嚥下してしまう(これが自然)。そこは訓練し、要領を体得しなければならない。
 以上の方法だけで一応目的達成は可能なのだが、なかなか症状が退けなかったり、ときには強力なヴィールスに冒されることもあるから、そんなときは、補助的にてのひら(掌)を喉仏の下部に当てて喉を保温するのである。

「手当」の効能もプラス

 てのひらというのは、「手に汗を握る」という表現があるとおり、汗腺が集中しているから汗をかきやすい。また、汗腺だけでなく〝気〟を放出する孔(あな)があるとかで、身体の中でも特殊な場所。
 てのひらを病む人の患部に当ててたちどころに治してやるイエス・キリストのエピソードを持ち出すまでもなく、「気孔師」と呼ばれる人によって、今でもこの治療法は生きているとのこと。
 また、「手当をする」という言葉の語源でもあり、〝非科学的〟といちがいに言い切れないものがある。試みに、強い味付けをした料理、例えばシュラスコなどを食べた後、しばらくしててのひらを嗅ぐと、そこから臭気が発散されているのを感じ取ることができる。
 とくに朝起きたとき寝床の中で試みると顕著である。いわゆる〝ガス〟が発散されるのであるが、ある気孔師は、そのガスが霧状になって出るのだそうだ。この話は、数年前の『文藝春秋』に掲載された記事に出ていたことだから嘘ではない。
 と言うことで、考えてみれば、人間誰にしてもてのひらにこの気孔が備わっているのだから、それを応用しない手はない。誇張ではなく、あなたも私も現代のキリストになれるてのひらを持っているのである。
 それを使わずにいるのは宝の持ち腐れと言うより他ない。〝風邪の君〟が訪問して来たら、すぐ喉にてのひらを当てて〝気〟を放出してやるのである。唾液の殺菌力と相まって、ヴィールスはたちまちその威力を減退してしまう。
 因みに、感冒に冒されるときは、喉に潤いがなくなっており、また、冷えていることが多い。唾液は潤いを与え、てのひらは温めてやるのである。「ちょっと油断したら風邪をひいちゃった」という御仁は、必ず喉がそんな状態になっているはずである。
 唾液を注ぎつつてのひらを当てて数分、あるいは数十分、ふっと体調が正常に戻るような感覚を覚えるときがある。効果が出た瞬間である。念のためにそのままもう少し続ける。労を厭わず、万全を期して――。

数限りなくある「ひき始め」

のどに手を当てている様子(参考写真)

 かくして、私は自らの考案によって風邪とは無縁になったのであるが、ここで正直に言っておくと、無縁と言っても、いわゆる「風邪に病む」という状態にならないだけで、「ひき始めた」ことは数限りなくある。かつてお得意さんだった私を忘れず、〝風邪の君〟はやはり一年に何回となく私を訪れてくれる。
 その都度、私はかつてお世話になったことを感謝しつつ、じんわりと口角に唾をにじませ、温かいてのひらでもって、やんわりと〝玄関払い〟させてもらうことにしているのであるが、今の世、おとなしく退散してくれない〝君〟もいて、ときにはこちとらの油断を見計らって、強盗のごとく押し入ってくることもないとはかぎらないし、卑怯にも就寝中に狙ってくるということもある。
 そこは保証のかぎりではないと補足しておくにこしたことはなく、「わが体験的感冒予防法の一抹の脆さとしてご承知置き願うのが無難というものであろうか。
 ともあれ、今、私は、「風邪って何?」と自らに問いかけることがしばしば。四十度前後の熱を出して薬局に駆け込んだり、ピンガをたっぷりと入れたコップに生卵を落して混ぜ合わせた玉子酒に世話になったりしたことが、妙に懐かしくなるのである。
 「風邪をひいてしまって…」とかなんとか言って、麻雀の誘いをお断りしなければならなかったことや、評判の映画を観に出掛けられなかったことなども、ちょっと残念な思い出として私の胸の中から消えてゆかない。
 考えてみれば、風邪というのはもっとも人間的な病気である。人間臭いドラマを抱えた病気である。一年に一度くらいは罹ってもいいのではないか――などと不埒にも考えてみるのであるが、それも風邪退治にある程度自信(?)を深めた(と自惚れている)人間だからこそ言える言葉なのであろう。
 風邪の完治薬を発見したらノーベル賞もの、と日夜奮闘努力している医療関係者が聞いたら、こんな〝藪っぽい〟話、何と思うだろうか。

実は40年間も風邪をひかずに生活

     ※
 以上の文章は、2001年8月発行の「国境地帯」(発行者伊那宏)6号に掲載した今から19年前のものである。
 本文冒頭に「20年以上風邪をひかない」と書いているから、さらに19年上乗せすると40年ほど前の話ということになる。そしてこの40年ほどの間、やはり私は風邪とは無縁の生活を続けている。
 書かれた本文のどこも内容的には加筆修正の必要はないと見定め、そのまま現今の話として通用するのではと考えてみたのだが、ご承知のように、今年に入って流行し始めた新型コロナウィルスはあっと言う間に全世界を席捲し、現在の医療方法でもってしても有効な治療手立てもないまま手上げ状態になっていて、死者ン十万人、罹患者は百万とも二百万とも予想され、終息の見通しがまったく立たずに無限に拡大しているのは周知のこと。
 この爆発的に広がる新型ウィルスに対して、「わが体験的感冒予防法」などとても対処し得るものではないことは重々承知している。だが、もしかしたら、本当にもしかしたら、重症化する(ウィルスが肺炎を引き起こす)一歩手前の一つの〝砦〟としてあるいは有効な手立てではないか、と思ったりもしている。
 かかる時期にこのような〝珍説〟が何らかの役に立つなどと考えるのは大変おこがましく、せいぜい失笑を買うくらいが関の山。
 しかしながら、こんな〝ド素人〟の予防法に耳を傾けて下さる人が一人でもいるとしたら光栄この上もないこと。そんなか細い思いを抱きながら、まさに汗顔の思いでここに一筆啓上することにした。紙面の賑わいになれば望外の喜びである。

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