6月5日(木) 「私たちは”南半球のリオのカーニバル! 北半球のYOSAKOIソーラン祭り!”を目指しております」。二百万人を動員するこのイベントを立ち上げた中心メンバー、長谷川岳さんの言葉が、Eメールで本紙に届いた。その熱い情熱は、地球を貫きブラジルまで届く。七月二十日、サンパウロ市で第一回YOSAKO ...
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将棋 新風起こせるか(終)=若手のホープ高島さん=ベレーンで貿易商、人望集める
5月31日(土) バチッ、バチッと一手一手に勢いのある音が響く。長考はせず、どんどん攻める。その気迫に相手は圧倒されてしまう。人一倍負けず嫌いで、敗れれば必ず敗因を分析する。 ここまで書けば、何となく、横柄な感じを与えかねいが、一本筋の通った気骨のある人だ。 取材に当たって、将棋連盟の幹部に若手のホープを尋ねたら、真っ先に ...
続きを読む »将棋 新風起こせるか(3)=連盟「後継者」と期待=ミナスの高根さん 将棋盤携行して移住
5月30日(金) 物腰は柔らかいが、内に秘めた思いは誰にも負けないー。そんな印象を受けるのが、高根富士雄さん(五五、長崎県出身)だ。ベロ・オリゾンテ市(MG)に居住し、苗木や芝生の売買を生業としている。 ブラジル・アマ五段。オーソドックスな戦型で、堅実に攻めるタイプ。将棋連盟の幹部は、後継者の一人として期待する。 ? ...
続きを読む »俳優・竹本孝之の連載エッセイ-第8回-教師に責任押しつける親
2003年5月29日(木) 私が、この中学生日記という番組に参加させて貰って、早いものでもう二年半が経とうとしている。最近ではこの役柄の所為か、各所で講演の依頼が来るようになってしまった。講演など私の柄では無いが、拙い話でも何かの役に立てればと、各地を回っているのだが…私と同世代、つまり中学生になる子供を持つ親に対してならば、 ...
続きを読む »将棋 ―新風起こせるか―(2)=チェスから入ったエゴロフさん=トップレベルにあと一息
5月29日(木) 非日系人も将棋の世界へ――。ブラジル将棋連盟が一世の高齢者で占められる中、ジョマール・エゴロフさん(マリンガ市在住、三八)は異色の存在だ。 ポルトガル語による初級者向けの入門書がこのほど、ようやく発刊され、伝統遊戯の普及活動は始まったばかりだ。 本業はチェスの指導者。これまでに六度、パラナ州でチャンピオン ...
続きを読む »フェルナンド・モライス氏インタビュー=臣道聯盟がブラジル社会に問いかけたもの(下)=独り歩きを始めた物語=01年の最高書籍大賞を受賞
5月29日(木) 現在、進めている取材は〃バイーア州のドン〃とも言われるアントニオ・カルロス・マガリャンエス上議や、そして第二次大戦前中のドイツ系コロニア内にあったナチズム運動など。「大戦中に米国は、同サンパウロ総領事館にナチス対策の特別セクションまで設置していたんだ。まるで映画のストーリーじゃないか。ペリュード・リッキシモ( ...
続きを読む »将棋 ―新風起こせるか―(1)=「強制せずに育てたい」=祖父、孫の自主性尊重
5月28日(水) 薄手のブルーのジャンパーに身を包んだ子供が会場をちょろちょろと動き回って、大人たちの指し手をみる。将棋盤に向かう、生き生きとした表情が印象的だ。 日系三世の長尾大樹君(ソロカバ市、一〇)は、将棋を始めて一年ほどになる。祖父の富生さん(愛媛県出身、六三)は、「指し方をようやく覚えた程度だ」という。 全伯規模 ...
続きを読む »フェルナンド・モライス氏インタビュー=臣道聯盟がブラジル社会に問いかけたもの(中)=勝ち負け事件は過去の話=「膿は早く出さないと手遅れに」
5月28日(水) 五十年が経過した今なお、デリケートな側面を持つこの事件を扱うにあたり、彼なりに考えた。「〃臭いものにフタ〃的態度では、いつまでも傷口は癒されない。むしろ、隠れた奥の方で、腐敗が進み、気がついた時には取り返しのつかないことになっている可能性もある。そんな時は、逆に早めに膿を出して、太陽の下にさらした方が早く直る ...
続きを読む »フェルナンド・モライス氏インタビュー=臣道聯盟がブラジル社会に問いかけたもの(上)=ブラジル史としての物語=非日系だから中立的に書ける
5月27日(火) 「臣道聯盟は、ブラジルの歴史を豊かにする貴重な逸話だ。私にとって、彼らは理解に苦しむ狂人ではない」。トレードマークの葉巻をくゆらせながら、パウリスタ大通り近くの高層アパートにある事務所で二十日午前、『Coracaes Sujos』(Companhia das Letras社、〇〇年)の著者フェルナンド・モライ ...
続きを読む »高齢者福祉 各国日系共同体の実状(5)終=―パラグアイ・アスンシオン―=65歳以上は平均14%=まだ若い日系社会 問題はこれから
5月21日(水) 二〇〇一年一月、パラグアイ日本人移住の草分けである笠松尚一氏がアスンシオンで死去した。九一歳。同国最初の日本人移住地、ラ・コルメナ移住地の創設に携わり、戦後も長年にわたりパラグアイ日系社会とともに歩んできた先人の死であった。移住開始から今年で六十七年。一世世代の高齢化が進む中、晩年の笠松氏が力を注いだのが「パ ...
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