『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲
-
『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(30)
すると、ある日、カンバラー警察のコルデイ署長から「クリチーバ(州警察本部)から、貴下を逮捕するよう指令がきている。至急、州外へ出るように」と伝えてきた。この逮捕令は、農場の管理人が「牛草がカンバラー
-
『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(29)
翌1933年、カフェー樹数は32万5、000本となっていたが、経営は創業以来の赤字から抜け出すことができないでいた。これはカフェーが生産過剰で、市況が極端に低迷していたためである。時のゼッツリオ・ヴ
-
『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(28)
伊藤陽三の運と不運 野村徳七は元々、海外事業に強い熱意を持っていた上、政府から働きかけを受けていたため、伊藤陽三の話に直ぐ乗ったのであろう。ただ資金が10万円では、政府が期待するほどの仕事は出来ない
-
『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(27)
背後に国策 しかるに何故、100万円を出したのか。その正確な理由は資料類にも記されていない。が、筆者は、この時期、野村徳七は政府からブラジル投資の要請を受けていた──と読んでいる。 以下は拙著『百年
-
『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(26)
二章 バンデイランテス 農場を守り、守り続けて90年 サンパウロ―パラナ線は、1930年、カンバラーから西へ52キロ地点まで延びた。駅はバンデイランテスと名付けられた。これは地名にもなった。 駅の
-
『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(25)
その数奇な運命 マツバラの後、ファゼンダ・ブーグレは、セラフィン・メネゲールという、やはりこの地方の事業家が買い取った。2015年4月現在、ブーグレでカナを栽培、それを原料に、バンデイランテスでエタ
-
『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(22)
儲けに儲ける 1961年、40アルケーレスの土地を借りて棉を作ろうとした。しかし営農資金がない。知人に相談すると、貸してくれた。この時も儲けた。借地していた40アルケーレスの土地を買えるほどだった。
-
『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(24)
資金繰りに苦しんだ! 2014年、筆者は松原武雄の弟のスエオ氏(二世)が健在であることを知った。バンデイランテスに住んでいるという。会って筆者の推定を確認したいと思った。が、多分、先方は断るだろうこ
-
『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(23)
マツバラ消滅! 一体、何が? ところが、そのマツバラが、いつの間にか消えてしまったのである。しかし、それが、いつのことか、何故そうなったのか、不明であった。1990年代のことらしかったが、当時、そ
-
『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(21)
この1939年、姉が結婚した。それを機に、一家はイタンバラカーの大槻という日本人の農場に移った(イタンバラカーも、現在は独立した町=ムンシピオ=になっているが、当時はインガーの一部だった)。 大槻家