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2010年

セラードの今を歩く=家の光編集部・佐藤哲也=(5)=効果的コストで驚異的収量

ニッケイ新聞 2010年6月3日付け  次に訪問したのが、ミナス・ジェライス州の北に位置するバイア州だ。その州西部の都市・バレイラスから西に80キロほどの位置にルイス・エドワルド・マガリャンエス市(以下LEM)がある。  LEMの北部には、大豆、トウモロコシの大穀倉地帯が広がっている。見渡すかぎりの大豆、トウモロコシ畑が地平線と ...

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セラードの今を歩く=家の光編集部・佐藤哲也=(4)=広がるGMO大豆の栽培

ニッケイ新聞 2010年6月1日付け  ブラジルでの大豆生産というと気になるのが、遺伝子組み換え大豆の動向ではないだろうか。  ブラジルでは近年まで、国がGMO(遺伝子組み換え)大豆の栽培を禁止していた。しかし、アルゼンチンやパラグアイなど近隣諸国からの種子流入が起こり、急速に広がっていった。国はこの状況に条件付きながらも許可せ ...

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セラードの今を歩く=家の光編集部・佐藤哲也=(3)=投資型農業、農協も立ち上げ

ニッケイ新聞 2010年5月29日付け  ウナイはもともと、降水量の多い地域ではない。セラードには、年間1800ミリを超える地域から、ほとんど降らない地域までさまざまだ。降っても、雨季に集中し、乾季にはまったく降らないという地域もある)  そこで、降水量の少ない地域に導入されているのが灌漑設備の「ピヴォ・セントラル(中央灌水)」 ...

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セラードの今を歩く=家の光編集部・佐藤哲也=(1)=最高の気候、最悪の輸送

ニッケイ新聞 2010年5月27日付け  ブラジルは1990年代、大豆をはじめとした穀物の生産量が大幅に伸び、農産物純輸出額では現在、世界一になっている。とくに大豆の生産量、輸出量ではアメリカに次ぎ、ともに世界2位を誇る。その背景にあるのがセラード開発だ。しかもセラードには、いまだ開拓可能な土地が、牧草地からの転用も含めれば、約 ...

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セラードの今を歩く=家の光編集部・佐藤哲也=(2)=ミナス・ウナイの農協を訪問

ニッケイ新聞 2010年5月28日付け  セラード農業開発では、1~3次にわたる試験的事業を経て、本格的な入植が始まった。まず、1次試験地として入植が始まったのがブラジル南東部にあるミナス・ジェライス州だ。そのミナス・ジェライス州のウナイ市にあるコアノール農協を訪ねた。  ウナイは首都ブラジリアから南東に約200kmにある街。ま ...

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継承日本語教育を残せ!=(下)=寄稿=周りの支えあってこそ=ピラール・ド・スル日本語学校教師=渡辺久洋

ニッケイ新聞 2010年5月19日付け  当地の日本語学校は約15年前までは、多くの町のように生徒数は150人を超えていましたが、現在は66人です。  ですが、その間に日本語学校内に陸上部とソーラン部ができ、それぞれ半分近い生徒が活動し、休みの日などは大会や発表で色々な町へ行き、学校行事も増えました。人数の上では衰退ですが、内容 ...

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継承日本語教育を残せ!=(中)=寄稿=根本的な教育の姿勢=ピラール・ド・スル日本語学校教師=渡辺久洋

ニッケイ新聞 2010年5月18日付け  「生徒はもう3世や4世だし、家庭でも日本語を使わないから外国語教育しかできない」。日本語教師達からでさえこんな声を聞きます。果たしてそうでしょうか?  「もう外国語教育しかできない」との言葉には、「英語やスペイン語みたいな語学学校として認識しよう」との意味が含まれているように聞こえます。 ...

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継承日本語教育を残せ!=(上)=寄稿=日本語学校という宝箱=ピラール・ド・スル日本語学校教師=渡辺久洋

ニッケイ新聞 2010年5月15日付け  「継承日本語の時代は終わり」とか「これからの日本語教育は外国語教育」などの悲観的な声が年々強くなってきています。継承日本語教育は衰退の一途をたどり、近い将来消滅する。これはもはや確定事項だという雰囲気が漂っています。  はたしてそうでしょうか?  確かに日本人会が長年運営してきた「日系子 ...

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55年目のコチア青年=レジストロ、イグアッペを訪ねて=《3》=〝青年〟の絆いまも=イグアッペの仲間を初訪問

ニッケイ新聞 2010年5月11日付け  レジストロで一夜を過ごした一行は翌朝、次の目的地イグアッペへ。同地への青年入植は60年、ピンダモニャンガーバの大谷参雄氏(コチア産組監事)がバナナ団地を作り、6人の青年を連れて入ったのが始まりだ。  バスは貞光邦夫さん(2次16回、徳島県)と大気武さん(1次9回、栃木県)が経営する農園へ ...

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55年目のコチア青年=レジストロ、イグアッペを訪ねて=《2》=半世紀を取り戻す再会=レジストロ文協で交流

ニッケイ新聞 2010年5月7日付け  世界でもまれな独身青年移住制度であったコチア青年移住。67年までの間に1次16回、2次35回で計2508人の若者たちが海を渡った。その青年たちの花嫁として渡伯した女性たちは約500人。9月の式典では、コチア青年55周年とあわせ、花嫁移住51周年も祝う。  その歴史の第一歩を踏み出した1次1 ...

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