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中島宏著『クリスト・レイ』第137話

 その手始めとして、ここの植民地の子弟の皆さんに日本語を教えることになったけど、これも、あの、アゴスチーニョ神父がお膳立てをされて、それに私はただ、乗っかっただけということだから、私が積極的に参加したとはいえないし、それほどの貢献をしているという実感はほとんどないといっていいわね。
 ただ、ブラジルにもかなり慣れてきた今、さっき言ったような方面で、教会や植民地で働く人たちに貢献できれば、それが理想的な形になっていくのじゃないかしら。最近になって私が考えているのは大体、そんなことね」
「それもやはり、開拓精神に繋がっていくという点で、有意義なことだと思うね。
 アヤの言う、運命的なものというのは結局、そういうところを意味しているのじゃないかな。今のところ、そういう仕事ができるのは、この植民地ではアヤ一人だけでしょう。そこに君の出番があるというか、君にしかできない分野が広がっているといえそうだね。そういうふうに考えると、アヤのここでの存在が、大きなものとして見えてくる感じだね。
 日本語学校は閉鎖されたから、取りあえずそちらの仕事はなくなったけど、しかし、それよりももっと大きくて、しかもさらに複雑な仕事が君を待っているということになりそうな気配だね。周りの環境が厳しくなっていっても、君の仕事に関しては、消えていきそうもないよ。そういうことから言えば、アヤのこの国での生き方はまだ、そのほんの始まりにすぎないことになるね。
 これからがいよいよ本番を目指して動き始めるというところかな。
 ところでね、アヤ。これをいつか聞いてみようと思ってたのだけど、アヤの場合、生きていく場所が変わっても、国が変わっても、それに比較的簡単に対応できる能力が君にはある。それは誰にもあるというものではないと僕は見ているけど、一体、そういう強さというか、柔軟さというのは、どこから来るものなんだろう。
 あるいはそれは、宗教の力に繋がるものなのだろうか。まあ、宗教といえば、ここに住む隠れキリシタンの人たちにも同じことがいえるとは思うけど、しかし、君の場合は、彼らとは異質のものがあるように僕には思えるから、その辺りが微妙に違うのではないかとも考えている。そこまでの、君の心の深い面を探ろうとするのは、ちょっと行き過ぎかもしれないけど、もしできれば、そこを教えてくれないかな」
「そうね、話せば長くなるかもしれないけど、自分の気持ちをここで整理するためにも、マルコスには私の心の深い部分を話して置いたほうがいいと思う。
 それを、あなたがどう解釈しようと、それはあなたの問題として受け止めてもらったらいいし、それに対する意見を特に聞きたいとも思わないわ。ただ、こういうことをいずれ誰かに話さなければならないと考えていたから、むしろこれは、そのいい機会といえるかもしれないわね」
 この時のアヤの話は、マルコスもちょっと想像しなかったほどの意外性を持つものだった。いわばそれは、彼女の精神的な成り立ちの部分をさらけ出すような話だが、そこまで彼女はマルコスに対して心を開いたということになるのかもしれない。
 それは、単なる過去の物語という簡単なものではなく、アヤ自身の告白ともいえるものであった。少し、長くなる。

「さてと、私の物語をどこから始めたらいいか、ちょっと戸惑うわ。
 前にも話したけど、私が生まれ育ったのは、日本の福岡県にある、今村町という所なの。町といっても私が住んでいたのは本当の田舎で、畑しかない寒村といった所ね。

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