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オーリャ!

コラム オーリャ!

ニッケイ新聞 2011年4月6日付け  県人会式典の中止、経済使節団の延期・・・、東日本大震災を受け、予定されていた日伯交流の機会が変更を余儀なくされている。復興への道筋が見えず、原発問題も進行中の現状からすればやむを得ないことだが、残念なことだ。こうしたケースは今後まだ出てくるかもしれない。  そんな中、目立たないながらも一つ ...

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ニッケイ新聞 2011年4月1日付け  日系二世のチバ・ジルベルト・カズオさんが福島県の避難所に出向き、ラーメンを無料提供した。ガソリン代や自家発電機も日系人らが協力したという(本面トップ記事)。  多くの在日ブラジル人が日本を離れたとも聞くが、こうした心情的に日本に根付いた日系人の活動を嬉しく思う。  食材やガスを提供、社長自 ...

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ニッケイ新聞 2011年3月30日付け  富山県高岡市でこのほど、ブラジル人など地元の外国人から東日本大震災の救援物資としてトラック1台分の水や食料、紙おむつなどが寄せられた。群馬県大泉町でも、地元のブラジル系スーパーが物資を集める姿が報じられている。  大地震から2週間あまり。多言語での情報提供もあるとはいえ、日本語の不自由な ...

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ニッケイ新聞 2011年3月25日付け  弊紙編集部は色んな人が出入りするので、なかなかに賑やかだ。  イベントや出来事を伝えに当事者が訪問する来社システムがその理由。  その来社がこのごろとんと少ないような気がする。時期的なものもあるのだが、震災のせいもあるのかな、とも思う。   全伯で150万レ近い義捐金が集まりそうだという ...

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ニッケイ新聞 2011年3月23日付け  巨大地震の被害に苦しむ日本を応援しようと、ブラジル日系社会でも支援活動が活発だ。本紙に掲載しただけで既に10以上の口座が開かれ、義捐金を受付けている。  関係者の熱意には頭が下がる。ただ思うのは、今のように統一感のないままそれぞれの動きが続いた場合、いつか〃息切れ〃してしまうのではないか ...

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ニッケイ新聞 2011年3月11日付け  今週13日に「スザノソフトボール同好会大会」が第300回を迎える(本日付6面で詳細)。  同会では、各チームに女性を入れることが規則だった。「それが家庭的な雰囲気を作り、長続きしたのでは」と発起人の松本輝記さんは話す。  過去30年に参加したチームは192に上る。紙面の都合で掲載すること ...

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ニッケイ新聞 2011年3月5日付け  日本の今の印象はどんなものだろう?  私見だが政治不安、頻発する奇怪な事件に不況などか。しかし、特に不況はバブル後生れのコラム子にとっては目新しい事ではない。物心ついた頃からずっと不景気の言葉を聞かされて育ってきたようなものだ。  しかし今ブラジルにいる。中間層拡大による内需主導で安定的に ...

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ニッケイ新聞 2011年3月4日付け  日本では土日祝日、高速道路が一律1000円というので先日帰国したさい、大いに活用した。  パーキング・エリア(PA)に何度か立ち寄ったのだが、その充実ぶりには、目を見張るばかりだった。  それぞれが趣向を凝らした独自性を主張しており、なかなか楽しい。各地のPAを紹介する機関紙のようなものも ...

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ニッケイ新聞 2011年3月2日付け  JICA横浜の移住資料館で3月まで、戦争中に米国で強制収容された日系人の姿を描いた絵画展が開かれている。  作者のヘンリー杉本は1919年に渡米して絵を学び、41年の日米開戦で収容。木綿の布に絵を描き、収容所の美術教員も務めたという。この他、カメラを密かに持ち込んで収容所の生活を撮影した人 ...

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ニッケイ新聞 2011年2月26日付け  中、高絞とも修学旅行の行き先は沖縄だった。  ひめゆりの塔を見学し、ジメっとした防空壕の中で語り部から戦争当時の話を聞いた。本島からの距離ゆえか、独特の辛い歴史がある島。  中部に位置する宜野座村は、沖縄県特有の村単位での南米との交流事業の先駆けという。先月も5回目となる南米研修生が来伯 ...

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