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中島宏著『クリスト・レイ』第74話

 そこには、日本人たちの特別な思い入れがあった。
「ここであれば、大量の米を作って存分に収穫することができる」
 それが、この平野植民地に入植してきた人々の共通した考えであった。
 日本人の場合、農業といえばまず、米作りであった。米を作っていれば、自分たちの勝手知った作物でもあり経験度も高かったから、それを成功させる自信があった。さらには、お米に対する日本人の持つ郷愁というものにも繋がっていたから、この植民地での米作りはすべての人々が賛成し、躊躇することなく実行に移されて行った。
 しかも、この時期における米の値段は、需要に対して国内の生産が追い付かず、他国から輸入しなければならないというような状況であったため、徐々に値上がりしつつあった。
 この当時、ブラジルでは米の生産は一般的に行われており、特に珍しいものではなかったが、ただ、そのほとんどが陸稲であり、種類も日本でいう外米であったから、米といっても日本人移民にとっては馴染みの薄いものであった。
 この平野植民地で日本人たちが目指したのは、日本本来の米である水稲であり、それを作るには、ここの湿地帯は理想的なものとして彼らの目には映った。
 ほとんど無一文に近いような状態でグアタパラ農場から移って来た人々にとって、コーヒー園を造るなどという余裕はなかった。コーヒーの場合、本格的な収穫が期待できるまでは、苗を植えてから少なくとも数年ほどの期間を必要とした。
 彼らにとって、そのような悠長さは最初から考えられなかった。とにかく、その年から収穫があって、現金が入ってこなければ生活のメドが立たない状況であれば、コーヒー栽培は彼らにとって最初から無理な作物ということでもあった。
 ただ、収益が大きいということで、中期的な作戦として、いくらかの面積はコーヒーを植えたが、それは即刻結果が出るということには繋がらず、短期間での生活の糧にはなり得なかった。
 そこへいくと、米作の場合は短期勝負でもあり、日本人にとって馴染みの作物でもあったから、そこには何の問題もなく、むしろ非常に好条件の作物といえた。しかも、この平野植民地には米作には理想的ともいえる湿地帯が広がっていたのだから、そこに話が集中していくことはごく自然な成り行きでもあった。
 天候に大きく左右される陸稲よりは、常に水が存在している湿地帯の方が米作に向いていることは、日本人が見れば誰でも納得できることであり、それはごく当然の結論ともいえた。この光景を目の当たりにして彼らが大いに喜んだのも無理もない話だったのである。
 だが、この植民地を計画し、実際に一緒に開拓を進めようとした平野運平は、残念ながらこのノロエステ地方の本当の状況を把握できていなかった。そこに、日本人移民史の中でも最悪といわれる悲惨な物語に繋がっていく悲劇の原因があった。

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