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〝永遠のデプタード〟下本八郎氏=コロナ入院後に85歳で逝去

昨年11月、「国際パーク」建設のことで元気に来社した下本氏

昨年11月、「国際パーク」建設のことで元気に来社した下本氏

 6期24年間もサンパウロ州議会議員を務めた下本八郎氏が21日午後10時、シリオ・リバネス病院で死去した。行年85歳。新型コロナウイルスにかかり5月17日に入院。コロナは一週間ほどで治ったが、持病の糖尿病が悪化、年齢もあって回復せず、あえなく亡くなった。政治家を辞めた後も「sempre deputado」(永遠のデプタード)と敬称されていた。
 告別式は22日午後1時から4時まで、サンカエターノ・ド・スル市のOSSEL墓地。参列者は条例に従って遺体の前に止まらず通り過ぎる形で告別した。同4時に火葬の儀式が行われた。初七日、49日のミサ、法要は追って知らされる。
 1935年12月18日、サンパウロ州ガララッペス市、父安市、母ひさえの間に生まれた。安市が尊敬していた東郷平八郎元帥の名にちなんで、「八郎」と命名。父は生長の家の熱心な信者であったことから、八郎を神の子と思って育てた。八郎は父の教育に応え、政治家になってもボアッテなどの風俗を乱す遊びは一切せず、清廉潔白かつ正義感の強い政治家として貫き通した。
 州議会議員時代はブラジル州立銀行のセカット総裁に対し「セカットを総裁にしておくのは野菜畑にヤギを放すようなものだ」と言って同総裁を更迭した。また、汚職疑惑を払しょくするために州議会議員に黙秘料として小切手を配ったクエルシア州知事に対し、送られてきた30万クルザードの特別小切手で紙飛行機を作り同知事に投げつけ、フォーリャ・デ・サンパウロ紙(1988年1月13日付)に風刺画つきで掲載された。痛快な政治家であった。
 好きな歌は、和歌山県の仮谷志良知事から習った高倉健の『男なら』。「男なら、やってみな」という歌詞が好きで、その歌詞通りに生きた。
 1960年24歳で将来南米一となる「キング会計事務所」を設立した。1975年39歳にはサンパウロ州経理・補佐・鑑定・情報・調査業務企業組合(Sescon-SP)会長に就任した。企業組合員10万社を統括する大組織だ。
 1980年、下本氏のあっせんでブラジル国法人『ブラジル国士舘大学協会』を設立。サンロッケ市に武道館を建設、現在、『国士舘大学スポーツセンター』として利用されている。日本語学校連合会の会長を務めるなど、日本語教育に熱心に取り組んだ。さらに長いことブラジル相撲連盟名誉会長も務めてきた。
 1989年53歳、1月7日の昭和天皇崩御に際し、ブラジル公式代表団7人の1人として昭和天皇「大喪の礼」2月24日に参列した。14年78歳、春の叙勲で『旭日中綬章』を受章した。
 2019年、『下本八郎 対話による来歴』を出版。ライフワークとして、日本の城や伝統建築を模した建物を作って日本色を全面に押し出した多国籍文化スペース『国際パーク』建設に取り組んでいた。

★2020年12月2日《ブラジル》下本八郎氏「国際パーク」を!=構想実現のため奔走中=州議時代からのライフワーク

★2018年8月23日《ブラジル》110周年=国士舘改修プロジェクト=柴田館長来伯、下本元サンパウロ州議が同行

★2014年6月28日《ブラジル》下本八郎氏、大いに語る=叙勲の栄誉、将来の糧に=キング・グループ創設55周年

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