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身近なアマゾン(36)――真の理解のために=忘れ得ぬセナの輝き=それはブラジルの輝き

2007年3月22日付け

 いつまでも輝き続けるブラジルの星(2)
 翌日のニュースでの正式発表では、この日昼夜併せて十八時間に二十六万人が棺に手を合わせたそうだ。しかし、結局最も大事な肉親との別れの時間は三十分だけ、だった。
 数年前の、タンクレード・ネーベスという、軍政以降最初の民政になって、初めての国民直接選挙で選ばれた大統領が、大統領就任直前に病気で亡くなった際の葬儀をはるかに上回った葬列者数だったそうだ。
 筆者が葬列に並んでいた夕刻五時頃、この国の大統領が特別機でブラジリアから到着、大統領を乗せた車が私の並んでいた列の横を護衛隊に守られて式場に向かって通り過ぎて行った。この時は、大統領という仕事が羨ましく思われた。
 筆者は少年の頃、切手を買うのに徹夜で並んだ、という記憶があるが、今まで五キロ以上に及ぶ列の後尾に並んだ、という経験などなかった。今回この葬列に並んだことで、生涯できないであろう経験もさせてもらった。
 その経験はどんなものかだったか。筆者の並んでいた列では、他の列でも同じようだったが、みんな少しでも前に行こうと焦るので、時々列が大幅に乱れたりした。すると、そこに後列の群集が一挙に殺到して来る。そのパワーの凄いこと、筆者もその群集に混じっていたのだが、ドバーっと殺到する時の快感は初めての経験だった。その乱れた混乱した列が、なぜか瞬時に元の整然とした葬列に戻ることがあるのだ。
 不謹慎だが、その瞬間の面白さ、葬儀に参列しながら、さながらイス取りゲームに参加している錯覚にとらわれた。
 乱れた列が元の整然とした列に戻った瞬間、その整然とした列の中にいなければ、次の瞬間は葬列から閉め出され、列にいる人々から「帰れ!帰れ!」と怒鳴られて、はるか後方の最後尾に追いやられてしまうのだ。
 こんな群集には、警察は一切手出ししない。それぞれが自分で自分の位置を確保するという、この国の生活ルールそのままなのだ。
 筆者がこの葬列を断念して列を離れるまで、このような葬列の暴走が四回も繰り返された。筆者は足にはけっこう自信があったので、このドサクサ暴走だけで一キロくらいは、列の中で前進したようなのだが、それで延々と七時間も並んだのに、いまだに入り口も見えないため、この段階で葬列継続を諦めた。
 葬列を一人離れ、厳重に警戒されている議事堂入り口までやって来て、遠くから手を合わせて帰って来たのだ。
 翌日水曜日は、午前八時、国旗で覆われた棺が州議事堂を出棺。二十一発の礼砲と共に陸軍士官学校の青年士官十人に担がれ、ブラジル独特の消防自動車に乗せられて、何万人という市民が沿道に立っているのに見送られて、サンパウロ郊外モルンビー墓地に十一時到着。消防車から降ろされて、本葬儀に参列していた、生涯のライバルだったアラン・プロストや僚友パトレーゼ、ルーベンス・バリケーロなど同僚やF1関係者に担がれて葬儀場に運ばれた。
 その後、墓地の横に隣設されたテントの中で約一時間のミサの後、丁寧に埋葬された。
 このモルンビー墓地は、筆者の家族が親しくしていた、我が家のお隣の奥さんが、一昨年に亡くなり、偶然この墓地に埋葬されていた。これがどうしたものか、偶然、セナの墓所から数メートルの位置にあったのだ。我が女房が言ったた。〔もし私が死んだら、ニーダ(隣の奥さん)の近所に埋めてちょうだい〕。 筆者には今頃になって感ずるところがある。ブラジルという国は先進国なのか、発展途上国なのか、わからないが、ある部分では世界でも最も光り輝いている国だと思える。
 サッカー、カーニバル、バレーボール、そしてこのF1セナの輝き、これも忘れられないブラジルの輝きだったと思う。
 筆者の仕事場、アマゾン川でコバルト色に輝いているカージナルテトラ、そして太陽の光りに輝くモルフォ蝶など、この国以外ではどこにもないブラジルの光が、それこそ世界中で輝いているのではないだろうか。そのような感慨がある。
 勝利という美酒を追い続けて、そして彼自身の生き方が美となって、光り輝く、そんな輝くセナの生涯だったように思う。
 〇六年十一月、市内在住の大学の大先輩の奥様の葬儀が、このモルンビー墓地であり、参列した。セナの墓は以前にもまして花輪の山で、相変わらず同じ場所で眠っているようだった。遠くから合掌して帰ってきた。もうセナの墓所の近所には空き場所はない。つづく (松栄孝)

身近なアマゾン(1)――真の理解のために=20年間の自然増=6千万人はどこへ?=流入先の自然を汚染
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身近なアマゾン(3)――真の理解のために=ガリンペイロの鉄則=「集めたキンのことは人に話すな」
身近なアマゾン(4)――真の理解のために=カブトムシ、夜の採集=手伝ってくれたインディオ
身近なアマゾン(5)――真の理解のために=先進地域の医療分野に貢献=略奪され恵まれぬインディオ
身近なアマゾン(6)――真の理解のために=元来マラリアはなかった=輝く清流に蚊生息できず
身近なアマゾン(7)――真の理解のために=インディオの種族滅びたら=言葉も自動的に消滅?
身近なアマゾン(8)――真の理解のために=同化拒むインディオも=未だ名に「ルイス」や「ロベルト」つけぬ
身近なアマゾン(9)――真の理解のために=南米大陸の三寒四温=一日の中に〝四季〟が
身近なアマゾン(10)――真の理解のために=アマゾンで凍える?=雨季と乾季に〝四季〟感じ
身近なアマゾン(11)――真の理解のために=ペルー国境を行く=アマゾン支流最深部へ
身近なアマゾン(12)――真の理解のために=放置、トランスアマゾニカ=自然保護?改修資金不足?
身近なアマゾン(13)――真の理解のために=クルゼイロ=アクレ州の小川で=狙う未知の魚は採れず
身近なアマゾン(14)――真の理解のために=散々だった夜の魚採集=「女装の麗人」に遭遇、逃げる
身近なアマゾン(15)――真の理解のために=眩しい町サンタレン=タパジョス川 不思議なほど透明
身近なアマゾン(16)――真の理解のために=私有地的に土地占有=貴重な鉱物資源確保目的で
身近なアマゾン(17)――真の理解のために=近年気候変異激しく=東北地方、雨季の季節に誤差
身近なアマゾン(18)――真の理解のために=ピラニアよりも獰猛=サンフランシスコ川=悪食ピランベーバ

身近なアマゾン(19)――真の理解のために=異臭発しても観賞魚=円盤型、その名の意味は?
身近なアマゾン(20)――真の理解のために=ディスカスの自衛方法=筆者の仮説=「あの異臭ではないか」
身近なアマゾン(21)――真の理解のために=タパジョス川の上流に=今は少ない秘境地帯
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身近なアマゾン(24)――真の理解のために=乱開発された土地に大豆=栽培の競合もつづく
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身近なアマゾン(27)=真の理解のために=肥沃な土地であるがゆえに=自給自足生活が営める
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身近なアマゾン(35)――真の理解のために=ブラジル全域で哀悼の意=英雄セナの死に際して

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