文芸

  • 火の玉が飛ぶ様子(イメージ写真)

    パラグアイ=入植地調査よもやま話=坂本邦雄=(6)

     で、ペオンにその辺に寝る場所を適当に用意してもらい、一同牛缶で夜食を済ませ、ペオンには持参のカンニャ酒を振舞ってねぎらい、自分も飲んだ。 パラグァイの地酒カンニャは銘酒でブラジルのピンガに相当するサ

  • パラグアイ=入植地調査よもやま話=坂本邦雄=(5)

     この辺一帯は鬱蒼としたジャングルで林相も良く、土地は一般にテラローシャ沃土で、河川は両岸が急勾配で高いのが特徴だったりして瀬川技師は感心していた。 ところがこの先の話が大変なオデッセイ(冒険談)にな

  • 1950年製のウィリーの参考写真

    パラグアイ=入植地調査よもやま話=坂本邦雄=(4)

     なんの事とはない、私がチームの案内、通訳、運転の3役を受け持ったのである。そして、瀬川、田中両技師と街へ出て、食料品店で缶詰、飲み物その他雑多な10日分ばかりの用品を揃え、ジープの後ろの「フタ」を開

  • ラ・コルメナ移住地開拓初期の貴重な写真。山切り作業に奉仕したパラ拓職員に母テルと邦雄が弁当を届けた時の写真(左から1人目は平出、2人目は笠松、4人目は内田支配人、5人目は石井、6人目は藤勝、7人目は関根、8人目は酒井、9人目は母テル。後列で立っているのが森谷、1人おいて邦雄)

    パラグアイ=入植地調査よもやま話=坂本邦雄=(3)

     ところが、アスンシォン港に着いて上陸し、市内に入っても、いつまでも都市らしい街が見えず、アスンシォン市はまだ遠いのかと尋ねたが「イヤ、ここがアスンシォン市なのです」との返事に、黒田公使もいささか驚い

  • ラ・コルメナ移住地の入植・建設の草分けとなった一家(後=左から石井氏、酒井、前=母テルと邦雄)

    パラグアイ=入植地調査よもやま話=坂本邦雄=(2)

     この超国家主義のフランコ新政権は外国移民の導入に限定的な規制を敷き、前政権との移民政策は対照的に異なり、おりしもブラジルの〃移民二分制限法〃の影響もあってか、同年4月30日付でようやく下りた、日本人

  • お~いお茶俳句大賞=文協が窓口、1月末まで

     恒例の「第27回伊藤園お~いお茶新俳句大賞」の申し込みが始まっている。ブラジル日本文化福祉協会が窓口となり、応募用紙も配布している。1月27日必着。 用紙は文協サイト(www.bunkyo.org.

  • ラ・コルメナで裸足で馬に乗って学校に通う坂本邦雄さん

    パラグアイ=入植地調査よもやま話=坂本邦雄=(1)

     早いもので、来年(2016)は「パラグァイ日本人移住80周年」を迎えるに当り、様々な記念行事のプログラムの準備が各関係当事者の間で着々と進められている。 言うまでもなくその起源は、戦前の初にして唯一

  • 小噺(ピアーダ)万歳のブラジル=サンパウロ 飛田呆介

     なにが愉快たって、ブラジル人と付き合うくれぇ面白いこたぁねぇ。とにかくのんきでよぅ、滅法楽しくって、ジョークが大好き、おまけに働くことがでぇ嫌いとくらぁ。これでオマンマが食えるなら、ブラジルてぇとこ

  • 『蜂鳥』

     句集『蜂鳥』327号が発刊された。 「蜂鳥集」より3句、「夏近し軽いサンダル花模様」(間部よし乃)、「国つなぐ新国道や風光る」(小原加代)、「夏時間とまどひ多き年頃に」(青砥久子)。エッセイには、連

  • 茅葺校舎前の生徒たちと先生

    自分史=ボリビア開拓地での少年時代=高安宏治=(6)

     学校もこれまでの一号線校とラス・ペタ校が合併してヌエバ・エスペランサ校(本部校)となり、パイロン校とリオ・グランデ校も合併しパイロン校(分校)となった。僕の家から本部校までの距離は約8キロもあったの

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