ホーム | 日系社会ニュース | 人気バンド「パット・フー」=高井フェルナンダ独占インタビュー=家族の秘密を語る=(上)
レストラン「アッチモ」で、高井フェルナンダさん
レストラン「アッチモ」で、高井フェルナンダさん

人気バンド「パット・フー」=高井フェルナンダ独占インタビュー=家族の秘密を語る=(上)

 ミナス・ジェライス州生まれの人気バンド「パット・フー」(Pato fu)のボーカル(歌手)、高井フェルナンダ・バルボーザさん(43、三世)が、音楽の祭典(Festival de Clipes e Bandas)出演のため3月中旬、サンパウロ市に滞在し、本紙に日系人としてのルーツや祖父母との思い出、日ブラジル交樹立120周年に向けたプロジェクトなどを語った。家族の歴史を探り、地元の文協日語講座に通って日本語を学ぶなど、憧憬する祖父母の故郷に一歩でも近づき、自身のルーツを知りたいと願う「日系人としての顔」がかいま見えた。

祖父母とフェルナンダさん

祖父母とフェルナンダさん

 「コンニチハ。ドウゾ、コーヒー」。サンパウロ市ヴィラ・ノヴァ・コンセイソン区のレストラン「アッチモ」でTV局の取材を終えたフェルナンダさんは、片言の日本語と笑顔で記者を迎えた。
 インタビューは日本語でも可能かと尋ねると、「日本語はほとんど話せない。じっちゃん、ばっちゃんは孫とはポ語で話したがったから、習わずじまい」と残念そうに答える。
 孫と日本語で話したくとも叶わない一世は多いが、「話したがらなかった」のは珍しい。その理由を聞くと、「戦争で日本語が禁止されたせいじゃないかと、大人になってから思うようになった。私は『オフロ』とか『オフトン』とか、単語は使っていたけど文章は話せなかった」と振り返った。
 パット・フーは1992年、同州都ベロ・オリゾンテで結成されたオルタナティブ・ロックバンド(非商業的、自由で型にはまらないロックの意)。大衆音楽というよりは中流階級以上を対象としており、2001年、米国のニュース雑誌『Time』が選んだ世界のバンド・ベスト10にも選ばれた。ソロとしても活動の幅を広げ、昨年3月には3枚目となるソロCD「Na Medida do Impossivel」をリリース、「O Estado de Minas」などメディアにコラムを寄稿するなど文筆業にも携わる。
 地理学者をしていた父(故人)の仕事の都合で、アマパー州セーラ・ド・ナヴィオで生まれ、サルバドールやジャコビーナ等バイーア州内を転々とし、9歳からベロ・オリゾンテに住む。いずれも日本人の少ない地域で、「日系社会との縁は薄かった」という。
 「私の家族は、母がポルトガル系なので半分はブラジル人。ベロ・オリゾンテにも日系協会はあったけど、日本人にしか門戸を開いていなかった。だから日本文化との接触は、じっちゃん、ばっちゃんだけだった」。
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 祖父母の利太・秋子夫妻は子ども移民で、それぞれサンパウロ州ルセリア、バストス各地に入植、コーヒーや蚕の栽培に従事した。フェルナンダさんは「祖父は笠戸丸移民」と信じていたが、ブラジル日本移民史料館の「足跡プロジェクト」(乗船者名簿検索システム)で調べると、曽祖父・利三郎さんと祖父・利太さん(共に兵庫出身)は1925年の河内丸、秋子さん(愛媛出身)は27年に渡伯していた。
 休暇や正月、クリスマスは祖父母の住むサンジョゼ・ドス・カンポス市を訪ね、日本文化に浸って過ごしたという。「普段はばっちゃんがご飯を作るけど、私たちが遊びに行くと、じっちゃんが私の大好きなすき焼きを振舞ってくれた。祭りの時は、寿司や刺身、餅、鉄板焼きなんかのご馳走もあった」と懐かしげに回想した。
 曽祖父母との関わりもあったという彼女は「曽祖父の利三郎は元軍人で、臣道連盟のメンバーだった」との意外な事実を明かした。(つづく、児島阿佐美記者)

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