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日系職人尽くし―ブラジル社会の匠たち―(2)=彫金=金属を玩具に育った=半世紀の技光る三橋さん

11月8日(土)

 おたふく(かなずち)とかた切りのたがねを持ち、三×二センチの真鋳板を削り、会話しながらの二十五分間。表にフクロウ、裏に名前入りのキーホルダーが出来あがった。十五歳から四十九年、ほぼ休まず彫金の仕事に向かい合ってきた職人の技を見せ付けられた時間だった。
 彫金職人、三橋延吉さん(六四)は大阪の中学卒業後、父から「手に職をつけろ」との指示に従い十五歳で彫金を志す。「父は、ハンドバックなどの飾り金具を扱う職人、周囲にある金属を遊び道具にして育ったのがきっかけかもしれない」と振りかえる。

上彫り三年、型三年

 十七歳で東京に仕事を求めて引越し二十一歳の時、ブラジル丸で渡航した。養鶏場に入る名目だったが、実際は養鶏をすることなく彫金の仕事を始めた。看板やコップなど依頼があったため、あらゆる物を削り販路や顧客を拡大していった。「仏壇屋に直接行って彫らしてくれと頼んだこともあった」と思い出す。
 上彫り三年、型三年、打ち出し三年と言われる彫金職人の世界。「勘違いして欲しくないのは、毎日やって三年だということ。上彫りには五年かかるのが普通だろう」と仕事への姿勢は厳しい。
 実際、最初は「針打ち」と言うたがねで、ミシン目を打つだけを三カ月から半年。「ブラジルで後継者を育てようと思っても、この段階で挫折するか、いなくなってしまう」と残念そうだ。

彫金の価値

 彫金の仕事は、金属にかかわること全般。筒状の真鍮をサイズに切り、それに鑢(やすり)をかける。これに、黒めっきをしてまた削る。作業台には、松やに台(松やに、とのこ、食用油、硫黄を混ぜたて煮たもの)をあたため、柔らかくしてから仕事に使う。
 「もっとも今は、歯科医が使うプラスチック製のモデリングも使う」と明かす。ここに、金属を埋め込み固定し、たがねとおたふくで削る。材料は、全てブラジルで揃うものだ。
 「ブラジルでは、彫金の価値を分からない人が多い」と嘆く。ブラジル人婦人が、三橋さんの作品を見て「工芸展にあったものと同じだね」と誉めた。国際交流基金で行なわれた日本作家たちの工芸展を訪れた後だったとのことだ。三橋さんは嬉しかった反面、「日本の熟練した工芸作家と、職人の作品の違いも見分けられないのか」と複雑な心境だった。

職人の方が気楽

 普及活動に成功した陶芸は、すでにブラジルで認められつつある現状を鑑み「ポ語が不得手で、価値を知らせる活動をしなかった自分の責任でもある」と反省する。現在、日曜日のレプブリカ広場での直接販売と、常花や仏壇の飾りも手がけている。真鍮で作った漢字や八から十レアルの小さなペンダントが売れ筋だ。
 毎年、文協の工芸展に出品しているがこれは、仕事ではなく楽しみの一つ。「作家にはなれない。職人の方が気楽でいい」と本音を漏らす。
 縦、横、一センチにも満たない箱に描かれた、上彫りの仕事はブラジル人に好評だが、「これは簡単な仕事」と言いきる。「腕が落ちる前に、小さくて手の込んだ、打ち出しの細かいものをやりたい」と三橋さんは期待を込めて言う。年季の末辿りついた彫金職人が、新たな作品への挑戦を求めていた。
(佐伯祐二記者)

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