連載
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アマゾン探検記――一戦後移民の体験――連載(9)=毒の中喬木、水に漬かる=残らず死んだ周りの魚
2006年4月4日(火) 第四日 腹がへっていたせいか、早く目が覚めた。焚き火は大かた灰になっていて、わずかに燻っている。口をすすぎ、顔を洗ってから、昨夜オンサがいたところを見に行く。 あちこち
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移住花嫁の母=小南ミヨ子の生涯=連載(下)=どうなる会館の将来=創立者の死は問いかける
2006年4月4日(火) 二十年ほど前から後続が途絶えている――といわれる花嫁派遣だが、実は一九九〇年ごろまで関連事業は実施されていた。バブルの絶頂期だ。 「ききょう会報」によれば、九〇年九月一日
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アマゾン探検記――一戦後移民の体験――連載(8)=オンサが近づいて殺気=寝撃ちの姿勢で撃鉄起こす
2006年4月1日(土) とにかくのどが乾いている。水を飲もうとイガラッペーに下りる。水は流れが止まっている。澄んでいるのに魚影がない。水辺の浅いところにオタマジャクシがウジャウジャいる。 少し変
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移住花嫁の母=小南ミヨ子の生涯=連載(上)=370人送り出し大往生=女子研修センターと共に=「大きな影響与えた」
2006年4月1日(土) 私財を投じて「国際女子研修センター」を設立、南米移民の青年に日本の花嫁を紹介すること三十余年――小南ミヨ子さん(享年96歳)は、移住者に捧げた半生を送った。送り出した数は約
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JICA青年ボランティア リレーエッセイ=最前線から =連載(35)=池田玲香=マリアルバ文化体育協会=子供と正直に向き合って
2006年3月30日(木) 私がブラジルに来て、一番困ったこと。それは言葉や文化の違いではなく、習慣のちがいだった。躾の違いと言ってもいいかもしれない。それは一年経った今も、私の前に大きな壁となって
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アマゾン探検記――一戦後移民の体験――連載(7)=川水のカルシウムの有無=下流で牛の成長に影響
2006年3月30日(木) 続けて伐っていくと、五メートルから十メートル置きくらいに、踏み分けた小道のようなものがあり、それを横切る。アンタの通り道だとのことである。 なお左右に何カ所も下草を押し
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アマゾン探検記――一戦後移民の体験――連載(6)=アンタ(獏)の防御の知恵=藪の中でも水中でも
2006年3月29日(水) シッポー・ダ・アグアを何本か切って飲んだが、ひどく乾いているので、少しものどの乾きは止まらない。 そのうちにシッコが「これだ、これだ」と言いながら、スマウメイラ(カポッ
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アマゾン探検記――一戦後移民の体験――連載(5)=水筒の水のみ干して後=渋みある「水の蔓」に頼る
2006年3月28日(火) 昼は魚、夜はケイシャーダの肉を腹いっぱい詰め込んで馬鹿話をしていると、昼間干して夜小屋のなかに取り込んだケイシャーダの皮が何だか動いているような気がする。よく見ると、たく
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大泉町=日系子弟の教育最新事情=アマード駐日大使と後藤博子参議が視察=連載(下)=将来へ模索続ける大泉=大使「外国人受入れのモデルに」
2006年3月25日(土) ブラジル学校の視察を終えたアマード大使一行と後藤博子議員。町内の「レストラン・ブラジル」で、同町で活躍するブラジル人たちと会食をしながら話がはずんだ。 午後三時、大使と
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大泉町=日系子弟の教育最新事情=―アマード駐日大使と後藤参議が視察=連載(中)=二つのブラジル学校=課題は設備と資金難
2006年3月24日(金) 一九九〇年六月、改正入管法が施行され、三世までの日系人に日本での就労への道が開けた。しかしその一方で悪質な斡旋業者なども横行、マスコミを騒がせ暗い影を落としていた。そんな