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連載小説

中島宏著『クリスト・レイ』第18話

 この日、マルコスは普段着ではなく、一応、訪問着を着て、格好を付けてきている。別に大したことではないが、一応、きれいに洗った格子のシャツに、ベージュ色の木綿のズボンを履いている。牛皮で作った茶色のブーツも、普段はあまり使ったことはない。  要するにこれは、毎日曜日に教会へいく時とか、招待されたパーティーにいくときのような、よそゆ ...

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中島宏著『クリスト・レイ』第17話

 自分にそう言い聞かせつつも、なかなか思い通りにはいかない。困ったものである。  アヤとの約束は、そのような意味での緊張感を伴うものであった。 正直なところ、この時、彼女に対する淡い慕情のようなものが、マルコスの中で芽生えつつあった。彼はそのことに対して驚きつつ、狼狽している。このような感情が生まれてきたことに対して、慌てている ...

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中島宏著『クリスト・レイ』第16話

それほどこの教会は、他とは違った佇まいを持ち、不思議な雰囲気を漂わせている。最初は、この教会の秘密を探ろうという目的があったのだが、マルコスは日本語にのめり込んでいったために、そのことは二の次というような感じになり、まあ、そのうちに分かってくるだろうというふうに考えが変わっていった。 はっきり言えば、さして緊急な話でもなく、うっ ...

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中島宏著『クリスト・レイ』第15話

 まだ、挫折というものを本格的に経験したことのないこの若者には、そのことがごく自然な形で信じられたのであろう。それだけに、彼は常に努力を怠らなかった。そこがアヤも言う、集中力のすごさに繋がるのかもしれなかったが、そうなるとこれは、持って生まれた才能とも呼ぶべきものなのであろう。 いずれにしても、このような状況になるとは、マルコス ...

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中島宏著『クリスト・レイ』第14話

 今までの木造の建物から、本格的なレンガ造りのものに改造するという話が持ち上がり、それが実際に、一九三五年の後半から実施に移されていったのである。 話によるとその教会は、同じカトリックのものながら、日本から設計図を取り寄せ、それを基にして建築をしていくというようなことであった。あの二人のドイツ人の神父がこの地に来たのには、この教 ...

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中島宏著『クリスト・レイ』第13話

 さらにもっと奇妙だったのは、この二人の神父が流暢な日本語を話すという事実であった。細かなところまでは聞き取れなかったが、マルコスにとって、この二人の神父が話す日本語は、どこか品があるような、それでいて威厳があるような響きを持っており、ある種、美しい音色を聞いているような感じが伝わってくるものであった。 これが、本当の日本語なの ...

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中島宏著『クリスト・レイ』第12話

 夏の間は日が長いから、夕刻になってもまだ明るさが残っているが、冬になると黄昏は足早にやって来る。授業が始まる頃はすでに夕闇がすぐそこに迫って来ている。必然、教室はランプを使っての授業ということになる。  陽が落ちると、この地方は内陸性の気候のせいで急激に気温が下がるから、一挙に涼しくなる。日によっては肌寒いほどになり、教室内の ...

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中島宏著『クリスト・レイ』第11話

 学校側は相談した上で、特別に夕方遅くからの授業を始めることにした。これは、マルコスのような生徒たちが他にもいて、彼らも昼間は働いていて時間がないため、勉強したくてもできないという事情があったからである。  いずれも日系人ばかりで、年齢的にもほとんどが大人であった。彼らもまた、ブラジルの学校は卒業していたが、年少のとき勉強した日 ...

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中島宏著『クリスト・レイ』第10話

 この時の、一九三〇代に使われていた日本語の教科書は、当時の日本から持ち込まれたもので、第四期国定教科書としての「尋常小学国語読本」であった。巻一から巻十二までの、十二冊からなる教科書で、巻一は「サイタ サイタ サクラ ガ サイタ」の文で始まっている。  これは、一九三三年(昭和八年)から一九四0年(昭和十五年)まで、日本の全小 ...

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中島宏著『クリスト・レイ』第9話

 その点、エンリッケはまるでそういう目的も持っていなかったし、元々遊び半分というところもあったから、まず、長続きはしないだろうとマルコスは見ていた。案の定、その通りになった。五ヶ月ほど経った頃、仕事の方が忙しくなったからというような口実を設けて、早々と辞めていってしまった。  ケンゾーの方は、マルコスたちとは違って別のクラスであ ...

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