日系職人尽くし―ブラジル社会の匠たち―
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日系職人尽くし―ブラジル社会の匠たち―最終回=トートーメー 先祖を祀る聖域=沖縄独特の様式美継承
11月22日(土) 一九五六年、中学二年でブラジルに移住した具志堅克珍さん(六一、沖縄県出身)は、サント・アンドレー市パルケ・ジャサトゥーバ区バトゥリテー街で注文家具屋を営んでいる。克珍さんが三歳の
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日系職人尽くし―ブラジル社会の匠たち―(9)=ギター=特別な音感を持つ名器=有名音楽家に磨かれて
11月21日(金) 「音の職人は板前のよう。どういう道筋で組み立てるかで、中華風、和風と味が変わる」。サンパウロ市ジャルジン・オリエンタル区ジュリパリ街の工房で語る杉山重光さん(六三、静岡県出身)の
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日系職人尽くし―ブラジル社会の匠たち―(8)=日本庭園=10年後の姿を念頭に=侘び寂びの微妙な釣合い
11月20日(木) 造園業に携わって三十年、スザノ市在住の石橋弘善さん(五七、二世)は、サンパウロ州内はもとより、遠くはポルト・アレグレ市まで、庭園造りに飛び回る。ピラシカーバ農大を卒業、一九七四年
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日系職人尽くし―ブラジル社会の匠たち―(7)=空手6段、人形は師範=大柄な体で繊細な作業
11月19日(水) サンパウロ市サウーデ区マウロ街の塩田健康センター所長、塩田憲一さん(五六、神奈川県出身)。一九七四年、二十七歳の時に渡伯した理由の一つが、「日本人形を普及するため」だった。七五年
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日系職人尽くし―ブラジル社会の匠たち―(6)=演奏者から製作者へ=三味線の文化を守る
11月18日(火) 三重城(みえぐすく)にのぼて 手巾(てぃさじ)もちやげれば はやふねの習ひや ちゅめどみゆる――。ヴィラ・カロン区ぺドロ・マラキーアス街で奏でられた琉球古典音楽、「花風(はなふー
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日系職人尽くし―ブラジル社会の匠たち―(5)=「手に職付ければ、お天道様とおまんまは向こうからやってくる」=七十の手習いで表具師
11月13日(木) 「表装の仕事をしているのは、ブラジルで俺一人しかいねぇんじゃないか」といなせに語るのは佐々木克さん(八二)。表装の仕事を始めたのは一九九二年からだ。七十歳からの手習いとは恐れ入る
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日系職人尽くし―ブラジル社会の匠たち―(4)=日本刀=製造全工程を一人で=銘を持たない〃刀匠〃
11月12日(水) 「私の日本刀に銘はない。独学で製法を学んだ私は、銘をつけることが出来ない」。四十年間、刀製造に従事し十一月で八十歳を迎える石田富三さん(七九)だが、姿勢は謙虚そのものだ。師を持た
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日系職人尽くし―ブラジル社会の匠たち―(3)=〃開かずの金庫〃に挑戦=サッカー場で満場の拍手
11月11日(火) 茂木安太郎さん(七一)は、「Medico dos cofres(金庫の医者)」の肩書きを自らにつける金庫技師だ。特殊なドライバーを用いて金庫の微かな音を聞き、右手の親指と人差し指
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日系職人尽くし―ブラジル社会の匠たち―(2)=彫金=金属を玩具に育った=半世紀の技光る三橋さん
11月8日(土) おたふく(かなずち)とかた切りのたがねを持ち、三×二センチの真鋳板を削り、会話しながらの二十五分間。表にフクロウ、裏に名前入りのキーホルダーが出来あがった。十五歳から四十九年、ほぼ
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日系職人尽くし―ブラジル社会の匠たち―(1)=和太鼓=原子力発電所技師から転身=天然素材をハイテク加工
11月7日(金) 自分の手の技術によって、物を制作することを職業とする人――。広辞苑では、『職人』をこのように定義している。しかし、合理化、近代化で生産過程のほとんどが工業化されてしまった現代社会。そ