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サントス 関連記事

北東伯海岸への原油漂着に関する「最悪の想定」

ブラジル沿岸部における史上最悪の環境破壊  想像してほしい。たとえば故郷の美しい海岸の見渡すかぎりが、真黒な原油の塊でベトベトになっている様子を…。そこでは人はもちろん、鳥もウミガメも、魚すらも汚染され、次々に健康を害していく。  8月30日に最初の原油漂着が発見されてから、あちこちで発見されるようになり、今では200もの海岸で ...

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沖縄県人会=ウチナーンチュの日、27日=風船使う変わった琉球舞踊も

 ブラジル沖縄県人会・ブラジル沖縄文化センター(上原ミウトン定雄会長)は『ウチナーンチュの日』(知念悠司実行委員長)を27日午後2時(午後1時開場)から、サンパウロ市リベルダーデ区の沖縄県人会本部大サロン(Rua Dr. Tomaz de Lima, 72)で開催する。入場料30レ。  2016年の「第6回世界ウチナーンチュ大会 ...

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《ブラジル》フォルタレーザのビル倒壊から3日=救出作業続き、死者が4人に増える

 15日朝、ブラジル北東部のセアラー州フォルタレーザで起きた高級住宅地のビル倒壊事故から3日目の17日朝、4人目の遺体が回収された。  17日までに確認された死者は、当日1人、2日目2人、3日目1人の計4人だ。また、当日救出された生存者は7人で、現在も少なくとも6人の不明者の捜索作業が続いている。  身元が確認された死者は、倒壊 ...

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《ブラジル》カンピーナス空港を強盗襲撃=20人組が銃撃戦、焼き討ち

 17日午前、サンパウロ州カンピーナスのヴィラコッポス国際空港で強盗事件が起き、銃撃戦や高速道での車焼き討ち、篭城、立てこもりなども引き起こすという壮絶な展開を見せた。17日付現地サイトが報じている。  強盗事件は17日午前9時50分頃、ヴィラコッポス空港の貨物ターミナルで起こった。狙われたのは現金輸送会社「ブリンクス」が警備を ...

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「ボルソナロ一家の見込み違い」とは?

マジョール・オリンピオ下議(Gabriela Korossy/Câmara dos Deputados)  ボルソナロ大統領、および、彼の息子たちの一族に一時期ほどの勢いがなくなっている。それは世論調査で、ボルソナロン政権の治世への支持率で否定的なものが肯定的なそれを上回り始めていることでも明らか。さらに、先週から勃発した「社会 ...

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県連故郷巡りアマゾン=90周年に沸く「緑の天国」=(8)=第1回子孫にとってのトメアスー

 トメアスーで行われたアマゾン日本人移住90周年式典には、パラー州各地からもお祝いに駆けつけた。  「彼女は第1回移民の娘なんだ」。故郷巡り一行の隣りに座っていた現地参加組の夫婦に話しかけると、ベネジット・サルマンさんが妻の市原トシ子レジーナさんのことを、第1回移民の市原津南三(つなぞう)さんとしもさんの娘だと紹介してくれた。 ...

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陸軍司令部で原爆映画上映=平和を考える機会に、11月1日

 ブラジル広島文化センター前会長で、現在最高顧問を務める平崎靖之さんが、原爆に関する邦画作品の上映会を11月1日(金)午前9時から、サンパウロ市イビラプエラ区のブラジル陸軍南東軍司令部講堂(Av. Sargento Mário Kozel Filho, 222)で行う。ポ語字幕付きで、軍関係者向けだが一般の参加も可能。  上映作 ...

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リオ市=火災被害のバジン病院再開=事故による犠牲者は19人に

 【既報関連】リオ市チジュッカ区のバジン病院が、9月12日の火災で閉鎖されていた病棟を再開させたと14日現地紙サイトが報じた。  バジン病院は、2000年に開設した病棟と18年に増設した病棟からなる。9月の火災で被害を受けたのは、2000年開設の旧病棟だ。  同病院は、通常入院用128病床、集中治療室32病床、手術室5、人工透析 ...

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57年9月6日着ルイス号=会場が県連会議室に変更

 10月27日午前11時半に開催される、1957年9月6日にサントス港に到着した「ルイス号」の同船者会の会場が、文協ビル5階の県連会議室(Rua Sao Joaquim, 381)に変更になった。  問い合わせ・参加希望者は、岩手県人会の千田曠曉会長(電話=11・3207・2383、携帯=11・99706・0940)まで。

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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(155)

 湯田幾江といっしょに検挙された高林明雄もカルドーゾ署長に同じ日に調れらべられた。36歳で、父は高林信太郎、母はヌイ、臣道聯盟のアララクァーラ支部では一番の知識人だった。ただ一人、高等学校を出ていて、町の日本人の間で「先生」とよばれていた。  1934年に渡伯、サントスからモトゥカ郡の東京植民地に入植し、アララクァーラ市に移った ...

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