連載
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第46回県連故郷巡り=悠久と躍動の北西パラナ=(6)=何気ない朝食でアントニオ猪木
翌朝10月1日(土)にホテルで、朝食中に参加者の笹島弘美さん(78、プレジデンテ・プルデンテ生まれ、二世)、妻のローザ・トコヨさん(72、アサイ生まれ、二世)に、ウマラマ日伯文化体育協会との交流会の
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『百年の水流』開発前線編 第二部=南パラナ寸描=外山 脩(おさむ)=(12)
前項の様な次第で、クリチーバに現れた初期の邦人は、水野龍の粗放さの被害者が多かった。ところが、その水野が1926年、ここに転住してきた。といっても、単なる偶然であったが‥‥。 被害者も殆ど去ってい
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『百年の水流』開発前線編 第二部=南パラナ寸描=外山 脩(おさむ)=(11)
婚約者から逃げて来た男 1909年には、もう一人の日本人がクリチーバ入りした。AYUMIによると、シンキチ・アリカワという名で、「婚約者から逃げてきた」と言っていたという。 笠戸丸の2年前、190
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第46回県連故郷巡り=悠久と躍動の北西パラナ=(5)=この地で健闘する戦後移民
ウマラマといえば青年隊の〝故郷〟との印象だったが、この地でもコチア青年を見つけた。パラナ州に入ったのは戦前移民の子供世代が中心だったが、今回の旅を通して、青年隊はもちろん、意外に戦後移民があちこちに
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JICA=日系社会ボランティア30周年=リレーエッセイでたどる絆=第2回=自分のことはさておいた日々
1995年に開発青年としてサンパウロのブラジル日本交流協会へ団体事務職で派遣され、ブラジルの広い胸に押し返されながら悪戦苦闘する日本人研修生とともに泣いたり笑ったり、様々な生きざまを見守った3年間は
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『百年の水流』開発前線編 第二部=南パラナ寸描=外山 脩(おさむ)=(10)
今日、クリチーバ市の人口は約200万である。日系は2~3万、と地元の人々は推定している。 しかし日系は終戦までは、ごく少なかった。前出の東野光信さんは「100家族は居なかったでしょう」と言う。
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第46回県連故郷巡り=悠久と躍動の北西パラナ=(4)=新しい「故郷巡り」始まる
「ゲートボールが大好き。この間、ゴヤスの大会で1位になったのよ」と元気ハツラツの武内マリエさんに年を聞くと、「92歳」とのこと。驚くほど生命力にあふれている。パラナ州に近いサンパウロ州最西部オーリー
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『百年の水流』開発前線編 第二部=南パラナ寸描=外山 脩(おさむ)=(9)
筆者は、終戦直後の邦人社会の騒乱を長く取材している。感ずることは多々あるが、特に、その渦中で起きた襲撃事件には、心を捉われる。被害者、加害者のことが屡々、脳裏に浮かぶ。被害者には無論同情しているが、
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第46回県連故郷巡り=悠久と躍動の北西パラナ=(3)=町誕生で続々とサンパウロ州から
9月30日(金)午後、故郷巡り一行は現地が誇る巨大企業ザエリ(Zaeli Alimentos LTDA)の工場を見学。夜はウマラマ文化体育協会で交流会が行われ、現地からは約30人が参加した。 町の
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『百年の水流』開発前線編 第二部=南パラナ寸描=外山 脩(おさむ)=(8)
東野家の受難 話の時期は、再び1942年に戻るが、ケブラケブラは、実はパラナグア湾の南岸地域より半年前、クリチーバの市内で起きていた。 AYUMIによると、1942年3月19日、ほぼ1万の群衆が、