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連載小説

臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(3)

第1章 航海中の惨事  肌をさす冷たい突風がふいて、正輝はブルンと身震いしたが、その冷たさが快くもあった。三ヵ月たってはじめて目にする広い空だった。雲ひとつ見あたらない。すがすがしい青色は、故郷の冬晴れの空を思わせた。 「もしかしたら、こっちはあっちとあまり違わないかもしれない」と考えた。  船旅のあいだ暗い船底で、ぎゅうぎゅう ...

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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(2)

 最終的に日本の敗戦を認識し、日本にはもう帰れないという厳しい現実に直面したとき、はじめてブラジル生まれの子どもたちの教育に的が絞られた。農業をすて、都会で生き延びる方法を模索したのである。こうして、家族は急激にブラジル社会に溶けこんでいった。まず、家庭内ではポルトガル語が使用された。同時にまた経済の向上を根気よく図りもしたが、 ...

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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(1)

はじめに            保久原淳次ジョージ  この本は後部の参考書および訳注・備考欄に記載した記録および作者が収集した証言、あるいは本人の記憶によるエピソードなどを記したもので、登場人物はすべて実在し、記述された事柄はすべて事実である。  しかしながら、本書は歴史、社会学、新聞報道のたぐいのものではなく、しいていえば、物 ...

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自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(73)

(三)ブラジル日系文学誌の選者の一人の評について     ブラジル日系文学№二六(二〇〇七年七月)に、体験記として『私のシベリア抑留記』が掲載されたが、これは編集者に乞われたからである。原稿用紙三〇〇枚を三五枚に縮めての記録だから説明不足が随所に現れている。ではなぜ、歴史になっているシベリア体験を発表する気になったか。  このこ ...

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自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(72)

 彼は私が遠いブラジルからわざわざシベリア墓参に参加したのは、同時にあの当時の仕返しをするためではないかと勘繰り、絶えず私の動向を見守っていたのだ。だから訊ねもしないのに小之原が死んだことや、モルドイ村からノーバヤに移った後は、将校も部下と同じように働いたんだと、喋った。そして別れる時、予約も払い込みもしていないホテルを持ち出し ...

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自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(71)

 私はあの夢と同じように、裏へ回って勝手口の戸を開けた。台所の板の間に両親は並んで行儀よく座り、私の帰りを予期していたかのように私を見つめた。二年の間に、すっかり老いてしまった両親の頬に涙が流れた。   夢で見たとおりであった。  夢では母は私の好物の特大の厚焼卵を作ってくれた。現実では釜一杯に白米を炊き存分に食べさせてくれた。 ...

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自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(70)

 夕方握り飯を二個支給され、隊列を組んで緩い坂を上がったところに駅があった。ここで東さんと惜別する。彼は別の車輌に乗車することになったのだ。一旦田舎の父母の下に帰り、善後策を考えるということだった。  保坂さんと戦友二人の四人が、向かい合って腰をかけた。鳥栖駅で愛国婦人会の襷をかけたご婦人たちから、ご苦労様でした。ご無事のご帰還 ...

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自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(69)

 灯りの向こうの暗闇に故郷の山川があらわれて、よくぞ生きて帰ってきたと、語りかけてくるようであった。真冬の日本海上、灯りが見えなくなるまで佇ちつくしていた。吹きつける寒風を暖かく感じながらー。  生涯を通じ、これほど強烈な感動を覚えたことはない。   二五、遂に故国の大地を踏む  感動の涙に心を洗われた翌日は、一九四七年一月一日 ...

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自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(68)

 ソ連軍将校の中には日本語を私たちより上手に話すものがいる。彼もその一人で連れの将校も、理路整然と語った。東さんがみんなを見回して言った。 「俺たちが生きて帰ってこそ、死んだ戦友たちの霊も浮ばれると思うが、みんなどうだ」  全員黙ってうなずいた。しかし翌日私たちは第一船からはずされ、嬉々として埠頭に向う戦友の列を見送った。    ...

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自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(67)

「先程の質問にたいしては、資料がなくて答えられない。しかし増産態勢にあることは確実である。明日要求にあった鉛筆とノートを用意する」  上級将校は鮮やかな日本語で説明し、私に向かって微笑して去った。翌日、一本を三分の一に切った鉛筆と、ザラ紙半分が各自に支給された。  あの時深い考えがあって質問したわけではなかった。国民の需要を満た ...

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