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終戦70年記念=『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ

終戦70年記念=『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ=第22回=岸本は勝ち組か負け組か

 暁星学園の卒業生は「岸本は負け組だった」と言い、パ紙OBは「勝ち組だった」と評価が平行線だった疑問を、第6節で書いた。この点に関し、『戦野』を読むかぎり〃勝ち組的〃としか言いようがない。いわば〃心情的勝ち組〃だ。 認識派が触れたくないブラジル官憲の弾圧を果敢に書く一方で、「日本は負けていない」という戦勝論者と同じ〃思想的土俵〃 ...

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終戦70年記念=『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ=第21回=ブラジルを裏切ったユダ

 《キシモトはユダの微笑を顔に浮かべながら、手にはブルータスの短刀を隠し、彼の息子たちを温かく迎えて彼自身も帰化した祖国(編註=ブラジル)を裏切った》。ミランダ報告書を受けて、DOPSのロッシャ警部補は48年4月29日付の報告書で、そう憎しみを込めた書き方をした。 ユダはキリストを裏切ったとされる弟子、ブルータスはローマ末期の独 ...

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終戦70年記念=『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ=第20回=元親日派ブラジル人ゆえの岸本攻撃

マリオ・ボテーリョが編集責任者をしていた戦前の雑誌『文化』の表紙(移民史料館)

 DOPS調書には『戦野』の翻訳をした「マリオ・ボテーリョ・デ・ミランダ」が書いた翻訳者所感が書かれた報告書(48年4月22日付)も挟み込まれている。 いわく《この本には疑う余地もなく、主に戦争中において祖国(日本)から孤立してここで苦しむ日本人への圧迫、ブラジルでの残酷さへの警告に加え、批判的な意見や表現が見られる》とし、まえ ...

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終戦70年記念=『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ=第19回=エリート二世の心の傷

1932年の護憲革命軍に参加した当時の若き山城ジョゼ(Trajetoria de Duas Vidas)

 移民の子供としてブラジルに生まれ、複数の大統領すら輩出するUSP法学部、難関の医学部に苦労して入学して得た「USP学生」というエリートの肩書はなんだったのか――。ただでさえデリケートな思春期、誇り高い彼らは〃事件〃の体験に打ちのめされたに違いない。 そんな忸怩たる思いで、1週間の獄中生活を送った。その時間が彼らに「ブラジルの怖 ...

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終戦70年記念=『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ=第18回=「湖で潜水艦建造」容疑

貴重な記録が収められているタケウチの本

 戦中に強いトラウマを抱いていたのは、必ずしも戦前の日系社会指導者層だけではない。たとえばエリート二世層の代表の一人、翁長英雄だ。 彼は臣道聯盟の記事を次々と書いて注目されていた。臣聯関係に限らず、緻密な取材に裏付けられた記事を発表し、時には警察官の悪事を暴き、「刑務所からでたらまず貴様を殺す」と予告されたこともあった。 ルポの ...

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終戦70年記念=『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ=第17回=対伯批判できない邦字紙

3回もヴァルガスから国外追放令を出された三浦鑿日伯新聞社主

 戦争中の経験は移民史上に残されず、心の奥底にうずき続けた。 サ紙創立に関わり、文協事務局長、県連会長も務め、コロニアの裏面をよく知っていた藤井卓治は「日本語新聞最大の欠陥は、ブラジルの政治批判が許されないことにある。三浦日伯は日本の出先官憲批判で、時報と対立となりブラジル政治批判のワナにひっかけられて2度も国外追放の憂き目をみ ...

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終戦70年記念=『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ=第16回=戦中にブラジル政府に抗議?

戦前に宮腰千葉太述で出された『日本精神講話』の目次

 『受難』の中の半田知雄日記には、こんな記述もある。《42年2月26日=第五列の嫌疑で捕まった人たちが、(留置場において)どんな生活をしているかは、多くの同胞が知りたがっていたことであったが、九十日も独房に入れられて、娑婆へ出て来たときには、見違えるような白髪の老人になった人……》 ただ収監されるだけでなく、戦争中は「第五列」( ...

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終戦70年記念=『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ=第15回=戦中に拷問された戦前指導者

野村忠三郎

 戦争中のことに焦点を絞った貴重な文献『戦時下の日本移民の受難』(安良田済編著、11年)には鳥取県人会会長を30年も務めた徳尾恒壽の日記が転載されている。開戦時に東山銀行の経理部主任をしていた。《▽1942年2月26日=聞けば多くの邦人が何かと疑いをかけられて、警察に引っ張られ、歩行も出来なくなるほど叩かれた者もあるという。憤り ...

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終戦70年記念=『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ=第14回=「死ぬような思い」とは

南銀創立者の一人、加藤好之(『南米銀行五十年史』1994年)

 1941年12月、太平洋戦争が勃発し、ブラジル政府から最初に目の敵にされたのは戦前の日系社会指導者層、つまり戦後の認識派リーダーであった。戦前に大事業をやっていた東山農場、日系商社、ブラ拓などは資産凍結、もしくは政府任命の監督官が送り込まれ、枢軸国側からの攻撃でうけた損害を移民の資産から賠償するために差し押さえられた。 南米銀 ...

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終戦70年記念=『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ=第13回=英米領事が尋問に同席

DOPSとして使われていた建物

 『戦野』68頁には、驚くべき記述があった。《サンパウロの保安課ではアメリカの領事と、英国の領事が相互に出張し、彼らの諜報機関からの情報や調査を基本として、指令を与えたり、在伯、日、独伊人に対するブラジル警察の活動に助力を与えたりして居るので、サンパウロ市の警察下級官吏は、虎の威を被る小狐の如く、英米崇拝に心酔し、為に日独の高位 ...

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