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山本喜誉司賞=興梠、中隈、竹原3氏へ=授賞式は文協で25日

ニッケイ新聞 2011年11月18日付け  農業分野への貢献者をたたえる山本喜誉司賞(ブラジル日本文化福祉協会主催)の第41回受賞者3人が決定した。  25日午後7時からリベルダーデ区の文協ビル貴賓室(Rua Sao Joaquim, 381)で授賞式が行われる。  同賞選考委員会の近藤四郎委員長によれば、今年度複数の団体から推 ...

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大耳小耳

ニッケイ新聞 2011年11月18日付け  来週日曜日の27日、援協傘下のサントス厚生ホームで毎年恒例の忘年会が行われるにあたり、援協では参加者を募集している。バスの席にはまだ余裕があるそうで、「ホームは改修してきれいになっています。サントスの海の幸も食べ放題なので、ぜひ楽しんでほしい」と関係者。バスは当日午前8時に援協前(Ru ...

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兵庫県人会がピクニック=自然農法学び交流深め=「耳を澄ませてみて」

ニッケイ新聞 2011年11月10日付け  ブラジル兵庫県人会(尾西貞夫会長)は、恒例のピクニックを9月25日に実施し、サンパウロ州アンパーロ市の自然農法を実践するドゥアス・カショエイラス環境教育センターを訪れた。尾西会長はじめ役員や留学生・研修生OB、会員ら48人が参加し、爽やかな自然の中で親睦を深めた。  バスは山あいに続く ...

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コラム 樹海

ニッケイ新聞 2011年11月2日付け  熊本県のコーヒー専門店が豆を入れる麻袋を再利用したボウシを販売、なかなか好評—と週刊新潮(10月27日号)に書いていた。「通気性がよく、型崩れしない」のがウリ。南米のロゴが若者に人気らしいが、その生産に日本人が関わったことを知れば、シャッポを脱ぐのではないか▼戦前、サンパウロ、パラナでは ...

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念腹忌全伯俳句大会=故人を偲んで句をひねり=兼題1位は鈴木文子さん

ニッケイ新聞 2011年10月25日付け  サンパウロ木蔭俳句会が朝蔭発行所の後援を受け、『第三十三回念腹忌全伯俳句大会』を16日、老人クラブ連合会会館で開催した。悪天候にも拘わらずサンパウロ市内および近郊を始め、ブラジリア、マットグロッソ、リオもから直弟子、孫弟子ら約80人が参集、念腹氏を偲びながら、句をひねった。  祭壇には ...

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【祝 福博村入植80周年】高木醸造食品(有)=ブラジル全土に販売網展開

ニッケイ新聞 2011年10月22日付け  高木醸造食品は1969年に設立され、たくあん、豆腐、かまぼこなど野菜、大豆、魚を原料とした日本特有の保存食を生産し、サンパウロ市内にあるCEAGESP(サンパウロ州保税・一般倉庫公社)に支店を持って、直接販売している。  高木政親社長(たかき・まさちか、11代目酒造り、61歳)は195 ...

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世界市民的な移民女性=平田美津子という生き方=第3回=「移民の子と結婚するのか」=家族の反対押し切って

ニッケイ新聞 2011年10月19日付け  美津子は当時のNHK内で平田進と知り合ったいきさつを、こう説明する。「アメリカ二世が大勢いて、みんなとは英語で話していましたが、彼らは日本語はしゃべれても読み書きは苦手だった。その点、平田は完璧にできた。しかも、お互いにカトリックだった。家族の中でもカトリックは私一人だったので、いろい ...

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南米産業開発青年隊55周年=夢の新天地を求めて=(上)=始まりは神代組から=青年の勢いで渡伯決定

 今年55周年を迎えた南米産業開発青年隊(以下、青年隊)は、農業の研修を受けながらも機械や土木技術者としての訓練も受けた独特の制度として知られる。1956年に渡伯した「神代組」から始まり全部で326人が渡った。そのうち、160人には会報を送っており、現在でも連絡が取れる。新天地を求めて南米大陸を目指した〃青年〃たちの、その後の半 ...

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最も皇室に近い日系人=ブラジル日本会議=会長 小森広

ニッケイ新聞 2011年10月8日付け  上野アントニオ義雄氏にはブラジル日本会議の初代会長に就任していただき、定款完了して正規団体として登録された後には、名誉会長になって頂いておりました。  現役の連邦議員であった時代には、首都ブラジリアからサンパウロ市に戻ると当時の二世などを代表する数人を囲み、ニッケイパラセ・ホテルで食事会 ...

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コラム 樹海

ニッケイ新聞 2011年10月5日付け  「日本移民は黒人奴隷の代わりに導入された」とはよく聞く言葉だが、イタリア系子孫の本国就労実録映画を見て分かったのは、伊移民こそが最初に奴隷扱いされて苦労したことだった。奴隷解放令が出た1888年は、まさに伊移民最盛期だ。あまりの扱いの酷さに本国でブラジル送り出し禁止令が出されたほどだった ...

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