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♪テン・ローパ・パ・ラバ?=パ洗染業者=協会50周年=日系洗濯屋の歴史=連載(9)=外資の大波で受難の時代

2005年8月13日(土)

 十八歳だった池崎博文青年が「洗染業者向けの薬品や洗剤の卸売りは儲かる」と気付き、リベルダーデ区にあった卸問屋に就職したのは一九五一年だった。
 若さにまかせて、自分なりに会社を良くしようと努力し、先輩社員から嫌われながらも歯を食いしばって耐えた。毎週あちこちの洗染業親睦会を廻って営業し、薬品だけでなくガスコンロ、冷蔵庫、ラジオなども売り込んだ。「とにかく忙しかった。中性洗剤も樽でじゃんじゃん売れたね」と振り返る。
 そんな五四年、多額の借金と共に譲られた問屋の倉庫が、現在の池崎商会の元となった。
 当時の主力商品は洗剤だったが、七〇年頃から徐々に変わってきた。サンパウロ市でも背広を着る習慣が減り、ナイロンなどの化繊素材が普及し始めた。家庭で簡単に洗え、アイロンもいらない。女性の社会進出も時代背景もあった。
 池崎にとって大きな転機だった。
 「あの頃、よくあったんです。チンツラリアの店の一角を使って、娘とかがカベレレイロ(美容院)やっているところが。それが増え始めた。じきに家族全員でやっている洗濯屋よりも、娘の方が売上げが多いところも出てきた。それを見て、これからは化粧品だと感じた。品揃えを増やし新商品をどんどん開発しました」
 営業の主力を洗染業親睦会から、大サンパウロ圏に約六十校あった美容学校に比重を移していった。卒業式に選ばれるハインニャやプリンセーザへの賞品の無償提供、卒業生全員へのプレゼント提供をはじめ、徐々に美容業界での知名度を上げていった。
 現在では直接・間接雇用を含めた従業員数は四千人を数え、ガルボン・ブエノ本店には毎日三千~五千人が来店するまでになった。
 遠くは、アララクアラなどの地方都市からも仕入れ目的のバスツアーが来る。池崎では無料の技術講習会を実施してプロ美容師に喜ばれている。履修後には、最新の美容技術をサンパウロで学んだという修了証まで発行する。「地方に帰ってから、それを店に張っとくとお客さんの反応がいいんですよ」。
 上り調子のエステや美容界とは裏腹に、洗染業界は受難の時代を迎えていた。
 レアルプランが実施されて経済が安定化した後、九五年から外資の大波が押し寄せた。先駆けは仏系フランチャイズ5ASEC。支店第一号はサンパウロ市ファリア・リマ大通りだった。
 当時の一般価格は背広上下で平均二十一レアルだった。ところが5ASECは十三で猛攻をかけた。「あんな値段で続く訳がない。すぐ潰れるよ」と多くの日系洗濯屋は鼻で笑った。
 フランチャイズは、まったくの素人が始めることが多い。ブランド名と最低限の技術研修、最新の機械設備がセットになっている。それゆえ、技術と経験は長年の実績をもつ日系店の比ではなかった。
 しかし、清潔感のあるキレイな店舗、最新の設備、モダンな宣伝を旗印に、みるみる若者層に顧客を広げていった。米国系のドライクリーニングUSIやアルゼンチン系など次々と上陸し、あっという間にサンパウロ州だけで百軒を軽く超えるようになった。
 結局、泣いたのは日系店だった。投資をせず、我慢して古びた店でやっていた多くが徐々に顧客を失い、デカセギに行くことになった。
 パ協会の池田エリオ会長によれば、最盛期の七〇年代に五百軒あった加盟店は、九〇年には三百に減った。「デカセギブームで激減して、今じゃ二百軒を切る位だ」と渋い表情を浮かべた。
 サ協会の方は、外資が本格参入した九五年頃、実質的な活動を停止した。
 七〇年代以降、業界の明暗を分ける重要な動きが相次いだ。しかし、そんな向かい風をものともせずに、気を吐く洗濯屋もいる。
(敬称略、深沢正雪記者)

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