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眞子さま、いらっしゃいませ!=「明治の日本」残すノロエステ=日系社会から歓迎の言葉続々

プロミッソン=教育勅語が大家族の中心に=「世に尽くすことが喜び」

四世まで同居する安永家

四世まで同居する安永家

 「これが人生で最高の写真です」――プロミッソンの安永一門の長老・忠邦さん(97、二世)がにこりと笑みを浮かべて取り出したのが、30年以上前に日語教師の研修で訪日した際、天皇皇后両陛下(当時、皇太子同妃両殿下)に謁見した当時の写真だ。
 戦時中に日語が禁止されるも夜学でこっそりと教え続け、明治の教育勅語を子や孫に大切に語り継いできた。そんな忠邦さんの薫陶を受け、教育勅語から名付けられた長男・和教さん(71)もリンス文協会長など要職を歴任、地域の日系社会を支えてきた。
 和教さんは「祖父・良耕は『教育勅語は万国に通じるもの。上から下まで自分達の生活の芯になるものだ』と言っていた。そんな祖父や父の背中を見て育ってきた」という。
 1920年からのプロミッソン入植者の過去帖を管理する和教さん。同家には、同地出身者の子弟らが祖父母の足跡を調べに訪ねてくるといい、「世のため人のために立つことが喜びだ」と笑みを浮かべる。
 4世代が一つ屋根の下に仲良く同居する同家には、天皇皇后両陛下の御真影が今も飾られ、五世までもが日語を話す。初代・良耕ら3人から始まった安永一族は、一世紀の間に400人以上に増加。日本の心をしっかり受継いだ子孫は、全伯各地へ巣立ち、各地日系社会で一隅を照らしている。
 その大家族の精神的な大黒柱になっているのが、教育勅語だ。安永家にとって、一つ屋根のもとで国民が幸せに暮らすことを願う万世一系の皇室の祈りが、あるべき姿だ。
 忠邦さんは「実践するのは難しいですが、その心に少しでも近づきたい」と語る。80歳から始めた教育勅語の清書は3千回以上に上る。
 ノロエステへの皇室ご訪問は、三笠宮同妃両殿下以来、実に60年振りで、プロミッソンは今回が初だ。
 眞子さまが献花される花束を、忠邦さんが式典でお渡しする役になっていると知ると、信じ難いといった様子でしばらく言葉を失った。一門の長老は「頭が上がらない思い。私はただの田舎者なんですよ」と手を合わせて感謝していた。


ミランドポリス=「本当にもったいないこと」=一世姉妹、奥地ご訪問に感激

徒競争で仲良くゴールした一世姉妹

徒競争で仲良くゴールした一世姉妹

 8日、ノロエステ線のミランドポリス文化体育協会で開催された運動会に、姉妹で参加していた山崎よねこ(香川、87)、可知利枝(85)さん。太平洋戦争末期の7月、高松空襲による惨禍を生き延び、54年にブラジル丸で渡伯した。
 同協会でも一世の会員は、指折り数えるほど。「昔は運動場も日本人で埋めつくされるほど。今では、すっかり少なくなってしまい、外人の子供も多いわね」と口をあわせ、隔世の感を伺わせる。
 二人が今でも忘れられないと口を揃えるのが戦時下の耐乏生活。利枝さんは「学校では弁当の中まで監視され、白米なら『贅沢は敵だ』と食べさせてもらえなかった。不味い麦飯を粥にして我慢したものよ」と苦笑する。
 よねこさんも「昔のことを思えば、渡伯してからどんなことだって苦しいとは思わなかった」といい、「だから子供には米粒一つでも残したら、もったいないと教えてきたのよ」と胸を張る。
 よねこさんの夫は、同地で棉作りに励み、農薬の影響で体を壊し早くに他界。「いくら働いてもブラジルではお金が貯まらない。4人の子供を何とか躾けなければと思って、単身でデカセギにも行ったのよ。本当に命懸けで子供を育ててきたの」と苦労を滲ませた。
 両国で苦労を重ねてきた姉妹だが、よねこさんが涙が出てとまらなかったというのが、08年にアニェンビー・サンバ会場での移民百周年式典に臨席された皇太子殿下のお姿を見た時だった。
 「殿下の御前を、日本からの兵隊さん(編注=練習艦隊の自衛官のこと)が行進した。あの時は、涙が出て涙が出て止まらなかったわ」と懐古した。皇族が自国の軍隊を閲兵したのは、1945年の陸軍始観兵式に臨席された昭和天皇以来だった。
 眞子さまのノロエステご訪問を知った利枝さんは「まあー。私の時代の人間からすれば、神か仏かという御方だけれど…」と驚いた様子で言葉を失い、よねこさんも「地球の反対側から、はるばるこんな奥地まで来てくださるとは、本当にもったいないこと」と拝んでいた。


リンス=皇室への敬意は日本以上=ノロエステ一同、心待ちに

会館で子供達に書道を教える中場さん

会館で子供達に書道を教える中場さん

 リンス在住の中場マサ子さん(68、愛媛県)は渡伯から51年間も日語教師を務め、現在はノロエステ日本語普及会の会長として、日語の継承、普及に日々尽力している。
 来伯当初の日系社会を「まるっきり戦前の日本だった」と懐古する中場さん。「正月には教育勅語、2、3人集まれば歌うのは軍歌。日本が美化され、ここでは日本がますます日本らしくなっていた」と振返る。
 それは日語教育の現場でも同じだった。「今では日語は横文字だらけ。日本に行った生徒が『ブラジルで教わった日語は何もなかったよ』と言われるくらい」と苦笑し、「日本の日語はますます国際化し、純粋な日語は此処に残っていくのでは」と見ている。
 昨年、皇居勤労奉仕に参加し、天皇皇后両陛下のご接見を受けた中場さんは「両陛下の真似を劇でしようと思っても到底できない。生まれ持った「オーラがかかったようだった」と振り返り、「日本が栄えるのは皇室が安定点を成しているからだと納得した」と語る。
 「ここでは皇室に対する敬意は、現代の日本とまるで違う。都市よりも田舎では、昔の純粋な大和魂が残っており、今でも陛下を現人神と思う人もいる。ノロエステ一同、眞子さまのご訪問を心待ちにしています」と笑みを浮かべた。


『ガイジン2』スタッフ「移民が蒔いた種から花」

岩切さん、黒津さん、ナガヤマさん

岩切さん、黒津さん、ナガヤマさん

 日本人移民の歴史からデカセギの生活までを描いた長編映画『Gaijin―Ama me como sou』(山崎千津薫監督、2005年)のシノブ役として出演した女優のナガヤマ・エダさん(47、三世)。
 「私達には日本人のルーツがあります。日本からこんなにも遠いブラジルに来ていただいた眞子様には、日本人移民がブラジルに蒔いた『ルーツ』という種が大きな木となって、花が咲き誇る様子を見ていただきたい」と語り、日系社会との触れ合いを期待した。
 同じく出演者の岩切厚美さん(68、鹿児島県)は「本当によくいらっしゃいました。よくブラジルまで来てくれました。初めての場所でしょうが、楽しんでいただきたい。日本人移民110周年のお祝いに来ていただきとても嬉しい。ありがとうございます」と心から感謝した。
 通訳として映画製作を援助した黒津ニウヴァさん(60、二世)は「私は二世として、眞子様の到着を楽しみにしています。ブラジル日本移民110周年のお祝いは盛大に行なわれているところを見ていただきたい」と期待した。


若い日系世代とのお触れ合いを

森岡和さん

森岡和さん

 農協婦人部連合会(ADESC)の第24回会合で白寿のお祝いを受けた森岡和さん(98、高知県)は21歳で花嫁移民としてブラジルへ。「おばちゃんが移民した時は満州に行く人と、ブラジルを選ぶ人がいた。満州では食べ物が不足して苦労したとよく聞いていた」と回想した。
 「ブラジルは食べ物が豊かにあるせいか、子供がとても素直。日系の若い世代とお触れ合いになることで、眞子さまにも何かを感じて頂けたら」と語り、ご訪問について「皇室の方がわざわざ来てくださってありがたい。眞子様にはブラジルで育つ素直な子供達を見てほしい」と微笑んだ。


ブラジルで生き抜く日本人の姿を見て頂きたい

前田春代さん

前田春代さん

 サンパウロ市ガルボン・ブエノ街の日用品店に5年勤める前田春代さん(二世、76)は「ブラジルの新聞やテレビで眞子さまがご来伯されることを知った。たくさんのところを回られるようで、素敵なことだと思った」と笑顔を見せた。
 日本語を流暢に操る前田さんはサンパウロ州パウリスタ線ポンペイアで生まれ育った。父は熊本県から1928年に渡伯、福井県出身の母は9歳で家族と共に移民し、17歳で結婚したそうだ。
 23歳で出聖した前田さんはリベルダーデ広場のブラデスコ銀行横にあった薬局に約50年勤めていたが、閉店したため現在の店へ。
 色調の違う青色の服や靴で身を包むお洒落な前田さん。「この色合いは飽きが来ない」と程よく色落ちした青のエプロンを撫でた。
 「眞子さまには色んなところを見ていただきたい。私のような日本から来た日本人がブラジルでどう過ごしているか、見ていっていただきたいですね」と語った。


感じたままを日本の人にお伝えいただければ

広瀬ローザさん

広瀬ローザさん

 ガルボン・ブエノ街とバロン・ド・イグアッペ街の角に店を構える健康食品店「Kenko Hirose」の広瀬ローザさん(70、二世)は、「え、プリンセーザが来るの?」と驚いた様子で聞き返し、「良いことねえ! 素晴らしいことよ」と喜んだ。
 「眞子さまには、ブラジルの色んなところに行っていただきたい。リオのスラム街や公立病院などブラジル社会がわかるような場所に行くのも興味深いのでは」と語り、「日本は良いところだからね。子供を連れて3、4回旅行に行ったけど、また行きたいわ! 一世の主人はたまに『日本に帰りたい』と言うのよ」と豪快に笑った。
 取材中に何人もの客が来ては商品を手にし、店員と会話を楽しみ購入、「アテ」と言って去っていく。活気ある店内の中には豊富な種類の健康食品がズラリと並んでおり、店員の知識も豊富、お得意の客も多いとか。同店は今年で16周年を迎えた。
 広瀬さんは商品を見渡し、「眞子さまには、アサイーなんかは良いと思いますよ! 元気が良くなるし美容にも。ほかにプロポリスやアガリクスなんかも試していただきたいわ」とお勧めの健康商品を紹介した。
 快活に喋り笑う『健康そのもの』の広瀬さん。眞子さまのご来伯について「ブラジルで見て感じて頂いたことを、そのまま日本に感じたままに伝えていただきたいわ」と微笑んだ。


ブラジルの大自然に触れて頂きたい

松永清さん

松山清さん

 サッカーW杯ブラジル対ベルギー戦が行なわれた日の昼間、リベルダーデ広場のベンチに腰掛け休憩していた松山清さん(二世、86)に取材した。松山さんはアルジャー近郊の町から毎日バスに乗り、サンパウロに通っている。日課となった出聖に「散歩みたいなものよ」と微笑む松山さんの周囲には、日系の友人が集まってきていた。
 取材を頼むと「日本語はちょっと」と謙遜しつつも、母語のように流暢な日本語を喋る松山さんはパラグアスー・パウリスタ市で教師をしていた母に育てられた。就労のため、東京都、埼玉県に10年住んでいたという経験も。「日本からプリンセーザが来る」ということで懐かしの日本を思い出し、「日本の人は皆親切。良いところだよね」と微笑んだ。
 松山さんにブラジルの良いところを聞くと、「果物が豊富で大きな自然があるところ。僕は自然が大好き」と答えた。パラグアスー市を「田舎」と懐かしむ松山さん。子どもの頃から豊かな自然に触れて育ってきたそうだ。
 「眞子さまはブラジルが初めてと聞いた。ぜひ田舎にも行って、大自然に触れていただきたい」と期待した。


若い世代とのご交流を

 サンパウロ市のとんかつ専門店「あじさい」で食事をしていた若杉侑利佳(ゆりか)さん(45、三世)は、従兄弟がこの店に勤めていて、よく来店するという。デカセギで日本に6年間住んだ経験があり、そのときに皇族や眞子様のことを知った。
 「ブラジルでもNHKを観ていれば、日本の情報を得られるけど、観るのは高齢の人が多いでしょう。私ぐらいの年代の日系人はあまり日本のことを知らないかもね」と言う。「でも、だからこそ、眞子さまには若い世代の人たちともたくさん交流していただきたいわ」と期待を込めた。


二世が日本文化を三、四、五世に渡す契機

 パラナ州マリンガで開催される移民110周年祭典委員会の司会を務める吉田国広さん(73、2世)は、これまでも皇太子殿下が出席した2008年の移民100周年式典など、パラナで行われた様々な式典の司会を担当してきた。
 吉田さんは「パラナ州に眞子内親王殿下がいらっしゃるのは州民、日系人一同の大きな喜び。盛大な祭典でお迎えしたい」と歓迎。また「今回は二世が一世から受け継いだ日本のすばらしい文化を、三、四、五世に渡すタイミングでもあります。その意味で100周年よりも意義深いものになる。そこを良くご覧いただければ」と話した。


日系人が勝ち取った信用を感じていただければ

 島田高弘さん(72、熊本県)は40年にわたって卵の販売を続け、現在はサンパウロ市内の市場で屋台を開く。
 「眞子様には日系人がブラジルで信頼されている様子をご覧になってほしいね。卵みたいな生ものは信用がないと買ってもらえない。私が長年も商売を続けられているのは、先輩たちがブラジルでしっかり働いて、信頼を勝ち取ったからだよ」と誇らしげに話す。
 また、「日本には何回か帰ったけれど、ブラジルの日系社会のほうが古い日本が残っている。ブラジルの日系人のほうがむしろ皇族に親近感を持っているのでは」とも話した。


眞子さまの着物姿に感心

 県連日本祭りでは例年、和歌山県人会のお好み焼きが大人気だ。準備を取り仕切る同県人会婦人部の宮下チエ子さん(68、福島県)は、2年前、パラグアイで行われた日本人移住80周年式典へのツアーに参加し、ご出席になった眞子様を拝した。「着物姿がとても可愛かったわ。若いのに大統領や現地の日系社会の皆さんと交流して立派だと思った」と惚れ惚れした様子で話す。
「戦前は皇族にお会いするなんで考えられなかった。だから眞子様がブラジルにいらっしゃることは、特に高齢の方にとってはすごいこと。感激だわ」と話した。


健康に気を付けて各地をお回りになって欲しい

 貝塚晴子さん(87、和歌山)は25歳のときにサンパウロ州ソロカバ地方に入植した。若いころからずっとカラオケを続け、日本の歌を愛している。「眞子様のことは最近、結婚の話題などでNHKでよく見るわ。ブラジルはとても遠いから、健康には十分に気をつけて各地を回っていただけるとありがたいわ」と話した。

 

 

 


ブラジル全部でお祝いムードに

 独自の武術を指導し、8カ国に70以上の支部を有する二天古武道研究所。そのサンパウロ事務局で働く齋藤みどりさん(30、三世)は両親の出稼ぎで7歳のとき日本に移住した。その後は、数年ごとに日本とブラジルを行き来する生活をしている。
「子供のときは日本語がわからなかったけど、皇族のことはたびたびテレビで流れていたので知っていました。今回の眞子様のご来伯はポルトガル語のニュースをフェイスブックでみて知りました。日系人、ブラジル人関係なく、みんなお祝いムードになればいいと思います」と話した。

 


日本ブラジル移民110周年記念祭典プログラム

眞子内親王および日伯両国来賓御臨席

会場:第21回日本祭り内110周年アリーナ

9時30分:110周年アリーナ・アクセスゲート開放

10時:オープニング・ミュージックショー

11時:芸能ショー『 次世代に繋ぐ未来へのかけ橋』前半

第1部 「 彩 – 日本の色 」  

  1. 日本舞踊「さくらさくら」

踊り手:藤間流日本舞踊学校

    花柳流金龍会

    京藤間流

    池芝流

  1. 紡ぐ・ 決心

和太鼓:パラーダ太鼓、ブラジル太鼓協会

三味線:赤堀三味線教室

  1. 平成鳥取音頭

踊り手:鳥取シャンシャン傘踊り

  1. 獅子、大蛇、龍踊り

ブラジル神楽団(広島県人会)、長崎県人会、レキオス芸能同好会エイサー太鼓、琉球國祭り太鼓、獅子舞青年サンタ・クララ、獅子舞青年サント・アンドレ、カンピーナス獅子舞

       5.イペー音頭

        踊り手:ブラジル健康体操協会

        歌手:中平マリコ

12時:式典

12時5分:パレード

・ブラジル海軍楽団パレード入場

・海兵隊による、ブラジル国旗、日本国旗、ブラジル27州旗 入場

・ボーイスカウトによる日本47都道府県旗 入場

・国旗・州旗・都道府県旗の並列

12時15分:日本、ブラジル、両国の国歌斉唱

12時20分:来賓挨拶

12時45分:伝統芸能ショー

・阿波踊り

踊り手:レプレーザ阿波踊り / 演奏:グループ民

・シンカヌチャー

 踊り手:琉球國祭り太鼓、レキオス芸能同好会エイサー太鼓

13時:式典終了

135分:芸術ショー『 次世代に繋ぐ未来へかけ橋』後半

第2部 「瑞 – 祝い」

       6. 琉球舞踊  四つ竹

        踊り手:ブラジル琉球舞踊協会

       7.ストリート・オブ・ソーラン

         踊り手:ヨサコイグループ

         太鼓:ブラジル太鼓協会

       8.時の流れ  

        踊り手:松伯・大志

学園、ピオネイロ校 

       9.花は咲く

        コーラス:松伯・大志万学園、ピオネイロ校

グランド・フィナーレ

       10.盆踊り 東京五輪音頭

        踊り手:リズム体操

        歌手:伊藤カレン

       11.ありがとうブラジル!

        歌手:平田ジョー

        踊り手:琉球祭り太鼓、レキオス芸能同好会、エイサ太鼓、レプレ  

            ーザ阿波踊り、琉球舞踊協会、ACAL舞踊、鳥取しゃん 

            しゃん傘踊り、アーギア・デ・オウロ、轟太鼓

        オーケストラ:ブラジル創価学会楽団

18時:歌手 宮沢和史 スペシャル公演

19時:閉会

 

 

 

(注)このプログラムは予告なしに変更する場合もあります。

 

 

 

 

 

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