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《ブラジル》デング熱=擬似症患者は昨年の2・5倍=サンパウロ州では感染患者が7倍に

デング熱などを媒介するネッタイシマカ(Arquivo/Agência Brasil)

 ブラジル保健省が2月26日、2月2日までのデング熱擬似症患者は5万4777人で、昨年同期比149%増と発表したと同日付G1サイトが報じた。  デング熱はネッタイシマカが媒介する病気の代表格で、ジカ熱は18%減って630人、チクングニア熱は51%減と報告される中、大幅な増加を見せている。擬似症患者5万4777人中、3万2821人 ...

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《サンパウロ》2月は16年ぶりの降水量=地盤緩み、土砂崩れも頻発

道路の冠水も多くで見られた。(参考画像・Marcelo Camargo/Ag. Brasil)

 国立気象観測所(Inmet)の発表によると、2月のサンパウロ市の降水量は323・2ミリで、同月の平均の235・9ミリを37%上回ったと、1日付アジェンシア・ブラジルサイトが報じている。323・2ミリは、2月のサンパウロ市としては16年ぶりの降水量だ。  今年の2月は、28日の内、16日、雨が降った。また、25、26日の夜は瞬間 ...

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東西南北

 カーニバルに伴う祝日のため、本紙も6日付まで休刊となり、次号は7日付となる。通常、この期間は少し前から国中がカーニバル一色になるため、他のニュースも少なくなる。だが、1日は、「ラランジャ」の異名で有名になった、フラヴィオ・ボルソナロ上議の州議時代の運転手、ファブリシオ・ケイロス氏が、「フラヴィオ氏の票田拡大のために職員の給料を ...

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富山県人会=約24万レかけ会館大改修=市川会長「完成は大きな喜び」=県庁からも慶祝に駆けつけ

テープカットで改装修繕を祝った

 ブラジル富山県人会(市川利雄会長)は「会館改装修繕完了式」を先月24日、サンパウロ市内の同会館で催した。この度の改装修繕では、サロン改装と台所の拡張が行われ、見違えるように綺麗になった会館に、来場者からは感嘆の声が上がった。式典には県庁から荻布彦参事ら職員4人が駆けつけ、100人以上の会員らと共に完成を祝った。  手前の建物に ...

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京都会活性化に一歩踏み出す=県連主導で元留学生と昼食会=意気投合「内部で話し合う」

初めての「京都会の昼食会」の様子

 「20数年ぶりに皆の顔を見られて嬉しい」―ブラジル日本都道府県人会連合会(山田康夫会長)の役員会の呼びかけで、23日昼に県連会議室で行われた「京都会の昼食会」では、そんな声が聞かれた。京都会の活動が停滞しているのを受け、孤軍奮闘してきた杉山エレナ会長と相談しながら活性化策をさぐる話し合いをするもの。50代、60代の元県費留学生 ...

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岡山県人会、ひな祭り9日=7段の雛人形、浴衣体験も

7段の立派な雛人形

 ブラジル岡山県人会(角南美佐子会長)が『ひな祭り』を9日午後1時から4時まで、同館(Rua da Gloria, 734, Liberdade)で今年も開催する。入場は無料。岡山のように「ひな祭り」を10年以上も続けているところは珍しい。  会場には、岡美恵子婦人会長が日本から持ってきた、7段の立派な雛人形が飾られる。当日はお ...

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JICA横浜、SC病院視察=元研修生が改善成果を披露

(撮影・望月二郎)

 JICA横浜センターの熊谷晃子所長、総務課の木田克人主任調査役が、先月20日、サンタクルス病院を視察した。  石川レナト同院理事長と意見交換した後、JICAの日系研修「5S―KAIZENによる看護師の管理能力向上」コースに参加した看護師が、日本の病院で学んだ技術を活かした職場環境改善状況について説明した。  熊谷所長は「歴史の ...

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在聖総領事館=休館日のお知らせ

 在聖総領事館(野口泰在聖総領事)は、今月4、5日が「謝肉祭」のため、6日が「灰の水曜日」のため休館となる。

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大耳小耳

 生粋のブラジル人女性で自称“紙芝居おばさん ”ことフラビア・マリア・ウォルフォウィッツさんの「紙芝居お話会」(ポ語)が、9日午後2時、3時の二回に渡り、サンパウロ市のジャパン・ハウス(Avenida Paulilsta, 52)で行われる。フラビアさんは、95年にサンパウロ総合大学通信藝術学部を卒業後、紙芝居と出会ってその魅力 ...

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『百年の水流』開発前線編 第四部=ドラマの町バストス=外山 脩=(23)

ブラジル一!  話をもう一度、終戦直後に戻す。  何度も書いたことだが、当時この国の蚕糸業は崩壊、バストスもバストスそのものが半ば壊滅してしまっていた。大半の住民が生きる方途を求めて、次々と他へ移動して行く中、残留組は死中に活を求めて新産業を模索していた。そして一時、西瓜・ポン柑に光りを見い出した。が、結局、西瓜は、その主たる出 ...

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