2010年
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日本語教師リレーエッセイ=第9回=学び、集い、人を育てる日本語学校=ブラガンサ日本語学校=植西晶子
ニッケイ新聞 2010年8月21日付け 私は1991年にJICA開発青年(現在の青年ボランティア)の日本語教師としてブラジルに来ました。3年間サンパウロとアチバイアの日本語学校でお手伝いしながら色々
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日本語教師リレーエッセイ=第8回=協力あってこその日本語教育=ピラール・ド・スール日本語学校=岡田エリーナ
ニッケイ新聞 2010年8月14日付け 私は結婚してすぐ日本へ出稼ぎに行きました。その時に夫を病気で亡くし、幼い娘と二人で帰国し、これからの事を色々と考えていた時、日本語学校を運営するピラール・ド・
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日本語教師リレーエッセイ=第7回=日本語教育に対する思い=ジアデーマ天理学園=今井恵實子
ニッケイ新聞 2010年8月7日付け 昨年5月、日本語学校ジアデーマ天理学園は創立40周年(創設は1969年2月)を迎え、数多くの昔の生徒達が〃おめでとうございます!〃と駆けつけてくれました。その昔
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日本語教師リレーエッセイ=第6回=学習者のニーズに応える=楮本浦部恵美=アラサツーバ日本語普及センター
ニッケイ新聞 2010年7月31日付け 私は楮本(かじもと)浦部恵美と申します。サンパウロ州サンパウロ市で生まれ、現在、ノロエステ地区アラサツーバ市のアラサツーバ日本語普及センターで働いています。
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日本語教師リレーエッセイ=第5回(下)=人を育てる継承日本語教育=スザノ金剛寺学園=伊藤万理子
ニッケイ新聞 2010年7月24日付け 日本語教育をやっていて、言葉の大切さを日々感じています。言葉は人間の生きていくための大切な道具です。自分の気持ちを伝えるためにも使う道具です。伝わらなければ言
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コチア青年55年・花嫁51年=55年目のコチア青年=パラナの仲間を訪ねて=《3・終》=初のポンタ・グロッサ訪問=コチアの遺産我らの手に
ニッケイ新聞 2010年7月21日付け 一行はクリチーバから約140キロ離れた南パラナのポンタ・グロッサへ。親睦旅行で同地を訪れるのは初めてのことだ。 休憩のためホテルへチェック・インすると、同地
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日本語教師リレーエッセイ=第5回(上)=地域と家族が支える子弟教育=スザノ金剛寺学園=伊藤万理子
ニッケイ新聞 2010年7月17日付け 日本からブラジルに移住して18年、月日のたつのは早いものです。また時代の移り変わりの激しいことにも驚かされます。私が住んでいるスザノの町も急激に様変わりしまし
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コチア青年55年・花嫁51年=55年目のコチア青年=パラナの仲間を訪ねて=《2》=「同じ釜の飯」の仲間=苦労話も今は笑って
ニッケイ新聞 2010年7月16日付け この日の昼食会に参加したクリチーバ、近郊の青年・夫人らは約20人。最初から同地在住の人、サンパウロ州内に配耕後単身新天地へ移った人、パトロンと共にバタタ栽培で
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コチア青年55年・花嫁51年=55年目のコチア青年=パラナの仲間を訪ねて=《1》=クリチーバ=地元日本食の先駆け=観光ガイドは青年子弟
ニッケイ新聞 2010年7月15日付け 1次1回の移住から今年55周年を迎えるコチア青年。9月19日の記念式典を前に、地方在住の青年を訪ねる2回目の親睦旅行が6月に実施された。今回の訪問地はパラナ州
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日本語教師リレーエッセイ=第4回(下)=野に咲くタンポポの様に=ドウラードス・モデル校=城田志津子
ニッケイ新聞 2010年7月3日付け 最近は、『親孝行』ということばはあまり聞く機会はなくなりました。逆に『子ども孝行』ということばが当用漢字に出てきそうな時代となりました。しかし、ブラジルでは家族