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オーリャ!

コラム オーリャ!

ニッケイ新聞 2012年6月28日付け  ブラジルでは、国旗をモチーフにしたシャツや帽子を着た人をよく見かける。色合わせが綺麗なせいもあるだろうが、自国が好きだという感情の現れだと思う。  一方、戦後67年も経つのに、日本で日の丸柄のシャツを着ている人がいたら奇妙な目で見られる可能性が高い。日本では愛国心というと、偏狭な物の見方 ...

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ニッケイ新聞 2012年6月26日付け  東日本大震災から1年3カ月が過ぎた。コロニアではさかんに義捐金募金が行われ、本紙の調べでは送金金額は6億円を超えた。このこと自体は意義深いことだが、残念なことにその浄財がどのように使われているか明らかになっていないし、日本ではあまり知られてもいないようだ。  遠いブラジルでミサや法要をや ...

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ニッケイ新聞 2012年6月23日付け  本日発行の「移民の日特集号」の『移民船の思い出』で13人に取材する機会を得た。  一番印象に残ったのは、船で死人が出ると水葬によって弔われていたことだ。特に幼い乗船者が日射病などで命を落とすこともあったと聞いた。  他にどうしようもなかったとはいえ、墓も残らない方法での弔い方には抵抗を感 ...

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ニッケイ新聞 2012年6月21日付け  大部一秋総領事がサンパウロ市議会から『パウリスタ名誉市民章』を受章した。いつも総領事に寄り添い支えていた栄子夫人の働きも皆の認める所だったようだ。  授章式前の待ち時間、「取材は後の方がいい」と関係者に言われ端で待っていた。すると、「どうもお世話になりました」と栄子夫人自らが記者の所へ歩 ...

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ニッケイ新聞 2012年6月19日付け  デカセギが福島原発の作業員として派遣会社に登録されたのが、伯政府の「不満」表明で撤回となった一件は疑問が残った。個人的には、政府の反応はいささか過剰だったように感じる。  求人広告には「原発から20キロ圏内」「防護服着用」「毎日医師の検査を受ける」と明記してあったようだ。面接等で詳細な説 ...

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ニッケイ新聞 2012年6月14日付け  「あなたは娘(孫)みたいなものだから」と、親切にしてくれる日本人に時々出会う。日本でこんな風に言われたことはなかった。  中には出身県が同じ人もいて、それも手伝ったのかもしれない。でも、当地で育った自身の子どもや孫と「合わない」と感じていると知った時、それが大きな理由かもしれないと思った ...

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ニッケイ新聞 2012年6月12日付け  「今年にかけている」。そう記者に語ったサッカーの西村竜馬選手には、18歳とは思えない落ち着きがあった。  渡伯の決意を両親に告げたのは高校3年の夏、電話越しでの「行くから」の一言だった。その勇気ある決断は若さも手伝ったのだろうが、感服の思いだ。きっと生半可ではない覚悟があったに違いない。 ...

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ニッケイ新聞 2012年6月9日付け  本面トップで紹介した地坂さんが、満夫さんの渡伯直前に2人で撮った写真を見せてもらった。満夫さんの表情は暗く、地坂さんは俯いてしまっている。「もう会うこともないだろうと思った」という今生の別れの辛さを物語る一枚だ。  2人は運良く再び巡り合い、人生の伴走者として再出発することが出来た。一方で ...

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ニッケイ新聞 2012年6月7日付け  物事は上手く運ばないものと肝に銘じよう—来伯後、家人との間で口癖になった。  しかし先週北米旅行をした際は、高額の旅費を払ってビジネスクラスを利用したため、それなりの対応を期待していた。  が、往路のトラブルに加え、復路では、経由地で乗り継ぎまで8時間もの余裕があったにも関らず荷物が届かな ...

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ニッケイ新聞 2012年6月5日付け  先日、たまたま乗ったタクシーの運転手がデカセギ帰りだった。  妻が三世で、10年日本にいたそうだ。日本の感想を聞くと、「すごく好きになった」。が、また行きたいかと尋ねると即否定し、「もうシェーガだね」と首を振った。  日本に住んだことのあるブラジル人に、「日本を気に入ったか」と尋ねると、皆 ...

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