同選集第2巻に収録されている安井新(本名・藪崎正寿)の小説『路上』(1958年第2回パウリスタ文学賞受賞)には、戦中の45年2月、一千家族の日本人植民地が約400人の州兵によって徹底的に家宅捜索され、略奪・暴行を受ける様子を小説として描いた。当時の日本移民の心境を説明して、こんな一節を書いている。 《もし祖国が何の価値もない下 ...
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終戦70年記念=『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ=第28回=歴史がムリなら小説に投影
病気を治すには「自分が病気であることを認識する」のが第一歩だ。つまり、ストレスの原因がブラジル社会との関係にあったと日系社会が自己認識するには、移民史の中に記す必要があった。 ところが、戦中の迫害をまっさきに書いた岸本は国籍剥奪裁判という事態となり、「表現の自由」は奪われたまま。ヴァルガス独裁政権の続きの50年代はもちろん、6 ...
続きを読む »終戦70年記念=『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ=第27回=「圧力鍋」が爆発した理由
『不適応』は、海外不適応の舞台がブラジルのような《発展途上国では、一般に万事が激烈であり、また直接的な形をとりやすい。まず、在留邦人の呈する不適応現象の表れ方は、どちらかというと急激で強烈なものとなりやすい》(44頁)と指摘する。敵性国人として扱われ弾圧を受けた戦中は、まさにその条件に当てはまる。 中根は、海外における日本人集 ...
続きを読む »『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(55)
カマラーダが暴動 1936年のことである。一夜、市街地で、一人のカマラーダが銃で殺された。その頃の所轄だったジャタイ署から警官が来たが、犯人不明のまま二日後、引き上げた。 すると、西村組で働いていた二人のカマラーダが、ブラ拓事務所で「西村(市助)を出せ、西村を殺す」と喚き始めた。 二人は西村宅、商店、ペンソン、居酒屋を襲い、拳銃 ...
続きを読む »終戦70年記念=『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ=第26回=社会不適応という圧力鍋
戦後移住開始は1953年。日本から渡伯する分には渡航費補助が支給されて5万人がブラジルに送り込まれたが、戦前からの環境不適応者数百人を「邦人保護」の観点から送り返す発想はなかった。戦後移住開始直後に「邦人擁護」目的で不適応者を祖国に帰してやれば、桜組挺身隊事件も起きなかっただろう。 総領事館に要求を拒否され、誰にも頼る事ができ ...
続きを読む »『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(54)
区会、青年団 大人は時々、寄合いをした。それは熱気に溢れていた。やはり資料類に掲載された「開拓期を語る座談会」の記事の中に、その様子が語られている。こんな風に──。【後藤】「その頃の区会は実に真剣だった。さながら帝国議会そのものだった。『区長! 異議あります』片岡さんが手をあげて堂々と意見を述べる。岩戸茂吉さんが起立する。オヤジ ...
続きを読む »終戦70年記念=『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ=第25回=不適応という心の傷
1980年にNHKブックスから刊行された『日本人の海外不適応』(稲村博著、以下『不適応』)という興味深い本がある。 《著者は過去十数年の間に、世界の各地を訪れる機会を持ったが、どこへ行っても不適応現象に苦しむ邦人に出会わざるを得なかった。(中略)不適応現象に陥っている人のいかに多いかに驚かされた》(3頁)とある。80年頃によう ...
続きを読む »『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(53)
最初の小学校は、中央区にできた。移住地の開設早々の1932年に仮教室、生徒13名で始め、翌年に校舎を建設、開校した。以後、区ごとに、入植者がある程度の数になると、新設した。 学校には、日本語科とポルトガル語科を設け、正式認可を州政府の学務局に申請した。認可が下ると、校長やポ語の先生が、学務局から派遣されてきた。日本語科は区会で ...
続きを読む »終戦70年記念=『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ=第24回=日本移民が抱く故郷喪失感
「帰りたくても帰れない」――これを故郷喪失と言わずして何というのか。「ディアスポラ」(離散した者、故国喪失者)という言葉は、日本人には身近ではないが、「生まれた場所を追われて離散し、祖国喪失感を刻まれた民族」を示す。 一般的にはユダヤ人やパレスチナ人、アルメニア人、時にアフリカから新大陸に連れて来られた黒人、中国から出て行った ...
続きを読む »第44回ふるさと巡り=メキシコ、交流と歴史の旅~榎本殖民地を訪ねて~=(7・終)=日本移民百周年学校を訪問=教育に力入れる春日カルロス氏
文化センター「江戸村」では、子供たちがかわいらしい着物姿で童謡「紅葉」を歌いながら迎えてくれた。この通りは「カルロス・カスガ・オサカ」通りと名付けられている。メキシコ日系社会のドンと呼ばれる春日カルロスさんはアコヤカグアの教育に力を入れている。というのも、移住90周年の際、ヤシの葉で屋根をふいた学校の生徒13人のうち5人が日系 ...
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