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特別寄稿=カリスマ型リーダー=コロナ禍で未曽有の国難で=日本精神光る日系人経営者=サンウェイフレコン製造販売 矢野敬崇(やの のりたか)社長

矢野敬崇社長

 ブラジルに進出している多くの日系企業は、工場の操業停止や仕事の自主規制、或いはテレワークなどを余儀なくされているのが現状だ。こうした状況の中でブラジルの日系人経営者の中には、コロナ禍に負けず操業を停止することなく、3月以前の70―80%以上の生産と販売を維持している会社も多い。産業用の1~2トン用コンテナー袋(通称ビッグバッグ)を初めて製品化したサンウェイフレコン製造販売(本社・サンパウロ)のカリスマ的人物で準二世の矢野敬崇(やの のりたか)社長はその1人だ。そこには創業社長でブラジル育ちながら日本人としての濃厚なDNAを受けつぎ、日本の日本人以上の日本精神を発揮して、ブラジル日系人としての自信と誇り、そして輝きを放っている。いま米国に次いで世界第2位のコロナの陽性患者数を抱えるブラジルだが、こうした環境の中でもコロナ過を乗り越えて、社業を維持発展させている立派な日系人経営者や会社があることを、この時期に伝えたいと思う。

パート1=社長の矢野敬崇とは

 日系人やブラジル人から、いまの日系社会リーダーの中でも「カリスマ性と笑顔」で極めて高い評価を受けているのが矢野である。ブラジル産業界の発展に貢献するサンウェイ社は36年の歴史があり創業社長として活躍している。
 しかし多くの日系人はボランティアや日系団体活動、宗教活動などで活躍している矢野の顔と名前を知っていても、経営者としてはあまり知られていない。会社経営者であり、米州日系社会を代表する国際的なボランティアリーダーであり、倫理を中心とした宗教家である矢野自身が語った言葉がある。
 仕事、宗教、ボランティア活動について「慈善団体の両方に携わってきたからいままで持ちこたえてきた。仕事だけだったらとっくの昔にこの世から去っていたでしょう」と並みの経営者では絶対的に出てこない矢野だけの重みのある言葉だった。最近では日本内外でも皆無に等しいけた違いの人物である。
 そこで矢野が日系社会や日伯間を結ぶカリスマ型リーダーの1人といわれる所以を、経営者、ボランティア活動、宗教活動、家庭、人生履歴、家訓などを通して、その人間像と魅力に迫ってみた。そこには一貫して日本とブラジルの発展及び両国関係の強化と発展を願う矢野の熱い心と魂が流れていた。
 まず会社経営者として活躍する矢野の会社を知るために、現在の主な取引先と、矢野が実現させた産業界の物流革命とは何だったのかを紹介しよう。

サンウェイ社の主な取引先

 1983年12月に会社(本社・サンパウロ、事業は国内用及び輸出用コンテナー袋の製造販売)が設立されて以来、同社の信用と実績を証明するのが多くの世界企業との取引である。
 取引先は約300社でその主な会社は、世界最大の鉱山会社であり鉱山資源開発のAnglo AmericanやVale do Rio Doce、化学会社のデュポン(DU PONT)、穀物メジャーのアングロアメリカン(ANGLO AMERICANO)、遺伝子大豆など世界的な農業関連会社であるモンサント(MONSANTO)、世界的な鉱山金属会社であるCBMM、 世界的な農業貿易会社BUNGE、 穀物メジャーのカーギル(CARGIL)、日本の味の素(AJINOMOTO)、世界的な製鉄会社のクルップKRUPP、カフェ・ペレで知られるブラジルの代表的なコーヒー会社・CIA、 CAFÉ IGUACU、CBMM, NIOBRAS(CMOC), MAGOTTEAUX, DOW AGROSCIENCE, RECKITT BENCKISER, IMI FABI(EX-MAGNESITA), GELNEXなど、取引先がサンウエイ社の価値と評価を盤石なものにしている。

コンテナー輸出用大型梱包の物流革命

 同時に同社が高く評価されている点は、ブラジルのコンテナー輸出用梱包袋は従来型の前近代的な梱包袋が使われそれが主流で流通していたものを、技術開発力に磨きをかけて、世界最高水準の強靭性、耐久性、軽量化、低コスト化を実現したビッグバック(1袋当たりの積載量は1千キロ以上)の大型梱包袋の製品化にブラジルの業界で初めて成功し、従来型の概念を一変させた物流革命を行ったことだろう。
 またブラジルではビッグバッグのABNT規格が存在してなかったので、世界中から関連資料を集め、同業者に集まってもらい規格化を成し遂げた。
 具体的にはブラジルでは初めて農産物や天然資源の物流革命を行ったことになるが、同社の物流革命は2段階にわたる。
 最初の第1ステップの物流革命は、合金鉄や粉体物の輸出商品の梱包形態。それまでは手間がかかりコスト高で取り扱いにくい小袋やドラム缶、木箱等で輸出されていた。中南米では初めて輸出用合金鉄の1トン入りコンテナー袋を開発。輸出コストの減少化に貢献。
 続く第2ステップの物流革命は、国内向けで、数次使用と団積み可能なコンテナー袋の開発。例えば砂糖、大豆種、とうもろこし種、コーヒー豆、みかん等の物量革命に貢献。また長年続いた労働問題を一挙に解決した。特に砂糖工場での合理化はコンテナー袋の導入で一挙に進展した。
 梱包の主な品目は国内向けでは、コーヒー豆、砂糖、樹脂製品、化学品、金属加工品、食料品など、輸出向けでは、合金鉄、澱粉、金属品、化学製品、そして味の素などである。
 さらに危険物積載の梱包袋も中南米では初めて製品開発して、国際検査機関の認証も得ている。ちなみに原材料はポリプロピレン系の布でこれを使って梱包袋を生産している。
 ブラジルのコンテナー輸出用梱包袋の問題を解決することを第一に、先駆的精神を取り入れたソリューション会社で知られ、ブラジル産業界の一隅を照らし続け社会に必要とされる会社を構築している。
 従って受注の大部分はオーダーメイドで業界でも品質本位のオンリーワンの会社として抜きんでた信用と認知度を誇っている。
 その特徴的な例は同社の技術力と品質力を示すシンボル的な製品であるこれ1千キロの梱包袋が、世界トップレベルの技術力と品質力を誇り、これを背景にここ20年来は高付加価値型製品の提供で取引先から極めて高い信頼を獲得している。

製造業の原点を貫く協和の精神と後継者育成

毎年5月1日に創立記念祭りを社内親睦会、社員の70%が参加する

 創業経営者として会社をここまで成長させた理由について「顧客のためと思って改善・改良・商品開発を現場主義でつらぬいてきたこと」「納期と品質を厳守したこと」「社員の人格向上を目指した人間学の勉強(月2回)で他人を思いやる社員が増えた」点を挙げた。
 チームワークを第1にして矢野と社員の心が一体化するように、厳しい中にも和気あいあいとした家族主義経営を一段と加速させている。このために矢野は率先垂範で動いている。社員の終身雇用制の導入や家族参加の創立記念日祭りなど、矢野と社員との間の心と心が通い合う『ファミリア・サンウェイの企業文化』を確立している。
 現在73歳の矢野は4年後の2024年には創業40周年を迎える。そこで後継者問題について聞いてみた。「企業の大きな危機は創業10、30、50周年に訪れるという。二代目(長男・敬広 たかひろ)へのバトンタッチが上手くいくよう準備中だ。人間教育が第一であるが、ある程度は自然の成り行きに任せざるを得ないのではないかと思う。
 というのは体験が人を創るとか」と敬広の自主独往の歩みに期待しているようだ。同時に後継社長として敬広は力を付けているが、社長ポストを譲ってCEO会長職になるための条件としては「会社の縦軸になること、横軸になる適当な人物を得ること」だという。
 業界のナンバーワンから『オンリーワン』としてブラジル産業界の一翼を担っているサンウェイフレコン製造販売社。いまブラジルが未曽有の不況の中で、リーダーが日本精神を発揮して逞しく生きている。ブラジル日系人の人生と魂をかけて100年企業の誕生に向かっている。

住友商事時代からサンウェイ社が軌道に乗るまで

ビッグバッグ

 大学在学中に地球規模で事業を展開している住友商事ブラジル社に入社。1年後には早くも住友商事全海外法人の現地採用者の中から、最初の三国間企業研修生としてニューヨークに企業留学した能力と実力の持ち主だ。
 サンウェイ社の創業社長になるまでの苦労は「前に働いていた会社で急激な人事異動があったが、ハラをたてずに、会社のために貢献するための新製品開発に尽くした」ことが現在のサンウェイ社の創立につながった。
 サンウェイ社を1983年に創業しようと思った理由は「起業化するチャンスが来たと思ったのでチャレンジした。家内の賛同が有ったので思い切って独立できた。ブラジルの輸出に貢献できるとの確信が何度かの苦難にあいながらも立ち直ることができた」ことだった。
 このビジネスがこれならやっていけると確信した時期とその理由は「開業早々市場が無いことに気がついたが、『退路を断つ』決意で前進あるのみ。ブラジルの輸出市場が必要としている製品であるから、必ず受注ありとの信念で営業に取り組んで仕事が始まった」。
 ブラジルで初めて製品開発した秘話についてこう語った。「この製品は前の勤務先のサンスイ社(SANSUY S.A. INDUSTRIA DE PLASTICOS)で商品開発をしていたので、半年という短い期間で試作品ができたが、初期開発段階からは5年程度を要した。この理由はサンスイ社は類似品の塩化ビニール製のコンテナー袋の開発・生産にすでに10年ぐらいの経験があったからだ。ただし材質と用途が全くちがうので苦労した。技術部門との意見も合わず自分流で製品開発を進めた。塩化ビニール袋は高周波溶接だが、我々はミシンで縫うので製造工程は全く異なる。当時はまともな製品規格がなくて、イギリスや日本などから参考になる規格書をとりよせて、自分流にテストをしながら製品の改善改良をすすめてきた。なによりも現場主義に徹して、丈夫な製品を作ってきたのが良かったようだ。商社で働いた経験も大変役にたった。市場があると思って起業したが完全に未開発だった。背水の陣を引いて無我夢中で取り組んだ」。
「様々な時期で一時的な生産停止の状態に陥れども、ブラジルのために生産をしているのだから、神は絶対に見捨てないとの信念で頑張ってきた」という。


    *     *

サンウェイ社 経営基本方針

標 語(モットー)―「人間力を高めることが、家庭の円満と企業の成長を促し、国家の繁栄の基となる」
ビジョンー「世界クラスの企業として、時の経過とともに次の段階に到達する、業界のリーディングカンパニー(テクノロジー、品質)となり、国際企業として長寿企業を目指す」
使 命―「私たちは、革新的セミバルク輸送のために、継続的改良を行い、愛と智慧を込めて作った製品(サービス)を提供し、サプライヤーと顧客の間の調和のとれた「絆」として機能し、自由市場経済の原則を尊重し、ブラジルと世界の発展に寄与する」

価 値
-道徳的および倫理的原則に従います。
-お客様の問題を解決することが私たちの務めです。
-従業員の人間的価値を高めます。
-革新と継続的な改善改良を追求します。
-環境の持続可能性に貢献します。


工場の内部の様子

サンウエイ(SANWEY)フレコン製造販売の概要
会社名―SANWEY INDUSTRIA DE CONTAINERS LTDA、
設立年月―1983年12月27日 
社長名―矢野敬崇
年間取引先顧客数―300社
営業展開地域―ブラジル全土、輸出先は中南米が主体
主な営業内容―1~2トン用コンテナー袋の販売
主な生産品目―1~2トン用コンテナー袋の生産
新型コロナウィルスが猛威を襲うこの5月現在で70%の工場稼働率
自社工場面積―8千平方m
主な生産品目―one-way Sanbag, Resibag, Reuse Sanbag
平均納期期間―4~5日間
月産生産量―1千キロで80%、2千キロで20%   、
製品の特徴―納期厳守、規格以上の品質・実戦用・目的地まで問題なし、顧客サービスの徹底
同業他社との製品の違いー納期とサービス力
取引先から評価―約束を守ること。
業界で{信用度}がトップになった理由―現場主義の改善と改良、顧客本位の高品質を維持
従業員教育のポイントー優秀な技能者、良き家庭人となる人間学教育を全社員に施行
従業員に対する主な福利厚生対策―食事・通勤バス・医療


パート2=カリスマ的リーダーと呼ばれる矢野の10年単位の人生録

★50年代
思い出― 両親の不和、兄弟喧嘩、人生の意義に悩む、
少年時代の主な出来事―大分県の田舎で比較的に恵まれた環境で育つ、野山や川で遊ぶ。弓で友人を傷つけた。川で足を切り、母が病院まで担いで連れて行ってくれた。長い道を母とクタクタになりながら歩いたこと。車の無い切なさ。
家業の手伝いー 水汲み、井戸から風呂まで
★60年代
思い出― ブラジルに移住、慣れない農作業に苦労している両親の姿。日本人のアイデンティティに悩み劣等感に陥る。
 日本では中学1年生を終えて、ブラジルでは小学校一年に入学。午前中は小中学校に通学、午後は野良仕事。
 サンパウロ市にでてからは、昼はコチア産業組合に務め、夜は高校と大学、週末と休日は生長の家の青年会活動
家業の手伝いー1966年までは田舎で野良仕事
★70年代
思い出―HIDROSERVICE工務店からブラジル住商へ転職。1973/1974年はアメリカ・ニューヨークの住友商事での研修、1976/1977年は日本の大分大学経済学部に留学、1978年からパラグアイ国でブラジル日系企業の子会社を設立し、1982年まで経営する。
仕事の主な出来事―NY住商では農水産物の成約連続数で大ヒット、パラグアイではトラックシートの生産販売
妻との結婚―1977年12月、日本留学から帰国して直ぐ
★80年代
思い出― 楽しかったパラグアイ国での新婚生活。1982年末にブラジルに帰国。サンウェイ社を創立
仕事の主な出来事―製品の改善改良と顧客の開拓、会社をつぶさないように必死の努力、役員同士の調和をたもつための気苦労。
ブラジルに帰国後、生長の家の普及活動に携わる。
★90年代
思い出― 中南米一の企業に成長しうぬぼれが生じる。
仕事の主な出来事―アメリカ流の能力主義で大発展しようとテルセイリザソン(業務委託)したのが、大失敗。実質的には倒産した状態に陥るが、「大和魂負けず!」との信念でカムバック。
★2000年代
思い出―2000年に工員のストライキ、借金の返済交渉、連日の労働裁判で自殺したいような気分に陥る。最初からやり直しの覚悟で経営に取り組む。
 2004年に娘二人と一緒に誘拐される。サントス山中で森林警察に助けられる。これを機会にサンウェイ社の管理部門の再編成を行い、この改革がその後の会社の成長を助ける。
仕事の主な出来事―値決めを社員任せにしていたので、売値が大幅に下がってしまい、経営が困難な状態に陥る。社長命令で売価を3~4割上げさせて経営が回復した。
 2006年ブラジル盛和塾に入塾。
 1998―2013年はブラジル日本語普及センターの第二代目評議員会長を拝命。
 2007年には海外日系人大会&汎米日系人大会の合同大会をサンパウロ市で開催する。
★2010年代
思い出― 市場は猛烈な競争市場に入る。工場規模の見直しして、縮小。「ナンバーワン」企業ではなくて「オンリーワン」企業に方針を転換する。
仕事の主な出来事―顧客リストに一流企業があつまる。但し、営業マンの教育が上手くいかない。営業マンが育たない。長年の赤字経営の理由をやっと把握した。
 理由は常に余分な工員を維持する生産体制にあった。前社からの習慣だったのだろう。昔は工員の人件費はたいした経費では無かったが、近年はサラリーに加わる付帯経費が馬鹿高い。安い人件費の時代は終わった。
 人間学の勉強会を全社員で始めた。月2回。テキストは著者稲盛和夫と倫理研究所の本。その結果、利己主義が強い社員は次々と退社した。
★2020年代
仕事―次期社長へのバトンタッチ。
人生―パンアメリカン日系人協会に関するペンヂング事項 

パート3=ボランティア

 矢野にとって「ボランティア活動とは生活の一部である」。我々の親世代までは、あの人は器量がある、あの人は人物だ、と普通に使われていた日本語がいまは死語化しており、矢野のように、一貫して志に支えられ人生の使命感に生きる人物は、いまの日本でも極少数派になっている。
 『いま勤めている社長業も、ボランティアも、宗教家としての活動も、宇宙エネルギーに支えられた自然体で、全てが生活の一部になってブラジルと日本を軸にした世界観の中で生を燃焼させている』と語る矢野の表情は、久しくお目にかかっていなかった人物であり真の日本人といえよう。

評価か高まる日本語教育ボランティア活動

 1998―2013年の期間にブラジル日本語センターの第二代目評議員会長として、ブラジルに於ける日本語離れに心を悩ます。
 パンアメリカン日系人協会では1985年のサンパウロ市で開催された第3回汎米日系人大会に実行委員として参加、その後アメリカ大陸の日系人リーダーと交流し、日本人移住先としては恵まれているブラジル国と、この国のリーダーとしての使命に気がつく。
 ただし、日本移民先駆者が持ち込んだ素晴らしい倫理観もこの国の倫理観の前では、雑草に侵されている花木のようだ。パンアメリカン協会のモットー「居住国の良い市民であろう」に刺激されて、パンアメリカンの同士達といろいろ模索した結果、「ブラジル人の国際化のための日本語」にたどり着く。
 その結果、長年奔走し、サンパウロ州立大学日本語学科とクルゼイロ・ド・スール総合大学の協力を得て、CS大学内に日本語教師育成学科(遠隔式授業)を2019年に設立した。現在の生徒数は274名。
 またサンパウロ文協理事職も務めており、世界の日系人の中でもそのボランティア活動は広く知られている。世界の日系人社会で欠かすことのできない人物になっている。
 教育ボランティアにこだわる理由について「自分の体験で得たことだが、人は教育しだいでどの様にもなる。但し、的確な教育とは?ともかく自分は日本語が人格形成にプラスになるので、日本語教師養成を通じて、ブラジル人の国際化に貢献したい」。
 そこに込められた思いとは「先祖には教育界の関係者が多いので、ご先祖の導きではないかとおもう。神から与えられた使命かも(しれない)」。

宗教家の人生

 父は戦前から「生長の家」と総裁である谷口雅春先生の熱心な信徒だった。「生長の家」から学んだことは何か、教えにふれてなかったら、とっくの昔に命を絶っていたし、また生きていたとしても現在の家庭も会社もありえないのは確実。
 1番目は日本人に生まれた幸せに気づいたこと、そして地上に於ける自分の使命とは何かを習得した。この教義を学び修練し続けてきたことが、全てにおいていまの自分の人生に役立っている」。

パート4=矢野の生い立ちと家族愛

 1946年に大分県で生まれ13歳で家族とともにブラジルに移住した矢野。少年時代から自分の人生を自ら切り開いてきた強靭な精神力と自立独往の持ち主である。
 その原点は少年時代の体験である。明治時代に一般的な社会通念だった親孝行を第一に考えて、昼間は働き、夜は中学と高校で学ぶ、という日本繁栄の原点を築いた歴史の一端をそのまま矢野も体験した。
 その後、サンパウロ州総合大学(USP)経済学部を卒業しビジネスの世界に入った。同時に大分県出身の矢野は県費留学生として故郷の土も踏んでいる。

夫人と家族

 1946年9月18日生まれ、大分県佐伯市宇目町字小野市出身
家族構成―テレーザ三重子(妻)、アンジェラ紀香(のりか)(長女)、敬広(たかひろ)(長男)、ベアツリース由美香(次女・1986年に逝去)、カロリーナ百合香(ゆりか)(三女)
 1977年12月17日に尾崎テレーザ三重子と結婚。結婚の理由は生長の家・青年会の同士で「ご先祖の導きだと思う」。夫人の内助の功について「家内のおかげで全ての今日があると確信している。結婚当時は自分が威張っていたが、いまでは家内の偉大さがよく分る」。
孫の人数―5人だが来年には6人目。
 ブラジル矢野家の子育て教育の特徴は妻任せ、「子供たちの家庭には口出しをしない(各自が責任を持って子育て教育をしているので、それを尊重している。何事にも体験が必要)」。

ブラジル矢野家を建立した両親

父―矢野廣三(ひろぞう)(旧姓 甲斐)、大分県佐伯市宇目町、1919年10月16日生まれ、1960年6月14日サントス港着
母―矢野キヨ子、大分県佐伯市宇目町、1923年9月20日生まれ、1960年6月14日サントス港着
移住理由―子供のためにのびのびと活躍できる国を求めた

矢野敬崇の長男気質

 小さい頃の思い出はチャンちゃんばらで野原を飛び回ったり夏は一日中、川で遊んだこと。親の手伝いをし始めたのは小学校3~4年ごろからで、仕事の内容は井戸から水を汲んで風呂釜に入れる作業や、矢野家の山で薪とり。
 小さい時に親から教えられたことは、父―正直と読書、母―「鶏口となるも牛後となるなかれ」。それはいまの人生や経営にどう役立っているのか―正直だけでは人から利用され、経営者にはなれない、それ以上のモノが必要。サラリーマンで満足しないように、時期があれば起業できるように常に準備してきた。いまも経営にとても役立っている。
 同時に成長の原点になった親子の絆と実現できた両親との家族愛をこう語った。「病弱な幼児期、母が遠い神社まで毎日歩いて願を懸けてくれた。そのおかげで生き返ったという話を何回も聞いた。大分大学に留学した折に、その神社を探して歩きとうとう見つけた。30歳の時だった。そこの祠の中に自分の名前を書いた布切れがあった。触れたとたんにボロボロになった。神様に守られているという信念ができたのはこれが元になっているのかも(しれない)?」
「突然のブラジル移住。結構な身分から「雇われ百姓」になり、食べる生活に追われ、「お先真っ黒」な少年時代だった。生長の家に触れて、両親の愛に目覚めて一大変化した。日本人劣等感に陥り愚痴を言う生活から、自分に内在する無限力に励まされ、長男として両親を楽にしてあげたい一心でサンパウロに一人で出てきた」。
「夜間大学を苦労して卒業できたのも、起業できたのも、潰れそうになった会社を建て直したのも、海辺に家を借りたのも、新しいマンションを買ったのも、全て両親に報いるためだった。両親に喜んでもらいたい、その一心だった。父は魚釣りが大好きでした。殆ど全てを両親優先にして来た。家内が100%同じ考えだったのが幸いでした」。
「その両親の死後、パンアメリカンレベルでの日本語教師養成講座の確立等に比較的楽に取り込むことが出来た」、「結論から言えば、私の父と母が偉かったのだと思う。二人の背をみて育った。父は学者タイプ、母は事業家タイプでした」

日本精神そのものである大事にしている言葉

経営者としてー『努力』『忍耐』『信用』『協和』、『忠義』『献身』『責任』『克己』『礼』『誠』。人生としてー『正直』『勤勉』『努力』『忍耐』。

主な受賞歴と公職

ブラジル大分県人会元会長、ブラジル大分県人会名誉会長。パンアメリカン日系人協会元会長で現ブラジル代表(実行委員長して2007年にサンパウロで第14回パンアメリカン日系人大会及び第48回海外日系人大会の合同大会を開催)。
 2018年大分県功労者賞受賞。
〔文責 カンノエージェンシー代表 菅野英明〕

パート5=矢野家の家訓


移住
1.矢野家(廣三・キヨ子・敬崇・睦子・秀信・清三)は自分の意思で1960年に日本から移住した。けれども真実は大いなる宇宙のエネルギー(神)に導かれて来たのである、より良い世界をつくるための協力者として。
2.先ず始めに自覚すべきことは、どんな環境に生まれても、最良の家庭・民族・国と時代に生
まれたのだと思うべし。この地上に生まれたこと事態が尊いのである。父母の愛と天地の万物に感謝して、今為すべきことに全身全力で取り組めば、必ず道が開ける。愚痴を言うなかれ、愚痴は全てを破壊する、周りに毒を撒くようなもの。

生き方

3.生活力のある人になれ。そして慈善事業に協力せよ。それには人間力を高めること。一芸に秀ぜよ。毎日が楽しくなるぞ!(注:人間力とは知識や教養があるのはもちろん、総合的な力のことで、広い視野でバランスよく物事を俯瞰(ふかん)する力のこと)
4.歴史と地理は独自に学習せよ。母国語は完璧に習得すること。英語は国際交流と経済促進そして日本語は人間教育に秀でるので習得せよ。
5.若いときは体をきたえ、勉学にはげめ。力いっぱいなせ!そして出来るだけ旅行して見聞を広めよ。若い時の苦労は将来の滋養。先が分らないのが良いのだ(先が見えるようになれば老いた証拠)
6.人生の道は自分で創る。過去と他人は変えられぬが、自分の運命は変えられる、三つの神器(良き想念、良き言葉、良き行い)を用いて。但し願いの成就には時間がかかる、数年から20~30年も。努力と信念と忍耐が肝要であり、他人の協力が得られねば何事も出来ぬ、特にご先祖と宇宙の大エネルギー(神)。
7.3欲(財欲・権利欲・性欲)をプラス思考で活用せよ、多くの人の為に。この世が中々良くならないのは、心の正しい人々が3欲を嫌って生かしきれないからである。勿体ない!
8.いかに最悪の状態が現れようとも、苦難(病気・悩み・事故・災害等)は「幸せの門」なり。苦難は過去の業を消す作業であるがゆえに反省し、苦難の中に隠れている「神のメッセージ」を見つけよ。大丈夫!必ず良くなる!益々良くなる!
9.夫婦は性格が反するのが良いのである。合わせあう努力が幸せな家庭を築く。仲良し夫婦と円満な家庭が企業繁栄と世界平和の基である。家庭一つ治めきれずに、何ができる?妻は横軸で夫は縦軸。縦軸がしっかりしないと中心が定まらず、家庭はガタガタするぞ。妻は家庭の太陽で暖かく家族を抱擁する力あり。子共は親の心の影。
10.妥協して我慢して調和していると思うな。強くならなければ誰もついて来ぬぞ、なぜなら回りの大半は自分のことしか考えぬ荒石だから。「愛>智慧」の者を優先して集めよ、育てよ。自我の強い者は避けろ。「類は類をもって集まる」法則を忘れぬな。

企業経営
11.企業は生き物、だから法人という。縦軸の役割を持つ者と横軸の役割を持つ者が仲良くまとっまてこそ組織は円満に前進する。経営理念の確立が強固な縦軸を築く第一歩。トップは縦横軸の交差点にいるが、止まっていてはだめ、動いても良いが、周りの者から常に見える位置に居ないと会社がガタガタするぞ。
12.「ナンバーワン企業」よりも「オンリーワン企業」を目指せ。常に「質」を求めよ、「糧」はその結果。現場主義に徹底し、改善・改良・新開発に努めよ、これらが成長の鍵。しかし営業力が乏しい企業は潰れるぞ。
13.人を動かす2大要素は「愛」と「智慧」。「愛」は引き付けて一体感を増す力なれど、甘やかしていては拉致があかぬ。「智慧」は冷たいけれども目標に向かって前進するには必要。お互いのバランスが肝要である、それを保つのがリーダーの役目。
14.西洋文化は言葉の文化、日本は文字文化。ブラジルでは何事にも口で話して意思疎通を図れ。書くのは後回し。
15.一人では何事も出来ぬ。いろいろな従業員が居るからよいのである。優秀な従業員ばかりの少数精鋭企業は弱いぞ、長続きしない。お城の石垣を学べ。大きな石と無数の小中石との絶妙な組み合わせが天災にも耐える強力な土台を築いているのである。
16.世の中には変わるモノと変わらないモノがあり、又「変えてはならないこと」と「変えてもいいこと」がある。見分けが大切。企業の本業をくるくると変えることなかれ。宇宙の法則は変わらぬぞ。長寿企業の秘訣を探れ!
17.企業経営は「三方よし」(世のため、客のため、会社のため)の心で。実績は経営者の人間力しだい。去る者は追わず。常に物心の貯えに心掛け、借金と他人の保証は避けること。

この世とは?
18.成功とは日々の精進にあり。必要なモノが、必要な糧で、必要な時期に得られる者が無限供給者であり、真の富者である。「足るを知る者が富む」
19.健康の源は口から入る食べ物だけではない。鼻から吸う新鮮な空気と、「神想観」で得られる宇宙のエネルギーと、周りを祝福する心である。生きているのではない、生かされている
のである。
20.男と女は違うから良いのだ。役割が違う。例えれば、男は矢で女は弓、男は種で女は畑、男性は遠心エネルギーで女性は求心エネルギー、電気のプラスとマイナス。合い反するエネルギーが一つになることで偉大な「産む力」が生じる。これが宇宙の法則。
21.この地上世界は念の世界。「心しだい」で天国にも地獄にもなる世界である。天国を観たければ「心のレンズ」を清めよ。必要なモノはすでに神からあたえられているではないか。汚れたレンズでは不幸・災難・貧乏等しか見えぬぞ。
22.死後の世界を説くのが宗教である。霊界のことに頭を突っ込むな。本当の自分は生命であり、生き通しであり、無限に伸びる本質があることに気づけば良いのである。今を生きよ!「山川草木国土悉皆成仏」。「共存共栄」がこの地上世界の本質なり、「弱肉強食」世界のようにみゆれども。
23.人間は本当の愛を学ぶ為に生まれたのである。「自我愛」から「与え合う愛」を通して「与え切りの愛」に昇華するために。自我の心から利他の心に昇華するために。喜べば喜ばれる。「与えれば、与えられる」これが繁栄の法則。常に先に与えよ!
24.この地上学校は「魂を磨く」ところ。「磨かれるグループ」と「磨くグループ」に分かれる。さて汝はどちらを選ぶのか?「磨かれる」側の人たちは少ないぞ。大半の人たちは「磨く」側のグループなり、これらは「わいわいガヤガヤ」、無責任、自分優先のグループなり。

日本民族の使命
25.世界平和の鍵は神代の時代から続く「日本の心」にあり。日本文化にあり、先祖の足跡にあり。自然を尊び、人の神性を信じ、中心帰一の組織と生かし合いの社会観を観よ。それを探り、学び、生かし、広めよ!但し日本民族として己惚れぬな!

2020年5月30日作成
矢野敬崇・三重子
1946年9月18日大分県佐伯市宇目町字小野市生まれ
紀香、敬広、百合香の家族とその子孫へ捧げる

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