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コチア青年 関連記事

コラム 樹海

 今年、コチア青年が渡伯五十周年を迎え、十月記念式典を終えている。青年と青年引き受け者(パトロン)の関係において、五十年を経ても「青年たちはいわば奴隷代わりだった」という見方をする人は消えない。一方で、そうではない、と言う人もいる。パトロン擁護ではないが、少しでも書き残すべき、と考えた▼当時、青年たちを引き受けた先輩農業者たちは ...

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石碑は「日日新 新天地」=文協50周年に向けて

2005年12月03日(土)  文協五十周年に向けて作製中の石碑が完成間近だ。小泉純一郎首相から送られてきた揮毫「日日新 新天地」の文字を刻み込む。この揮毫は、ニッケイ新聞社の高木ラウル社長が飯島勲秘書官に要請、受領していたもの。一日午前、関係者は作製依頼をしている石材屋「カンタリア・パウロ」を訪問し、進行状況を確認した。  石 ...

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天国で喜んでいる=故地坂さんが叙勲=聖総領事館で伝達式

2005年12月03日(土)  アチバイア文協会長、和歌山県人会長などをつとめ、今年八月に七十二歳で亡くなった地坂満夫さんへの旭日双光章伝達式が一日午後三時から、在サンパウロ総領事館多目的ホールで行なわれた。  夫人の昌子さんをはじめ息子のマリオさんや孫など地坂さんの親族が出席。同文協や県人会の関係者、友人らが見守る中、西林万寿 ...

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「バタテイロ」の武勇伝語り合おう――ブラガンサ日本人会50周年――19日式典慰霊祭=先駆者の冥福祈る=離農顕著、会員の多くは商業

2005年11月8日(火)  ブラガンサ・パウリスタ連合日本人会(辻正美会長)の創立五十周年記念式典が、十九日午後三時から、同市ニッポ・ブラジレイラ街340番の同会会館で開かれる。バタタの栽培でかつて栄えた、同市の日系コロニア。離農者の増加や旧コチア産業組合中央会の崩壊で、現在多くは商業に従事している。当日は慰霊祭を営んで先駆者 ...

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故地坂氏=旭日双光章を受章=元アチバイア文協会長

2005年11月5日(土)  アチバイア日伯文化体育協会会長、和歌山県人会長などをつとめ、今年八月に亡くなった地坂満夫さん(享年72)にこのほど、日本政府から旭日双光章が授与されることが決まった。  一九五六年にコチア青年一次五回で渡伯。ヴァルゼングランデ・パウリスタで営農に従事した。六一年、アチバイア市タンケ区のコチア産組養鶏 ...

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大耳小耳

2005年11月5日(土)  アチバイア日伯文化体育協会会長、和歌山県人会長などをつとめ、今年八月に亡くなった地坂満夫さん(享年72)にこのほど、日本政府から旭日双光章が授与されることが決まった。  一九五六年にコチア青年一次五回で渡伯。ヴァルゼングランデ・パウリスタで営農に従事した。六一年、アチバイア市タンケ区のコチア産組養鶏 ...

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戦後移住50周年=USP植樹記念碑を序幕=「日伯友好のシンボルに」

2005年11月1日(火)  戦後移住五十周年を記念して二〇〇三年から植樹された桜とイッペーは、あわせて約五千二百本にものぼる。ブラジル・ニッポン移住者協会(小山昭朗会長)は、発足当初から計画していた「戦後移住五十周年植樹記念碑序幕式典」を二十八日(金)午前十時半からサンパウロ大学内の夕陽丘で開催した。会場には関係者約四十人が集 ...

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アスパーゼ植民地出身者集う=「養蚕村」の夢、回顧=昨年50周年=サンパウロ州初の計画移民=桑苗35万本、育たず

2005年10月27日(木)  かつてブラジルに「養蚕村」の建設を目指した人たちがいた。サンパウロ州モコカ市に開かれたアスパーゼ植民地。戦後のサンパウロ州で初の計画移民として海を渡った養蚕移民の入植先として、最盛期には六十六家族の日本人が暮らした。昨年入植五十周年をむかえたこの土地には、今も三家族が残っている。九月のある日、近郊 ...

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自分史目立った応募作=第36回コロニア文芸賞=受賞者2氏に聞く=小野寺さん=文芸好きは父譲り=野澤さん=満州の思い出淡々と

2005年10月22日(土)  ブラジル日本文化協会が主催する第三十六回コロニア文芸賞(遠藤勇実行委員長)の受賞作の発表を受け、授賞式が二十七日午後七時半から、文協貴賓室で行われる。今年の受賞作品は、本紙ニッケイ歌壇の選者を務める小野寺郁子さん(74、愛知)の創作選集『ときおりの章』と、文芸賞には初応募という野澤今朝之(けさゆき ...

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移民のふるさと巡り=南バイーアの移住地へ=連載(3)=パパイアほお張って=地域最大の移住地で交流

2005年10月14日(金)  雨の州道367号、国道BR101をバスで進む。 ポルトガル人が初めて見た山モンテ・パスコアル(五百六十三メートル)が白い。雲で蓋をしたように、空は少しも晴れ間を見せようとしない。四時間あまり走って、景色が椰子の並木から、ユーカリの「壁」に変わった。  三日目で初めての移住地訪問。訪れたのは南バイー ...

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