ホーム | 連載 | 2020年 | 新日系コミュニティ構築の鍵を歴史に探る=傑物・下元健吉=その志、気骨、創造心、度胸、闘志=ジャーナリスト 外山脩 | 新日系コミュニティ構築の“鍵”を歴史の中に探る=傑物・下元健吉(28)=その志、気骨、創造心、度胸、闘志…=外山 脩

新日系コミュニティ構築の“鍵”を歴史の中に探る=傑物・下元健吉(28)=その志、気骨、創造心、度胸、闘志…=外山 脩

1952年4月18日、州農務長官のテープカットで、組合創立25周年の記念式典と農産展が盛大に催された(『コチア産業組合中央会60年の歩み』より)

1952年4月18日、州農務長官のテープカットで、組合創立25周年の記念式典と農産展が盛大に催された(『コチア産業組合中央会60年の歩み』より)

波頭の上に…

 1955年のコチア青年の導入開始後、組合員の出荷総量は伸び続けた。下元の目論見は当たったのである。
 1957年4月、コチア産組は創立30周年を記念して――ジャグアレー区に入手した土地で――農業展覧会を開催した。農業関係の機械類、生産物、同加工品、写真、農村生活の模型品を展示した。
 生け花まであった。生け花は、コチアの組合員は土まみれになって働くだけでなく、こういう文化も家庭に取り入れています――という宣伝であった。
 絶好の秋日和の下、5日間で35万人の市民が入場した。農務大臣、第二軍司令官、州知事、州農務長官そして駐伯日本大使の姿もあった。下元健吉、一世一代の晴れ舞台だった。
 絶頂期の、その波頭の上に立っていた。
 郷里の高知県の山村で過ごした少年時代、胸に育んだ「身を立て名を上げ…」の夢を遂に実現したのである。神戸の港を船出してから43年が過ぎ、59歳になっていた。
 コチアの組合員は5千人台、所在地は4州(サンパウロ、リオ、パラナ、ミナス)に広がり、事業所は40数カ所、職員は1800人という数になっていた。
 事業は販売、購買、信用、利用の4部門によって推進されていた。
 販売部門はバタタ、鶏卵、トマトが主で、サンパウロ市場への総入荷量中、コチアの占めるシェアはバタタは25%、鶏卵30%、トマト25%という高率さであった。トマト以外の蔬菜、果実、雑穀なども扱っていた。
 その販売のため、サンパウロ以外にも各地に多数の出張所、販売ポストを所有していた。
 さらにバナナ、茶、ラミー、薄荷油を欧州、中南米に輸出中だった。
 購買部門は肥料、飼料、農薬など営農資材と生活用品を、組合員に供給していた。
 信用部門は組合員から各種預金を預かり、組合員に融資していた。
 利用部門というのは一寸判りにくいが、例えば医療部がそれである。この頃、診療所以外に、医師や看護婦が車で地方を巡回するサービスも実施中だった。ほかに輸送、修理、工務、木工鍛冶、品質検査、農事試験などの部門もあった。
 コチアの事業規模は、産組としては無論ブラジル一であり、ラ米一と観る説もあった。
 組合員の家族の総数は4万人を超していた。その総てではないが、大半がコチア人意識を持ち、日々の暮らしの多くを、組合の傘下で営んでいた。
 かつて下元が唱えた「産業、経済、教育、衛生、その他百般の事業を産組が統轄、経営…」とまでは未だ行っていなかったが、そのかなりの部分が実現し、「コチア」という名の新社会が存在した。
 ブラジルの農業界から荘園式ファゼンダは姿を消し、そのファゼンダで奴隷に近い生活をしていた移民が、ここまで来たのである。他の産組も、規模、事業内容は別として、コチアの後に続いていた。
 農業界の大改革、革命が実現しつつあった。下元健吉は、その先頭を走り続けていた。(つづく)

image_print

こちらの記事もどうぞ

  • さくら丸=久々に対面で同船者会開催=ワクチン接種終え、小規模に2021年6月17日 さくら丸=久々に対面で同船者会開催=ワクチン接種終え、小規模に  60代以上はワクチン接種を終え、これまで頑なに家族から対面で会うことを止められてきた人々も、各自の判断で旧交を温める動きが出始めている。そんな14日、1963年に初航海した移民船「さくら丸」の同船者らが互いに呼びかけ、猫塚司さん(78、岩手県出身)、中沢宏一さん(78 […]
  • ■訃報■ブラジル浪曲協会元会長 樋口四郎さん2021年5月4日 ■訃報■ブラジル浪曲協会元会長 樋口四郎さん  「ブラジル浪曲協会」最後の会長、浪曲名人「月若(つきわか)」としてならした樋口四郎さん(福岡県)が、4月30日15時30分に聖州カンピーナス市内の自宅で亡くなった。行年85歳。1日に家族と知人のみで告別式を行い、同市内の墓地「Cemitério Parque […]
  • 聖南西果樹農家巡り(下)=ピエダーデの益田照夫さん=大規模化して次世代に継承2021年4月7日 聖南西果樹農家巡り(下)=ピエダーデの益田照夫さん=大規模化して次世代に継承  フェイラには真っ赤に熟れた柿が並んでいる。生産者の大半は日系人だ。その代表的な一人、ピエダーデ市で高品質な柿や栗などを生産する益田照夫さん(79歳・愛媛県)を取材した。  益田さんの生産物は聖市の台所、中央卸売市場「セアゼスピ」で卸売されている。柿の収穫期の現在は週 […]
  • 特別寄稿=新移民の頃の事ども=サンパウロ市 村上 佳和2021年3月5日 特別寄稿=新移民の頃の事ども=サンパウロ市 村上 佳和 「行け行け南米新天地」のポスターを見て  八十歳を迎え、移住してより、六十年。世界中がコロナ禍で旅行も出来ず、外出も控えて、家でゴロゴロして居る今日この頃である。早くコロナが終息する事を祈りながら、暇にまかせて、新移民の頃を思い返してみよう。  高校最後の夏休み […]
  • 自分史寄稿=「移り来て六十年」=サンパウロ市在住 村上佳和2020年12月24日 自分史寄稿=「移り来て六十年」=サンパウロ市在住 村上佳和  戦前移民19万人、戦後移民6万人とか7万人と言われる。日系190万人、海外最大の日系社会である。1957年から1962年の5年間が戦後移住者のピークで、1964年の東京オリンピックを機に日本は高度経済成長期に入って移住者が激減し、新しく移住してくる人が途切れて50年。戦後青年 […]