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《記者コラム》樹海=実は壮大なブラジルの歴史物語

5億年と37億年の差

 一般的には「ブラジルは独立200年未満の新しい国」で、「日本は数千年の伝統を誇る古い国」というイメージが強い。だが、見方を変えると、ブラジルの方がはるか古いものがある。地層だ。
 日本で一番古い地層は、茨城県日立市の周辺の5億年前の地層だという。《茨城県日立市にある御岩神社にいる。ここ御岩神社の地面、そして日立市の地面の広い範囲は多賀山地と呼ばれており、5億年前のカンブリア紀の地層から成り立っている。この古い岩の連なりは、およそ60キロ平米にも及ぶ。そして5億年前の地層は、日本ではこの日立市周辺にかけてしか、未だ発見されていない。茨城県を除くと4億年前のオルドビス紀までの地層しか日本にはない》(https://www.driveplaza.com/trip/michinohosomichi/ver61/)とのこと。
 日本は「火山活動が活発な場所」だから、当然のこと地層や地形の変化が激しい。
 一方、ブラジルの地理について日本語で論じられたものは少ないが、今世紀に入って鉱物資源に関する見直しが行われ、レポートがいくつも出ている。その一つを見ていて、ちょっと気が遠くなるような壮大な記述を発見した。
 例えば、独立行政法人「石油天然ガス・金属鉱物資源機構のレポートには、《ブラジルは先カンブリア時代の地質体(37億年前から5・5億年前)が国土面積の大部分を占める。この長期に亘る地質時代に、ブラジルは初期大陸の誕生から成長、分裂、集合といった様々な地質環境を経験しながら現在の姿に至っている。平面的な鉱物資源分布のみならず、地球の歴史という時間軸を加えて見ると、ブラジルの金属鉱物資源の魅力がより鮮明になってくる》(http://mric.jogmec.go.jp/wp-content/old_uploads/reports/resources-report/2008-03/MRv37n6-04.pdf)といった記述があった。
 つまり、ブラジルの国土面積の大部分を占めるのは、「先カンブリア時代の地質体」であり、それは37億年前から5・5億年前の地質だという。これを読んで、普段自分たちが歩いている地面のすぐ下には、地球上に生命が誕生したばかりの地層が眠っているのだと少し感動した。
 言い方をかえれば、ブラジルはほぼ「日本ができる以前の地層」でできている状態だ。
 地球が誕生したのは約46億年前、最初の生物が発生したのは約38億年前と言われる。最初の超大陸は30億年前までに誕生し、分裂・衝突を繰りかえして、2億4千万年前ごろから、地球上の陸地が最も集まった超大陸「パンゲア」の時代となった。
 地球内部物理学の専門家・吉田晶樹氏のサイトには、《パンゲアの分裂が始まったのは、約2億年前のジュラ紀の頃である。約1億5000万年前のジュラ紀後期までには、北米大陸とアフリカ大陸の間の中央大西洋が先に拡大し始めた。約1億年前の白亜紀中期までには、南米大陸とアフリカ大陸は完全に分断され、南大西洋が拡がり始めた》(http://yoshida-geophys.jp/topic_sc_cycle.html)とあり、その後の地殻変動を経て、現在の6大陸という形になった。

海岸山脈という壮大な眺め

 先日、リオの観光名所「ポン・デ・アスーカル」の事を調べる必要が生じてネット検索していたら、ウィキペディア日本語版に《パンアフリカン⼤陸衝突造山運動で形成された少量の柘榴⽯を含む眼球片麻岩の⼀枚岩である》という記述を見つけて、少し感じ入った。
 ウィキペディアではどの項目も言語によって内容がけっこう異なるので、比較するとおもしろい。この項目も、ポ語版には地学的な記述は一切ない。これは日本語版筆者によるこだわりの説明だと感心した。
 海抜だけで396メートルもある同岩の海に沈んでいる部分も入れれば、遥かに高い。それが、一枚岩だとはスゴイ。このポン・デ・アスーカルはもちろん、ブラジル特有の「海岸山脈」(Serra-do-mar)という雄大な地形の一部だ。
 サントス港からサンパウロ市があるパウリスタ高原の方を見上げた時に見える長大な天然の壁、クリチーバからパラナグアまで下る山岳鉄道で見える雄大な景色、サンタカタリーナ州の海岸部と内陸部を隔てる絶壁。モジ市のマンチケイラ山系からカンポス・ド・ジョルドンなどの山系もその一部だ。内陸部にいくほど平板で変化のない地形を見せるブラジルにおいて、唯一と言って良いほど日本の山間部を思い出させる、どこか懐かしく、雄大な地形を持っている。
 この海岸山脈は、北はエスピリットサント州から南はサンタカタリーナ州までの大西洋海岸部に、1千キロ以上に渡って連なっており、山脈の上は一気に高原になる。海岸はもちろん標高ゼロだが、海岸から数十キロ以内にある海岸山脈は1~2千メートル以上の高さとなり、ここには霧深い大西洋森林が広がり、原生蘭の宝庫と呼ばれる大自然があった。
 その奥には高度数百メートルに下がった高原地帯になる。サンパウロの場合は高度900メートル程度で、日本で言えば軽井沢のように真夏でも暑くなく、真冬でも寒くない。海岸近くにあるレジストロではかつてはインドやセイロンと同じように紅茶、今でもバナナ生産が有名だが、海岸山脈を越えた先の高原にあるピエダーデでは、温帯果物の柿、ぶどうなどと日本移民とは相性のいい農業地帯になる。
 穀物積出港で有名なパラナ州パラナグアは、ムシ暑くてまさに熱帯を感じさせる気候だが、山岳鉄道に乗ってクリチーバまで上がれば一気にヨーロッパのような涼しい気候になる。だからドイツ移民、イタリア移民などの欧州系の人々が故郷の気候に近いパラナ州内陸部に入植したのだと実感する。
 サンタカタリーナ州のフロリアノポリス島は標高ゼロ。寒いアルゼンチンやウルグアイからトロピカルな真夏のプライア(海岸)を求めて観光客が大挙してやってくる気候で、サーフィンのメッカだ。だが、その海岸部から車で1、2時間ほど内陸に行ったらボン・ジャルジン・ダ・セーラの辺りから急に山になる。

 リオ・ド・ラストロ山脈(Serra do Rio do Rastro)を登るつづら折りの坂道は、日光の九十九折りそっくりだ。ここを登っていくと、その上は高原になって一気に温帯気候に変わる。だから上にあるラモス移住地では和梨、サンジョアキンでは青森リンゴのフジが生産されている。
 標高ゼロで暑いリオの場合、北に70キロにある高原都市ペトロポリスが、かつては夏限定の首都避暑地だった。だから笠戸丸移民が来た頃の各国の大使館は、ペトロポリスにもあった。初めて「移民賛成論」と説いて急死した三代目公使・杉村濬(ふかし)氏の墓もそこにある。
 この海岸山脈の存在は、景色として雄大であるだけでなく、その地形自体が現在のブラジルの社会や歴史を形作って来た重要な要素といえる。

大西洋が生まれたのは1億5千年前から

 地球内部はドロドロのマグマだが、表面は冷えて足元の地面となっている。その地面も、地球規模で見れば十数枚の巨大なプレート(岩盤層)に分かれており、内部のマグマの動きに引っ張られて、ゆっくり、ゆっくり移動している。
 そんな岩盤層にのっかった大陸は、今でも移動している。我々のいる南米大陸は、元々は「ゴンドワナ大陸」の一部だった。2億年ほど前から分裂をはじめ、南米、アフリカ、南極、インド、オーストラリアの各プレートが離れていった。
 南米プレートの上に乗っているのが南米大陸であり、それが1億5千年前ぐらいからアフリカ大陸と別れ始め、大西洋が生まれた。南米プレートはどんどん西方向に移動して、ペルーからチリの沖からイースター島のあたりまで広がる太平洋のナスカ・プレートにぶつかっている。
 南米プレートが西方向に押される力で南米大陸が盛り上がって、海岸山脈とその奥の高原という地形が作られた。現在でも30万年に25メートルの割合で、海岸山脈は持ち上げられているという。この海岸山脈が作られる活動が始まったのは、なんと6億年前というから、ゴンドワナ大陸分裂前からだ。
 南米プレートがナスカ・プレートにぶつかって、その上に乗っかるような形になったのでアンデス山脈が盛り上がった。上に乗っかられたナスカ・プレートが地殻に沈み込んでいる場所が、ペルー・チリ海溝だ。沈み込んでいる歪みが解放たれると、地震になるため、南米大陸の西海岸では地震が頻発する。

古生代の地層「楯状地」

ブラジルの主な地質構造図(『地質ニュース』1971年10月6日号、論文「ブラジルの地質」、杉尾憲一郎)地質調査総合センターWEBサイト<https://www.gsj.jp/data/chishitsunews/71_10_06.pdf>

 つまり、ブラジルの大地の大部分を占める37億年から5・5億年という地層は、地球環境的にとんでもなく古いものであり、その上で我々は生活していることになる。
 海岸山脈やアンデス山脈は造山活動によって生じた比較的新しい地層を持つが、それ以外の平地部分は、「楯状地」と言われるとてつもなく古い地形だ。
 この「楯状地」の説明として「URBAN KUBOTA NO.12-43」に、こんな記述を見つけた。
 《楯状地=カナダ・ブラジル・オーストラリア・中国・インド・アラビア・アフリカ及び北欧その他の大陸には、先カンブリア紀の岩石が広く露出している地域がある。それらの地域では、一般に、それを被覆する古生層・中生層・新生層はあっても薄く、火山噴出物を欠き,地層の変形・変成がほとんどみられない。
 このことは、古生代以後、これらの地域では造山運動がなかったことを示している。一般にこうした地域は、あたかも西洋の騎士の楯のような形のひろがりを示すので、楯状地とよばれている》(https://www.kubota.co.jp/siryou/pr/urban/pdf/12/pdf/12_3_4_1.pdf
 モジやスザノから見えるマンチケイラ山系、サントスやレジストロから見上げる海岸山脈は、そのような数億年単位の地球の営みの結果、生じたものだ。
 そしてサンパウロ市からアンデス山脈までの間に広がるまったいらな内陸部の平野の大半は、古生代から続く楯状地だ。
 ブラジルというと「新しい国」というイメージが強い。でも、当たり前だがそこにある自然は別物だ。人類の始まりであるホモ・サピエンスが現れたのは、ほんの40万から25万年前。まして、コンピューターやら携帯電話などの工業製品の多くは、ここ100~200年のものだ。
 近くの岩場や河原から拾ってきた庭の石、何げない石垣の石、畑の表土である堆積層の下に広がる古い地層、窓から見える景色、森の中の大木、海岸で打ち上げられている石、海岸山脈の絶壁の岩に思いを馳せれば、そこには数億年単位の歴史が眠っている。
 しばし世知辛い現世のことなど忘れて、ブラジルにもある雄大な歴史に、想いを馳せてみたらどうだろうか。(深)

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