連載
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第46回県連故郷巡り=悠久と躍動の北西パラナ=(2)=産業開発青年隊のふるさと
ウマラマ市から70キロほどのセーラ・ドス・ドウラードスには、今年60周年を祝う「南米産業開発青年隊」の訓練所があった。彼らにとってはまさに「ふるさと」と言えるゆかりの地だ。これは、農家の次男、三男問
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『百年の水流』開発前線編 第二部=南パラナ寸描=外山 脩(おさむ)=(7)
既述したが、筆者は2014年、アントニーナを訪れた。この折も、山下亮さんに無理を言って、車で連れて行って貰った。 途中、海岸山脈を横切った。山峡の高速道路を走っている時、上を見上げると、海抜千数百
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第46回県連故郷巡り=悠久と躍動の北西パラナ=(1)=ゆかりの深いウマラマ
第46回県連ふるさと巡り一行119人は9月29日から10月5日にかけて、北西パラナのウムアラマ、グアイーラ、カスカベルの日系団体と交流し、最後にジュレマ温泉を訪れた。南麻州との州境、パラグアイとの国
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『百年の水流』開発前線編 第二部=南パラナ寸描=外山 脩(おさむ)=(6)
被害者の直話 アントニーナと同時にパラナグアでもケブラケブラが起きたが、筆者はその被害者の一人から、直接、話を聞くことができた。2014年のことである。 クリチーバ市内に、東野一子という老婦人が住
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JICA=日系社会ボランティア30周年=リレーエッセイでたどる絆=第1回=役に立った危機管理の経験
JICA日系社会ボランティアが今年、30周年を迎えたのを記念して、現役と経験者による20人ほどのリレーエッセイを、毎週1回をめどに掲載することになった。青年とシニアそれぞれから、ボランティア時に最も
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『百年の水流』開発前線編 第二部=南パラナ寸描=外山 脩(おさむ)=(5)
1939年、欧州で大戦が勃発。後に第二次世界大戦と命名。 1941年12月、日本が米英に開戦。翌1月末、ブラジル、日本と国交を断絶。 何の責任もなかったが、在伯日本人に対する迫害が、各地で始まっ
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『百年の水流』開発前線編 第二部=南パラナ寸描=外山 脩(おさむ)=(4)
二人妻 長谷川武は人格者で、後に邦人社会のため献身的に尽くした──と資料類には記されている。 以下、前出AYUMIよるが。── 長谷川がサンタ・オリンピアに居た時、高田はまこという女性がやって来
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『百年の水流』開発前線編 第二部=南パラナ寸描=外山 脩(おさむ)=(3)
マレッタで仲間の4人が去った後、残りの長谷 川武と堀部栄吉は、少し北のカショエイラ川の近くに移動した。そこは地主によると「マレッタの心配はない」ということであった。 しかし二人だけでは、どうにもな
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『百年の水流』開発前線編 第二部=南パラナ寸描=外山 脩(おさむ)=(2)
アントニーナに未だ活気があった1907年、―日本人が訪れた。名は内田定槌(さだつち)。 リオ州ペトロポリス駐在の日本公使であった。 ポ語版のパラナ州日系社会史『AYUMI(歩み)』によれば、内田
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『百年の水流』開発前線編 第二部=南パラナ寸描=外山 脩(おさむ)=(1)
前回の『北パラナの白い雲』を書いた折、筆者は取材のため、現地を10回近く訪れた。2013~15年のことであるが、その間、何度か南パラナにも足をのばした。 ただ、この南パラナ行は、事情があって、クリ