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日本文化を踊ろう!=―ブラジルに生きる郷土芸能―=第5回=どじょう掬い島根県人会=銭太鼓に青年奮起=練習はマイペースのブラジル流

8月21日(木)

 ミランドーポリス区ローザス街八六、ブラジル島根県人会で毎週金曜日午後十時すぎ、「アラエッサッサー」の掛け声とともに、ジャンジャンと小銭を撒き散らしたような音が響く。空き巣泥棒が重い金庫を持ち上げようとしてしくじったか?と思われそうだが、実は、同会青年部が練習している銭太鼓が犯人。同県人会では、若者らが安来節にのせて踊る「どじょう掬い」と「銭太鼓」に取り組んでいる。

 野暮ったさが魅力

 安来節は約三百年前の元禄時代、出雲地方の〝おさん〟という芸妓が佐渡おけさ、追分節など各地の民謡をベースに独特の節をつけて歌ったのが原形。どじょう掬いは約二百五十年前、ある酒飲みの若者がどじょうを掬う仕草を安来節に合わせて即興的に踊ったのが発端。野良着姿の野暮ったい踊りが大衆に大ウケ、安来節と切っても切り離せない踊りとなった。同時に、銭太鼓も安来節の余興として徐々に浸透していった。
 島根県人会がどじょう掬いと銭太鼓に取り組み始めたのは、六年前と日は浅い。「第一回フェスチバル・ド・ジャポンに出演しよう」。七六年に渡伯、島根県人会副会長の古田川英雄さん(六一)が青年部に持ち掛けたのが始まりという。それまでは、同県人会に伝統芸能活動はなかった。

 宴会芸

 「日本で会社勤めをしていた頃、宴会になると先輩社員に、『島根県出身ならどじょう掬い踊ってみろ』と言われましてね。それで、見よう見まねで覚えたんですよ」と照れ笑いする古田川さん。奥さんが広島出身のため、広島県人会にも所属。同県の神楽舞メンバーでもあり、ブラジルでは十数年前から、神楽舞の余興として、どじょう掬いを踊っていた。
 当初、どじょう掬いの衣裳や小道具は、古田川さんを含め広島県人会神楽舞メンバーの手製だった。銭太鼓は、長さ三十センチほどの竹筒に五円玉を仕込んで音がなる仕組みだが、ブラジルには五円玉がない。そこで、プラスチックのパイプの中に、鉄骨のシャパを幾重にも竹ひごに通して銭太鼓を制作したという。

 若者のペースで

 現在、使われている道具は、島根県から九八年、澄田信義県知事らが来伯した際、古田川さんが寄贈を願い出て送られてきたもの。新品の法被三十組、銭太鼓二十組。ブラジル製銭太鼓は日本製に比べ、ずいぶん重く、筋肉痛になることもしばしばだったとか。軽量の銭太鼓を手に、同県人会青年部は歓喜したに違いない。
 「銭太鼓がなかったら、島根県の青年部もなくなっていたかも」と話す青年部長の平方エリカ良枝さん(三〇)。練習は、時間になったら十人ほど集まり、何となく始まり何となく終わるというブラジル方式。本来ならきちんと揃ってないといけないバチの動きもバラバラ。メンバーらは、「(演奏中は正座をしないといけないが)足がしびれるのを我慢するのが大変」「舞台でバチを落とさないかと心配。落としたら、超恥ずかしいでしょう」と大騒ぎ。それでもみんなが集うのは、無理せず、若者のペースで活動しているからだろう。
(門脇さおり記者)

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