『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲
-
『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(49)
西村は、仁王に似た体格の持ち主で、破(われ)鐘の様な声で人を使った。一方で可愛がった。それについては、彼の下で働いていた勝田卯太郎の話が、文字になって残っている。それによると──。 最初、西村が勝田
-
『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(48)
次いで、もう一カ所、候補となったのがトゥレス・バーラスであった。当時、北パラナは豊饒な大地が無限に広がる開発前線として、世の関心を惹き付けていた。梅谷は興味を抱いたが、日本へ帰国の日時が迫っていた。
-
『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=(47)
五章 アサイ 三本の金塊 その昔、北パラナに「トゥレス・バーラス」という名の、かなり広い私有地があった。といっても、1930年代の初めまでは、ここも、やはり原始林であったが……。 2015年現在、
-
『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(47)
窓外に見る企業の浮沈 先に記したカフェー・ソルーベル・イグアスー社の工場は、2015年現在、操業開始以来、40年以上になる。 筆者は、何度か、その工場の傍を車で通ったが、その威容が周辺を圧倒している
-
『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(46)
往事茫々 斉の息子の宮本ミノルは1962年、下院議員に当選したが、1978年の選挙で落選、以後、政界復帰をすることはなく、他界した。 1973年、コルネーリオ・プロコッピオの市長になった邦弘の息子ネ
-
『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(45)
1960年代後半、筆者が邦字紙の新米記者をしていた頃、邦弘はサンパウロ市内にも事務所を置き、様々な事業に関わり、幾つかの団体の役員を務めていた。 人から聞いたことだが、自家用の飛行機で飛び回っており
-
『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(44)
こういう話もあった。正月、斉の配下たちが、農場のセーデ(本部)で新年会を開いていた。そこにカマラーダが乗り込んで着て、仲間に入れろと暴れ出した。それを小山田という男が、鞭で叩きのめした。カマラーダは
-
『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(43)
博打と拳銃 ところが、この斉、町では博打ばかりしていた。70コントス負け、兄から貰った20アルケーレスの土地を渡してしまった。後年のことになるが、サントスへ行って400コントス負けたことがある。が、
-
『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(42)
このアルマゼンについては、本稿では、すでに何度かふれた。浩は、ここから余り遠くないアグア・リンパの安瀬盛次と、ほぼ同時期、この商売を始めている。 当時、このプロミッソン地方には、植民地が多数でき、邦
-
『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(41)
労働法問題、強盗 1960年代の末以降、この国の何処でも、農場主は労働法問題に苦しめられた。 弁護士たちが農村労働法を道具に、労務者を唆して雇用主を告訴させた。裁判は、殆ど原告の勝訴となった。被告